月別アーカイブ: 2015年7月

炎天下の史跡巡りでした。


 浜離宮ー2

 どこで日本庭園を撮ってもバックには高層ビル、ま、これもいいものです。

 暑中お見舞い申し上げます。
 先週の25日(土)、幕末史研究会の史跡巡りに参加してきました。
 35度を超す炎天下の猛暑日で16人、1万6千歩を全員が熱中症もなく完歩しました。
 JR浜松町駅北口に午後1時集合で、恩賜公園浜離宮から築地市場経由で勝どき橋、聖路加病院界隈、本願寺までの史跡巡りでした。
 浜離宮公園は10回ぐらいは行ってますが、ガイドさんの説明で庭園の素晴らしさが倍加しました。
 潮入の池の景観や二つの鴨場の仕掛けなど、将軍家の庭園として賓客接待には最適だったと想像できます。
 ただ、1億4千万を掛けて再建された20坪の粋を凝らした和風家屋には、その必要性に疑問がつきます。
 ともあれ、改めて素晴らしい庭園であることを再認識しました。
 今回の史跡巡りのテーマは「咸臨丸と勝海舟」、幕末期にこの敷地内に屋敷を構えていたのは木村摂津守です。
 鳥羽伏見の戦いで開陽丸で逃げ帰った徳川慶喜をここで迎えたのが木村摂津守です。
「殿、空腹であらせましょう?」と、用意したビスケットを出したら将軍は旨そうに食べてから馬で江戸城に向かったそうです。
 その木村摂津守が、万延元年の遣米使節団を乗せた米艦ポーハタン号の護衛艦として伴走した咸臨丸の艦長です。
 この咸臨丸に勝海舟、福沢諭吉らが乗っていました。当日の参加16人の中には、遣米使節団副使・村垣淡路守のご子孫をはじめ何人か そのご先祖の想い出話なども含めて、私のサロンで行われた二次会も大いに盛り上がりました。

出版パーティを取材しました。


冨成先生出版会

 お元気ですか?  
気象庁の発表によると関東甲信が例年より2日早く、19日(土)に梅雨が明けたそうです。
 とたんに訪れた猛暑日、熱中症に注意が必要な連休になっています。
 天気予報では、夕方には夕立が来るようですからすぐ涼しくなるとは思いますが外出は控えたいところです。
 19日(土)は吉祥寺市のホテルで幕末史研究会主催の「富永博」先生の出版パーティがありました。
 私は、取材を兼ねての出席でしたので少々忙しい思いもしました。
 著作の内容が山口県下関を舞台にし、著者自身も下関出身で幕末史研究会顧問で日頃から尊敬している大先輩です。しかも、私にとって幕末史研究会会長・小美濃清明氏も今回の著書発刊元の右文書院社長・三武義彦氏も数十年来の友人・・・これでは山口放送31年目の私としては手伝わないわけんはいきません。そこで、山口放送から報道部の出張を依頼、テレビではニュース、ラジオでは私の特番で出版祝賀会の模様を放送することになりました。
 著者で主役の冨成博先生はこの8月で93歳、92歳時執筆の今回の作品は、下関の豪商・白石正一郎を描いた「渦潮の底」です。
 日本屈指の豪商&資産家でありながら、坂本龍馬や高杉晋作、西郷隆盛など志士浪士数百人の他に薩摩・長州両藩を援助して、明治維新
を成功に歓喜する志士群像と、全面的に資金援助をして没落した白石家の明暗を克明に描いています。
 著者はまた、明治維新とは何であったのか? との大きな疑問もミニ講演で問うていました。明治維新に関係した方々の縁者ご子孫も会員ですので参加しています。咸臨丸の軍艦奉行・木村摂津守、公家の東久世道とみ、北辰一刀流の千葉周作、千葉重吉、幕臣・榎本武揚、坂本龍馬、豪商・小曾根家のご子孫などで二次会でも大いに歓談しました。
表舞台の人々とは別に、明治維新の陰の立役者は東西各地の豪商であり、白石正一郎もその中の一人で全財産を明治維新に費やして没落した一人で、その遠縁の子孫にあたる著者だからこそ書ける内容です。冨成先生は、生真面目な性格だけに明治維新と白石家の絡みを真正面から書いている通し番号入り千冊の豪華限定本(価3800円)です。なお、白石正一郎は下関の海を見下ろす平家を祀る赤間神社の宮司にもなっています。HP掲載の私の小説「迷走海峡」の取材で赤間神社にも取材に訪れ、平清盛、耳なし芳一の像にも詣でたことを思い出します。その私も今は戊辰戦争を執筆中、周囲からは余裕があるように見られていますが、本人は全力全霊でやっているつもり、まだまだ先のことですが楽しみにお待ちください。なお、8月は戊辰戦争の勝敗を分けた激戦地、福島県白河市での戦没者慰霊碑の序幕式に参加予定、親類が白河警察の署長を勤めたこともあり、父母が福島県出身の私としては因縁浅からぬ白河・・・やはり、行かねばなりません。
 

