お元気ですか?
まだ寒気は残っていますが、すでに世間は春たけなわです。
いずれの学校も卒業式が済みました。あと数日で今度はいっせいに入学式、孫にも小、中、どちらにも新入生がいます。
さて今日は土曜日、相撲は千秋楽を明日に位控えて白鵬だけが1敗で優勝はどうなるか?
高校野球もいよいよベスト8、優勝目指して熱戦が続いています。
リオ五輪への選手選考も各スポーツ団体の必死さが伝わってきます。
プロ野球も昨日のセパ同時開幕、世間を騒がす金銭問題を抱えながらも巨人は、好投の菅野投手と選手会長・長野選手の本塁打と投打が噛み合い、高橋新監督の意外に粘り強い攻撃型名采配で初戦は快勝でした。
二日目はデーゲームでもうすぐテレビでも観戦できそうですが、それまでにノルマ仕事を片付けて、と焦っています。
政治の世界は? 党名争いや各人各党のアラ探しと足の引っ張り合い、老人殺し政策でせいいっぱい頑張っています。私の母は101歳、預かって頂ける施設はありますが、今度の政策指導で入居期間は3ケ月だけ、また自宅介護です。わが家はよしとしても、困っている老人や家族はいっぱいいます。施設でも増えた手続きと3ケ月ごとの入居者の入れ替え作業に悲鳴を上げています。
ところで、九州では早くもサクラ開花の情報、これも楽しみです。
九州といえば、昨日、熊本県球磨郡一勝地の鮎宿からデコポンが一箱送られてきました。
早速、濃密で美味しいデコポンに満足しながら、昨年は濁流渦巻く球磨川を横目に温泉三昧で帰ってきた悔しさを想い出しています。
六年ほど前までは三月になると栃木の山に入っての渓流でヤマメ、イワナを釣って体を慣らしたものですが仲間の早逝などで卒業です。
いまは球磨川の激流に身を任せての大鮎釣りだけが私の楽しみ、あとは何もかもがオマケです。
そのオマケのもの書き仕事もどうやら佳境に入っています。
京都府綾部市を舞台にしたこのHPで連載中の「綾部の里に花が咲く」、書いていて実に楽しいのです。なんだか自分自身が綾部市内に住んでいるような錯覚の中で書いているのですが、綾部在住の読者から「綾部市民より詳しいですね」とお褒めの言葉を頂きました。
もの書きの楽しみは、執筆中のか世界に没頭している時の自分が、時空を超えたタイムスリップ状態になれることです。
当然、戊辰戦争では旧式銃と刀を武器に数人の仲間と、眼前に迫る敵の大軍を迎え撃つ時の絶望的な悲壮感も味わいます。
傷ついた仲間を励ましながら飢えと寒さと弾薬切れ寸前の恐怖に己を失い、敵弾乱れ飛ぶ中を壕を飛び出して・・・意識は消えます。
そんなことの繰り返しですから、死の恐怖も生きる喜びも、人一倍体感し、善事も悪事も仮体験しています。
先日、動物実験で体内の電気エネルギーの変化で犬の感情が分かる機械が実用化されたニュースを知りました。
私は昔、アルファー波の研究時代に脳波による「ウソ発見器」を開発して実用化しましたが倫理的な問題と警察関係の友人の内報で中止した経緯があります。したがって、脳波の変化で喜怒哀楽の感情や情念、あるいは思考の内容までもいずれは解明できるのは信じます。
ただ、こうなると人間の尊厳や人格は無きに等しく、大学教授のハレンチな思考や警官の悪行なども露見します。
こうなっても「困らない!」と、あなたは胸を張って言えますか? 私は? 大いに困ることだけは告白しておきます。
月別アーカイブ: 2016年3月
迷わず堂々と・・・
連休ですがお元気ですか?
少年老い易く学成り難し・・・全くその通りです。
良くも悪くも80歳、平均寿命を生きた今、誰にともなく感謝の一言、有難うございます。
ともあれ歳月は矢の如く猛スピードで過ぎますが、自分は何をしたか?
