とにかく強かった!


 北の湖
北の湖関、ご冥福を祈ります。

千賀の浦親方と
千賀の浦親方と

サロン山中
左から、花見、平岡、大出、杉田、山中、坂下の各氏です。 
 お元気ですか?
 ひと昔前、両国の中学の授業中、マンガ本を見て昼寝をしている図体のでかい怪童がいると聞いた記憶があります。
 それが、瞬く間に相撲界のスーパーヒーローとなる北の湖関でした。
「とにかく強かった!」
 私の友人でもあある千賀の浦親方(元関脇・舛田山)が、そんな話をしたことがあります。
 今日は、福岡国際センターでの大相撲九州場所の千秋楽、優勝は日馬富士か白鵬かに絞られています。
 この場所中の20日(金)、日本相撲協会の北の湖理事長が直腸ガンと多臓器不全で急逝しました。
 奇しくもこの日、私は、北の湖と輪粉(りんこ)時代を築いた元横綱・輪島関の親しい先輩・山中氏と会食中でした。
 輪島出身の山中氏と後輩の輪島氏は親しい仲で、山中氏は私の弟分でしたから当然、輪島と北の浦なら輪島を応援していました。
 北の湖が生涯で唯一負け越したのが横綱・輪島関で21勝23敗、いつもがっぷり四つで上手投げ得意の北と、下手投げ得意の輪の力相撲で観客を沸かせたものです(追悼・北の湖は別コーナー「曼珠沙華」で・・・)。
 その輪島関が尊敬したのが郷土の先輩・山中毅氏です。
 ひと昔前、私のサロンが銀座の「梁山泊」としてマスコミに載った時代があります。
 この頃は各界の錚々たるメンバーが私の周囲に集まっていて、山中毅氏も舛田山関もその輪の中心にいました。
 今、舛田山関は日本相撲協会理事・千賀の浦として本場所の解説などでお馴染み、千賀の浦部屋の親方です。
 さて、2枚目の写真は前述の12月20日(金)の会食風景ですが、異質のメンバーばかりです。
 左から私(花見)、平岡氏(詩人、元ダイヤモンド社部長)、大出氏(歴史・新選組関係の大御所・元新人物往来社社長)、杉田氏(音楽誌編集・元岩波書店)、山中氏(コトブキ社顧問・元水泳選手)、坂下氏(鍼灸治療院経営)などです。歴史研究家で大出氏を知らない人はいませんが、驚いたのは山中毅、大出俊幸の両氏をヤフーで検索したら、なんと二人合わせて90万件数以上もヒットしたのです。
 と、いうことはお二人ともまだまだ活躍中で過去の人ではないということです。
 私の尊敬する大出俊幸氏は、1937年の広島県因島市生まれ、京都大学出身の秀才で元教師。日本読書新聞、学藝書林、新人物往来社の元社長、編集者として大出氏が世に出した本は、「全集・現代文学の発見」「ドキュメント日本人」「新選組シリーズ」など1000冊以上、氏の主宰する会も多く、「本の会」「民学の会」「新選組友の会」「因島自由大学」「史道会」「土方歳三忌」「沖田総司忌」「戊辰戦争役東軍殉難者慰霊祭」「新選組流来祭」「近藤勇実供養祭」「新選組子孫と語る会」など多数を主宰または後援している超人です。
 私と大出さんの共通点は、日本の黎明期に時代の波に翻弄され死を覚悟で戦った純粋無垢な若者たちへの敬愛と哀憐の情だと思います。土方歳三らの人間味豊かな生きざま死にざまに男のロマンを感じて共感して涙を流せる仲間はそう多くはいません。大出氏は、私と共通する心を持つ大切な仲間なのです。
 水泳の山中毅(つよし)氏については今更語るまでもありません。
 1939年、石川県輪島市出身、早稲田大学卒、世界新記録も何回か出していてオリンピックに3回参加、出場全7種目に入賞、メダル4ケ。内訳は、銀・1956メルボルン 400m自由形、銀・1956メルボルン1500m自由形、銀・1960ローマ400m自由形、銀・1960ローマ4×200mリレー、と凄い実績です。今は後輩が社長の「家具のコトブキ」の顧問として、身体障害者向け家具の普及などを手伝っています。
 勿論、平岡、杉田、坂下の各氏に加えて、この写真を撮ったスタッフの比留川氏も大切な仲間です。
 と、話は脱線しましたが、北の湖関も強かったが、山中選手の強さも凄かった・・・これが言いたかったのです。