出版パーティのお手伝いをします。


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  写真は、白石正一郎が晩年に宮司を勤めた下関の赤間神社・・・私の小説の舞台にもなっています。
 

 お元気ですか?
 今日11日は梅雨の合間の快晴の土曜日、久しぶりの青空でホッとします。
 毎週・土曜日の午前11時過ぎから始まる山口放送ラジオの私の番組も、朝8時に連絡が入って中止、今日はお休みです。
 この時期は、全国各地の高校球児たちが夏の甲子園を目指して予選を勝ち抜くための熱戦を繰り広げています。
 この時期、今は殆ど影響ありませんが10年前は、土曜日の瀬戸内海沿岸の天候が気になって落着かなかったものです。
 理由は、レギュラー出演の山口放送ラジオが、野球の地区予選実況とダブって休みになるからです。
 以前のこの時期は、鮎シーズンで週末になると仲間の誘いがあり、決断しなければなりません。
 雨が降って地区予選が中止になれば、私の占い相談番組があり、晴れれば私はお休み、これが3週は続きます。
 以前なら、天気予報で山口方面に傘マークがなければ、釣り仲間の誘いに乗って伊豆でも那須でも出かけたものです。
 それが殆ど的中しますが何回かは失敗もあります。その場合は河原に上がって携帯での生放送でつい鮎の話題が優先になります。
 最近はもうこの季節には鮎釣りをしませんので、休みには書斎で執筆(といってもパソコンですが)仕事です。
 今月の18日(土)は、知人の出版祝賀パーティのお手伝いをします。
 知人といっても大先輩で、山口県出身の老作家で8月で93歳の冨成博翁、作品は、坂本龍馬や高杉晋作など幕末の勤皇の志士や長州藩を援助した下関の豪商を描いた「渦潮の底・白石正一郎とその一族(右文書院刊)」です。
 冨成翁は、私の友人で開運道講師でもある小美濃清明氏が主宰する幕末史研究会の顧問でもあり、同じく友人で開運道講師・三武義彦氏の経営する出版社からの発刊だけにお手伝いせずにはいられません。そこで、地元下関にも支社のある山口放送報道部カメラマン同道で、テレビにはニュースで、ラジオでは特番編成で私が勝手に喋ります。
 当日は幕末の立役者のご子孫、榎本武揚、勝海舟、木村摂津守、坂本龍馬、阿部正弘、東久世道とみ(公卿)のご子孫・縁者などが出席しますので旧知の仲ですし、私自身が「戊辰戦争」の大作に挑んで取材済みの方々ですが、改めてコメントを頂く予定です。
 なお、公卿のご子孫・東久世章氏は文学・占い共に私の弟子で、開運村ホームページの日本文芸学院で長編小説「太平洋年代記」を好評連載中、占術家としては開運道講師・ビギー・ネプテューンとして現役で活躍中です。
 是非、日本文芸学院で連鎖市中の、東久世章「太平洋年代記」、小美濃清明「坂本龍馬八十八話」もご一読ください。

梅雨に想う


あじさい (2)

 お元気ですか?
 梅雨の季節は降ったり止んだり晴れ間が出てもまたすぐ雨雲がどこからか湧いてきます。室内で仕事をしていても何となくジメっとしていて仕事をしていてもすっきりしません。
 しかも3日(土)夕には関東南部に大雨と土砂災害注意報、千葉県では大雨による避難勧告が1万人超にも及んでいて、神奈川県南部でも避難勧告が出た地区があるそうです。4日(土)朝のテレビのニュースで、今週3つ目の台風11号がマーシャル諸島付近で発生したと報じていました。中心付近の最大瞬間風速は今のところ18メートル、これが徐々にスピードを増して西北西に進んでいますから、いずれ我々にも何らかの影響をもたらすのは間違いなさそうです。こうなると6日(月)からの一週間も傘を離せない毎日になりそうですね。
 それでも、この季節、アジサイが鮮やかに咲き誇っているのに出会うとホッとします。アジサイは字面の紫陽花の通り明るい紫系統の花が多い中、純白のアジサイは心を癒してくれます。梅雨とアジサイ、この絶妙な組み合わせがあるからこそ梅雨時の憂鬱も軽くて済むのかも知れませんね。
 この季節、以前の私なら週末になればどこかの川で鮎釣りをしていました。いくら雨が続いて川が濁っても岩がごろごろしている上流は意外に濁っていないものです。鮎は流れに逆らって必死に上流に避難し、流されずに残った石裏の水苔を争って求めます。したがってこの時期は、いつもはイワナやヤマメを釣る上流でも鮎が釣れるのです。ただし、雨季の渓流釣りには細心の注意が必要なのは当然で、登山の心得がないと源流には入れません。私は幸いに独身時代は登山、沢登りに凝っていましたから滝壺の岩場でも難なく登れます。さすがに後期高齢者扱いになった今は若い頃のような冒険はしませんが、心は躍ります。