冷静に考えると、何もかも中途半端なおのれの所業にただ呆れるばかり、ただ生きただけです。このような自己反省で自分を見つめると、世の中がいつもと違って見えるから不思議です。
なんだか自分が大したことないのがハッキリすると、許容範囲が広がって何でも許せます。
プロ野球開幕を間近に控えて野球賭博事件が発覚、清原元選手の麻薬常習犯罪も含めて、プロ野球界のモラルの低さが問われています。でも、子供の頃からバットとボール一筋で生きて来た野球小僧に今更モラルを押し付けるのも無理な気もします。
私の少年時代はまだサッカーが普及していませんでしたから、悪ガキはまず野球しかありませんでした。しかも、野球部の監督は体育学校出身の体育の教師、教養のカケラも持ち合わせていません。ただ試合で勝てばいいのです。
有識者は、プロ野球界各チームの選手が勝ち負けで賭けをしたから野球賭博事件だと騒ぎますが、選手にとってはゴルフや麻雀の賭けと同じ様なものです。プロ野球界のモラルの低さと危機感の希薄さ、などと喚く評論家も、ゴルフでは多少なりとも金銭を賭けているはずです。
暴力団の介在や麻薬絡みなら警察の介入も当然ですが、チームの勝ち負け程度ではギャンブルとしても犯罪性はないように思えます。テレビでの評論家は、プロ野球だけでなく「スポーツ界全ての危機」などとしたり顔で言い切っていますが、本来、スポーツは娯楽です。もっと純粋に楽しむことは出来ないものでしょうか? とにかく寛大で早い解決を望みます。
リオ五輪男女マラソン代表の男女6人が決定しました。やれやれです。
男子は、福岡国際で日本人トップの佐々木悟、びわ湖毎日で日本人トップの北島寿典、同2位の石川末広が代表に。北島選手はマラソンを3回走って3連勝、唯一の欠点は負けを知らないこと・・・これが凶と出るか吉と出るかです。
女子は、伊藤舞、福士加代子、田中智美の3人が選ばれました。
大阪国際で好記録で日本人1位になった福士加代子選手が選ばれたのも順当で良かったです。最年長33歳でリオ決めた福士選手は「金メダルが欲しい」と、誰もが思っても叶えられない言葉を正直に口にしました。ちなみに福士選手は1万メートルで連続3回、今回のリオで4回連続五輪出場の女子選手初の快挙を成し遂げます。なにしろ、女子マラソンのメダルといえば2004年のアテネで優勝の野口みずき選手、それ以来12年もの間、勝っていません。
迷わず堂々と戦っての勝利で、リオの空に日の丸で胸に金、是非、そうしてほしいものです。もちろん、福士選手にこだわりませんが・・・
3・11、この災害でお亡くなりになった多くの方々に心からご冥福をお祈りします。
あれから5年、東北大地震の傷跡はまだまだ癒されてはいませんが、徐々に何かが変わりつつあるようです。あの絶望的な壊滅状態から立ち直った漁港や民間事業をニュースで見ると、復興への力強い東北の底力に感心するばかりです。
なかには、壊れた機械を修復して震災後1ケ月で操業を再開した魚類加工業社は今、災害前以上に売り上げを伸ばしています。
まさに粘り強いこの驚異的な回復力は、関西淡路大地震でも東北宮城沖大地震でも共通のものです。この旺盛な復興パワーこそ日本人の本質のような気がします。
その一方、ふと気になった記事があります。
数日前の新聞のニュースで知ったのですが、大阪市の中学校校長(男61)の全校集会での発言が問題になっています。
「女性にとって最も大切なことは子供を2人以上産むことは、仕事でキャリアを積む以上に価値がある」。さらに、「子育てをした後に大学で学べばよい」と、発言は続きます。
大阪市教委関係者は「不適切な発言」として処分を検討しているとの追記も載っていました。
たしかに、子供を何人生もうが個人の自由ですから余計なお世話ですが、つい本音を言ってしまったのでしょう。
このまま少子化が進むと、今でさえ脆弱な日本の国力は人口の減少と共に衰退し、周辺強国に吞み込まれるのは間違いありません。
晩婚でエステ通い、おしゃれ文化華やかな世代の女性には、子供一人がせいいっぱい、二人となると経済的にも難しいと言います。
それに、保育園不足の追い打ちでますます子供が産めない環境との声も聞きます。
30年ほど前の東京の女性の平均結婚年齢24歳代が今では29歳代、30歳を超えてからの初出産では、そう多くは産めません。
なにしろ平成25年の出生率は1・5を割った1・43で出生は約103万人、もう人口減に歯止めがかかりません。日本の出生数のピークは第二次ベビーブームと言われた昭和46~49年中の48年が2・14の約209万人、いまやこの半分以下なのです。
ましてや団塊の世代と言われた第一次ベビーブームの昭和22~24年には出生率4・32、出生数約270万人、3倍近いのです。
ところが、昔から「ひのえ午の女は結婚に向かない」などとの迷信でか昭和41年の出生だけが激減で出生率約1・6、出生約136万人、その翌年からはまた増加しています。
ともあれ、このまま人口減が続けば国は亡びる可能性はあります。
大阪市の中学校校長は率直な持論をつい言ってはいけない場所で言ってしまったのでしょう。
では、どうしたら?
