どこで日本庭園を撮ってもバックには高層ビル、ま、これもいいものです。
暑中お見舞い申し上げます。
先週の25日(土)、幕末史研究会の史跡巡りに参加してきました。
35度を超す炎天下の猛暑日で16人、1万6千歩を全員が熱中症もなく完歩しました。
JR浜松町駅北口に午後1時集合で、恩賜公園浜離宮から築地市場経由で勝どき橋、聖路加病院界隈、本願寺までの史跡巡りでした。
浜離宮公園は10回ぐらいは行ってますが、ガイドさんの説明で庭園の素晴らしさが倍加しました。
潮入の池の景観や二つの鴨場の仕掛けなど、将軍家の庭園として賓客接待には最適だったと想像できます。
ただ、1億4千万を掛けて再建された20坪の粋を凝らした和風家屋には、その必要性に疑問がつきます。
ともあれ、改めて素晴らしい庭園であることを再認識しました。
今回の史跡巡りのテーマは「咸臨丸と勝海舟」、幕末期にこの敷地内に屋敷を構えていたのは木村摂津守です。
鳥羽伏見の戦いで開陽丸で逃げ帰った徳川慶喜をここで迎えたのが木村摂津守です。
「殿、空腹であらせましょう?」と、用意したビスケットを出したら将軍は旨そうに食べてから馬で江戸城に向かったそうです。
その木村摂津守が、万延元年の遣米使節団を乗せた米艦ポーハタン号の護衛艦として伴走した咸臨丸の艦長です。
この咸臨丸に勝海舟、福沢諭吉らが乗っていました。当日の参加16人の中には、遣米使節団副使・村垣淡路守のご子孫をはじめ何人か そのご先祖の想い出話なども含めて、私のサロンで行われた二次会も大いに盛り上がりました。