お元気ですか?
この12日、フィギュアスケートの羽生選手の演技が330・43点という驚異的な世界新記録の330点超えを果たしました。と、いわれても、門外漢の私には何が驚異的なのか、何点満点の330点なのか? あの採点はさっぱり分かりません。
それにしても、スペイン・バルセロナでのGPファイナルで男子初の3連覇、その得点内訳がまたややこしいのです。優秀な演技に対して特別なオマケ(出来栄え点)が加点されることで00点満点+アルファーで、10日のショートプログラム(SP)では世界最高得点となる110・95点の世界新記録になって、本人もビックリ仰天、喜ぶより先に驚き顔が映像になったのです。
羽生結弦(ゆずる)選手は、さらに男子フリーで219・48点をマーク、合計330・43点となったのです。優雅で華やかなフィギュアスケートも、地味なトライアスロンやマラソン、水泳やスケートなどの競技には相当な体力が必要です。そのアスリートの体力を支える基本として、ブレス(息継ぎ)に大きく影響する肺活量があります。
羽生選手が氷上をあのスピードで走って宙に跳び4回転サルコウ、3回転トウルーブなどの連続技を決めるには、息切れしないための相当な肺活量が必要です。試合のあとのインタビューで「スコアにはびっくりしましたけど、実際にスケートカナダが終わったあとから、NHK杯まで血のにじむようなつらい練習をしてきました」、この言葉を噛みしめるように言っていました。
それにしても、世界記録を達成するには天性の素質に加えて、どれだけの努力が必要か? これは大変なものです。
どの世界でも一流となるには並外れた素質+努力に優秀な指導者が必要で、その練習は時には過酷としか思えないのです。肺は酸素を取り込み、不要な二酸化炭素を排出する機関です。
肺活量とは 一回の呼吸でどれだけ二酸化炭素主体の内気を吐きだすことが出来るか、その量です。いわば、肺の換気能力でガス交換の量が大きいほど潜在的な活動能力が高いことになります。
この欄でも触れたことがありますが、私の仲間に水泳長距離の世界記録を何回も塗りかえた山中毅(76)氏がいます。その山中選手のファンだった女優の故左幸子さんが、早大水泳部の練習風景を見て仰天した話を私にしたことがあります。彼女も体育大学出身で体操選手でしたから体育会系の交流から早大水泳部の練習も見る機会があったそうです。
千五百メートルを全力で何本か泳いだ後、短距離のダッシュを何本かして疲れ切ってブラックアウト(失神沈没)寸前でプールの端に手を乗せた山中選手の手を、コーチ役の先輩が「もう一本!」と情け容赦なく足で蹴飛ばした時は、可哀想で涙が出たそうです。後年、山中氏に聞いたところ、その鬼の先輩が私の友人のO氏(故人)だったそうで、これも因縁としか思えません。
その現役時代の山中選手が多分、今までの日本での肺活量計測では一番の記録保持者ではないか、と私は思っています。
肺活量の測定には、幾つかの条件がありますが、その一つの一回の呼吸で吐く量を測る標準的な測定法があります。成人男子の肺活量の標準は、2500~3500cc、女性は1,700~2,300ccです。当然ながら半世紀前の標準的な肺活量測定器の限界は5、000cc、これで充分でした。
ところが全盛期の山中選手の肺活量は、なんと8,000cc、機械を2台続けて使って測定していたのです。なにしろ母も姉も海女、姉の肺活量も6,400cc、これも女性で一番かも知れません。この山中選手、海女並に楽に5分は潜水していられたそうです。
男はたいがい自分がどのぐらい潜っていられるか試しますが、普通は1~2分、頑張って3分、私は2分が限界、それ以上潜ったらあの世逝きです。
さて、この山中選手が自由形で世界に君臨した時代、平泳ぎに潜水泳法で世界一だった古川選手という怪物がいました。なにしろスタートのから50mのターン時に息を吸うだけですから200mでも息継ぎは3回だけです。これが日本のお家芸でオリンピックでもワンツーフィニッシュ、金銀独占。その黄金時代も短期間ではかなく消えました。
世界中が真似して、多くの死者が出たのです。それが前述のブラックアウト・・・疲れて息継ぎが悪くなると肺の働きが悪くなり体の浮力が失せて失神状態になり自然に恍惚となって水中に沈んでしまう現象です。
水泳選手の場合、全力で泳ぎ切ってゴールした直後になりやすい現象で、すぐ仲間が飛び込んで救出しないと死に至ることもあるそうですから油断はなりません。山中氏も現役時代は何回かその経験があるそうですが、強靭な体力で救われたと言います。
さて、このブラックアウト・・・スポーツだけでなく社会人や主婦、自由業、あらゆる職業にも当てはまることに気付きました。
全力で働いての過労死、事業で心身を酷使しての突然死、家族のために必死で働いた挙句の病死、全てがブラックアウトです。
そうならないために、これからの私は「ゆっくり百歳」運動を提案します。
ゆっくり、ゆっくり、です。