まず男性がパソコン離れでモヤシのような草食系から変身し、よく働きよく稼いだ上で目の色を変えて女性を追う肉食系に変わる環境づくり、早い結婚で若くても複数の子育てが出来る経済的環境と保育施設の充実、それをバックアップする父母の経済力、祖父祖母の余裕ある老後生活と福祉にも気配りが必要、これが出生率アップにつながります。
私の母は女1人に男7人を産み3人早逝、男5人兄弟の次男が私です。妻も5人姉妹弟、兄弟は合わせて10人の大人数です。
我が家も大所帯です。
夫婦2人に101歳の母1人、子供4人、孫6人、子供の配偶者3人を交えて総勢16人です。
我が家は孫の成長と共に、最近は全員が集まる機会がありませんが、以前は1年に一回は全員が集まって賑やかでした。
なにしろ正月は、16人全員が我が家に集結して合宿だったのです。その上、兄弟家族なども来ますから戦場でした。
この賑わいを楽しめるのは子供や孫のお蔭、たしかに子育ては大変ですが、その報酬は充分にあるような気がします。
私はいま、心身ともに健康で元気に働ける80歳、毎日が楽しい理想的な隠居生活、これも皆さまのお蔭です。
勝てば官軍
卓球女子日本が準決勝で北朝鮮を破って決勝進出を決め、45年ぶりVへ王手を掛けたのをニュースで知りました。
小学生時代から活躍した泣き虫愛ちゃん・福原愛も今や最年長で日本チームの牽引車役です。
驚異の逆転勝ちを演じた15歳の伊藤美誠の喜びの泣き顔を見て、なぜか愛ちゃんの昔の悔し泣きの顔を想い出しました。
ところが、すすり泣く伊藤の肩を抱く愛ちゃんの余裕の笑顔を見ると、ほのぼのとした温かい先輩の余裕の大人の顔でした。
決勝の結果はともあれ、福原愛、石川佳純、伊藤美誠のチームプレーで素晴らしい勝利でした。
一方。常勝の女子サッカー・なでしこジャパンが中国に敗れて、まさかの一分け二敗でリオ五輪が絶望的になりました。
流れの悪さ、痛恨ミス、JFA会長に「このチームは古い」とまでボロクソに言われて佐々木監督の進退問題にもなっています。
なぜ「よくやった。つぎ頑張ろう!」が言えないのか?
