オマケの人生を楽しむ方法は?


弓道場
 お元気ですか?
 2016年の幕開け、新年行事もそろそろ落着きます。
 あちこちの新年会を済ませ、15日(金)にマイサロンの新年会を終えました。
 明日17日(日)に101歳の母を中心に兄弟家族の新年会、これで一段落です。
 今年は私にとって人生の節目になる意義ある年になりそうです。
 なぜ?
 それは、健康な状態で平均寿命を超える可能性があるからです。
 この1月5日で満80歳になった私は、あと半年で80・5歳の平均寿命を超えます。
 すると、つぎは平均余命を計算に入れて約86歳、6歳ものオマケが付きます。
 ここから先は1年毎に平均余命が目減りしながら加わってゆくことになります。その上、母が101歳で元気ですから、それより先に逝くのは親不孝になりますのでイヤでもオマケを増やさねばなりません。
 さて、問題はこの貴重なオマケっ人生を何に使うか? です。公私とも今までの生活慣習を踏襲して淡々とく暮らすだけでいいのか? 近年、79歳までの私は、下手なもの書き、プロの占術家育成、大鮎釣り、この三本柱で生きてきました。それなのに、80歳を生きた喜びで少々図に乗って欲が出ているのです。多分、死に欲だとは思いますが。ここは一番、なにか劇的に新しいことを始めてみるのがいいのか? などとバカなことを考えたりします。それとも・・・ここで私の思考が逡巡し戸惑いを感じて一人で恥じ入って赤面したりするのです。
「やり残したことなら、今からやればいいじゃないか?」
 こんな心の声が聞こえますが、決して人には知られたくない挫折したことばかり・・・
「じゃあ、まだ、そんなことに未練があるのか?」
 あります、あります、挫折して放置したまま悔いを残していることがいっぱいあるのです。
 でも、それをやり始めると、今まで続けていたことを全て捨てるか減らさねばなりません。 今までし残したことは、それを捨てたからこそ今の生活があるのですから仕方なかったのです。それでもなお、死ぬ前にもう一度・・・でも、その時間をどう作るか? それと、時間は作れたとしても、80歳を超えて1から出直すには根気や根性や体力が必要です。
 思い残しの代表は三つ、そのうちのどれかを選択して、今の生活目標の三つを四つに増やしたいと考えます。
 その三つとは、一つ目は弓引き、二つ目は楽器いじり、三つめは(内緒ですが)恋愛です。
 弓道は、宗家の小笠原清信師、恩師・窪田真太郎師も逝きましたが、師の跡を継いだ窪田弓道場の窪田史郎先生(範士八段)がいます。三十三間堂、京都御所、明治神宮、皇居内道場などで技を競った仲間の何人かはまだ現役です。そこに出戻りして初心から精進すれば心技一体、もう一度純な気持ちで礼作法弓術の奥義に触れることが出来るかも知れません。
 楽器は、若い時にいろいろやりましたが全部中途半端で中断しましたから、今からでは何を始めても遅すぎます。せいぜいギターの一人弾き語りを密かに楽しむ程度、セミプロの域にも近づけないのは分かっていますが、多分、始めれば悔いは残りません。
 ラスト願望の恋愛、これには相手が必要ですから一番難敵ですが、願望を引きずって逝くのも悪くありません。したがって永遠の願望として頭にインプットしておきます。いや、ひょっとして・・・と、夢は果てしなく広がるのですが、まずは現実、手元の原稿を出版しなければなりません。すべてはそれからですが、もの書き、占術家育成、大鮎釣り、弓引き、楽器いじり・・・今年はこうなる可能性が大です。これに母親の介護が入りますからまた忙しくなりそうです。どうぞ、80代を楽しく生きる作戦の欲深い私めを温かい目で見守ってください。