この2月2日、プロ野球の元巨人軍の主砲・清原和博選手(48)が覚せい剤所持で現行犯逮捕されました。しかも、その前日に群馬県まで覚せい剤を購入に行っていた疑いがあることが判明しています。清原容疑者は、覚せい剤の購入先ですぐ覚せい剤を使用し、その後、都内のホテルに交際中の女性と宿泊し、翌日、帰宅した直後に覚せい剤所持で現行犯逮捕されたものです。
捜査員がマンション最上階14階の部屋に踏み込んだ時、清原容疑者は左手にビニール袋を持っていて、その袋の中に注射器やストローなどが入っていたそうです。その後、病院での尿検査でも陽性、これで覚せい剤使用も確定、本人も素直に容疑を認める供述をしていると報道されています。
警察の事前捜査では、清原宅のごみ箱から覚せい剤使用の痕跡を漁って、覚せい剤所持に確信を持ち、その上で長期間の行動調査によって常習を確認してから逮捕に踏み切っています。これで、つい出来心で一回だけ、というような言い訳は出来ません。
私も警備会社の顧問をしていた関係で警察の捜査員緻密さは知っていますが、多分、証拠隠滅や逃亡の可能性を考えて清原容疑者の行動から接触した人物とかあらゆる情報を積み重ねて分厚い証拠書類を作成してからの逮捕と思われます。
私はかつて、中日の4番バッターでセ・パ両リーグの本塁打王、監督も経験した名球会の故江藤慎一氏と組んで少年野球指導団体を主宰していた野球マニアで、かなりの清原オタクだっただけに今回の不祥事は残念でなりません。
清原和博といえば、西武、巨人、オリックスを渡り歩き、無冠の帝王と言われる魅力的な強打者であることは野球ファンなら誰でも知っています。とくに、PL学園時代に作った甲子園通算最多13本塁打の記録はいまだに破られていません。
私は、プロ野球でこそ無冠であったが、この高校時代の大記録だけでも清原の野球人生に燦然と輝く金字塔であると信じてきました。
清原は、大阪岸和田の小学6年生時代、岸和田リトルリーグ大会で投手・4番で完全試合をやってのけています。
中学生になると2年生で岸和田シニアリーグのキャプテン、関西シニアで優勝を果たしていますが、その頃から本理だ、す。3年時には日生球場のネットを揺らす大本塁打を放って周囲を驚かせています。
PL高校入学後は投手を希望したが、同時入学の桑田真澄投手の傑出した実力に驚嘆して投手を断念、野手を選んだと聞いています。
清原は1年生から4番打者として君臨、同じく1年生エースの桑田投手とのコンビで連戦連勝、5季連続で甲子園に出場という偉業を果たし、1年生の夏、3年生の夏に優勝、2年生の春・夏は準優勝、3年生の春はベスト4という記録を残しています。
プロ野球志向の清原は巨人入りを希望したが、巨人は盟友の桑田を指名、清原は望まなかった西武に入団します。
この1年目が凄かった・・・開幕2戦目に初本塁打、オールスターゲームにもファン投票1位選出、第1戦で安打、第2戦で本塁打でMVP(最優秀選手)に選ばれています。その初年度の成績は本塁打31本、打率304、打点78で全てが高校卒新人最多タイ記録、チームも優勝してシリーズ最優秀選手賞(MVP)と新人王に輝いています。
清原選手のピークは入団4年目の1990年、打率307、本塁打37、打点94の堂々たる成績で、オフの契約更改で当時の史上最年少23歳の1億円プレイヤーとなっています。
華やかな舞台で活躍する清原選手らしいオールスター戦での記録で1位だけでも数多くあります。
通算打率:365(100打数以上タイ)、通算打点34、通算得点26、通算塁打96、これらはONでも成し遂げなかった凄い記録です。
その他の歴代1位の記録にも、21年連続2シーズン2桁本塁打、入団1年目から13年連続シーズン20本塁打以上、通算サヨナラ安打20本、通算死球数196、通算サヨナラ満塁本塁打タイ2本、3イニング連続本塁打タイ、などがあり、これも凄い記録です。
清原選手は、日本のプロ野球界を代表する強打者として立派に活躍しましたが、有終の美を飾れずにこの始末・・・少年野球を通じて世間になにがしかの貢献をしたと自負する私としては、純粋に野球に取り組む全国の野球少年や野球ファンに詫びる気持ちでいっぱいです。それだけに、元清原ファンであった私としては脳天を金属野球バットで殴られたような衝撃を感じながら、この一文を書いています。しかも、甲子園で用いるアルミ合金の野球バットの着色は殆どが、花見化学出荷の輸入染料ですから、清原選手の高校記録を生み出した金属バットも、私の手を経た染料が絡んでいることになります。
それだけに、この事件に私が心を痛めるだけでなく、警察がことの真相を追求して元凶を罰し、清原容疑者の厚生による社会復帰と心を入れ替えての野球界への奉仕による社会貢献を心から望むものです。