その答えは簡単、この世の中「勝てば官軍、負ければ賊軍」だからです。
「勝てば官軍」を辞書から抜いてみました。
【意味】 勝てば官軍負ければ賊軍とは、何事も強い者や最終的に勝ったものが正義とされることのたとえ。
【注釈】 たとえ道理にそむいていても、戦いに勝った者が正義となり、負けた者は不正となる。物事は勝敗によって正邪善悪が決まるということ。
以上から考えると、勝てば褒められ、負ければぼろくそ、これは「勝てば官軍」の通例で仕方ないことなのです。ここでいくら悔しがっても後の祭り、勝ち負けは勝敗の常、つい先日までは希望の星だった「なでしこジャパン」ですら、こうなるのですから、戦いに負けた以上は言い訳無用、じっと耐えて再起しまた勝ち続けるしか汚名挽回の方法はないのです。
私はいま、戊辰戦争150年をまじかに控えて、義務感に追われて小説・戊辰戦争(仮題)を執筆中です。
なぜ義務感かというと、私の両親が会津喜多方出身、いま私は長州の山口放送レギュラー出演32年目、会津と長州の板挟み常態です。
しかも鹿児島から北海道まで友人知人がいて 私の親しい友人には歴史に詳しいだけでなく人生を歴史研究に明け暮れる人もいます。一人は、歴史関係書籍で一世を風靡した「新人物往来社」元社長のO氏、こちらは広島出身で東軍びいきです。もう一人は「幕末史研究会」会長のO氏で、こちらは坂本龍馬研究家で土佐びいき、東京出身の西軍びいきです。
私自身、白虎隊生き残りのご子孫飯沼氏、薩摩の西郷さんのご子孫とも知己の仲、榎本武揚、土方歳三、近藤勇、大久保利通、阿部正弘、勝海舟、木村摂津守、東久世道とみ、坂本龍馬、その他多くの幕末史に残る方々のご子孫とご縁があります。
さらに、私の三大生き甲斐(もの書き、弟子育て、大鮎釣り)の一つ、例年訪れる大鮎釣りが九州熊本の激流・球磨川です。
このように東西に身を置いて生きている私の職業の一つが執筆業である限り、書かねばならないテーマは「戊辰戦争」、これは避けて通れません。
幕末史において毒殺されたとされる孝明天皇は生前、会津藩主・松平容保に授けた御宸翰(ごしんかん)という天皇直筆の書簡と御製(ぎょせい)という天皇の御詠みになった和歌があります。皇居に砲弾を撃ち込む暴挙に出た長州藩(禁門の変)を、薩摩藩と協力して撃退した会津藩・会津容保の忠誠心を称揚したものです。
この時点では、長州藩が賊軍、薩摩藩と会津藩が官軍です。
ご宸翰はつぎのような内 容です。
「堂上(どうじょう=高級公家)以下、暴論を疎(つら)ねて、不正の処置、増長に付き痛心堪え難く、内命を下せしのところ、速やかに領掌し、憂患掃攘(ゆうかんそうじょう)、存念を貫徹の段、全く其方の忠誠にて、深く感悦のあまり、右一箱、これを遣わすもの也」
その遣わされた箱に、和歌が二首収められていました。
「やはらくも 猛き心も 相生の 松の落葉の あらす栄へむ」
「武士と 心あはして 巌をも つらぬきてまし 世々のおもひて」
これを賜った松平容保は、身に余る光栄を謝して感泣したと伝えられています。
これだけ天皇の信頼高い松平容保が賊の悪者で、皇居に大砲を撃ちこんだ長州が官軍では話が逆ですが、前述の通り「勝てば官軍」なのですから敗けた会津が150年経った今、いくら喚いても官軍にはなれません。ただし、正義はどちらにあったか? これは検証する価値があります。中国伝来の戦いの教本「孫子の兵法」では、離間の計など敵を騙して勝つ方法がぎっしり詰まっていて、勝つためには正義などどうでもいいのです。
しかし、日本の武士道はそれとは違います。義を尊び道を究め筋を通さねば武士道とはいえません。その武士道も武器が刀から銃砲に替わった時点で廃れました。
英明な幕府の閣僚の一部が開国を主張、それに対抗した反幕府勢力が攘夷と鎖国の維持を叫んで始まったのが京都騒乱で、その延長上に戊辰戦争があるとしたら、攘夷が間違っていただけに、真の正義がどちらにあったかは明白過ぎて考えるまでもありません。黒船来航以来の経過をみれば、いずれ開国しなければならないのは自然の理だったのですから幕府の選択した開国の道が正しかったのです。
にも拘わらず幕府を倒した上、寄ってたかって会津を攻め滅ぼした自称「官軍」の大義名分はどこにあったのか?
しかも、今まで曖昧にして握りつぶしてきた奥州会津攻めでの残虐行為等に対する謝罪は? 私の極めて個人的な意見では、幕府の命で京都守護を勤めた会津藩指揮下の新選組として公務で不逞浪士を斬ったのを逆恨みされて一般罪人扱いで斬首になった近藤勇の一件など、悪くても京都で吟味の上切腹が妥当なはずですから、何らかの名誉回復がないと、武士として死にたかった故人としては浮かばれません。
とはいえ、どんなに徹底検証して黒白をはっきりさせて欲しくても、未だに長州主導の国政ですから無理な話です。
せめて私が「戊辰戦争」執筆で中立的立場で公明正大に裁いてわだかまりを消し、明治維新150祭に花を添えたいものです。