月別アーカイブ: 2015年4月

伊豆の海


伊豆多賀駅1

 最近、JRが頑張っています。
 私が住む埼玉県は海無し県、その北の辺境久喜市栗橋駅の上りの終点は長い間、上野駅でした。「ああ上野駅」の歌は、かつての集団就職少年の終着駅が上野だったから出来たのです。長い間、大宮以北の北関東、東北の人達の上京は上野駅が終点と決まっていたものです。これが、いつの間にか東京駅まで延び、新宿経由の逗子行きが現れてビックリしました。ところが、なんと先日気づいたら熱海、沼津駅まで栗橋から乗れる電車が1日に何本か運行し始めたのです。
 以前、友人に熱海の別荘(マンションの1室)を仕事場に貸してくれると聞いたことがあります。 それを思い出したので、何気なく打診してみると「いつでもいいよ。見に行く?」です。で、見に行って参りました。
 てっきり熱海の温泉街だと思っていたら確かに住所は熱海市内ですが駅は伊東線で二つ目の伊豆多賀でした。
 それが今どき珍しい無人駅で、他の乗降客の影も形もないのです。しかも、その駅に停まるJR伊東線が我が家のある栗橋駅から乗り換えなしの一本で一日3本も出るようになったのです。これならグリーン車でも新幹線より格安ですし、いつでも気軽に来られます。
 マンションは駅からの坂を下った海辺にあり地名は下多賀、2LDKと狭いのですが執筆仕事には充分です。駐車場が一階で、友人の一室は5階建ての2階で、相模湾が一望に見える見晴らしのいい和室があります。
 左は堤防の向こうが長浜海水浴場で熱海の温泉街を望み、中央は大海原、右はやはり海水浴場があって網代漁港と町が見えます。

 和室からは海はながめられても殆ど道に面していますので、車の騒音が気になれば奥の洋室に逃げ込めばいいことも分かりました。
 今から30年以上もの昔、私はバスガイドの教科書づくりを手伝ったことがあります。
 バスガイドの経験者なら誰でも所属会社からかドライブインで「トラベル出版のガイド教本」を手にしたことがあるはずです。
 この出版会社の社長が友人で、バスガイドが喜ぶ「面白い教本を!」と注文を受けたのです。
 そこで書いたのが西伊豆を舞台の「風かおる堂ヶ島」東伊豆の「恋ゆらぎ城ケ崎」です。
 次作は箱根でしたが、親会社(印刷)の倒産で書籍事業も断絶、印税目当ての先行投資、自前の温泉三昧取材旅行も経費倒れです。
 作品は、全東京新聞というローカル新聞に連載してムダにはなりませんでしたが未だに残念でなりません。この続編を伊豆の海を眺めながら書くとしても今更バスガイド教本でもありません。では、今執筆中のライフワークの戊辰戦争は? それは無理、雰囲気が違い過ぎます。
     
 ぶらぶら近所を歩いてみるとバス停まで1分、スーパーまで2分、食事処まで2分、堤防まで3分。あれ? 白い割烹着のままのおばさん釣師がなにか釣り上げました。急いで見に行ってみると、結構なメバル、バケツの中でも何尾か泳いでいます。聞いてみると「夕飯のおかずだよ」、これで「女の人は釣りが上手」が納得できます。さらに、マンションから3分ほどで人口の掘割があり小魚がすいすいと楽しげに泳いでいます。と、なると近くの川ではいつでも淡水魚のザコが釣れるはずです。
 そこでふと気づきます。ここは仕事場には不向きだ! と・・・

 なお、「風かおる堂ヶ島」は古い原稿を打ち起こして、HP[花見正樹作品集」で連載中です・
  本文の中に出てくる景色は、宜しければ本HPの「写真館・村長の日々のつぶやき」でどうぞ。
   

栄枯盛衰は時の流れ


 TDS表面2

上の写真は、4月20日(月)午後1時5分のディズニーシー入口正面の地球儀モニュメント前の広場です。
 ここは平日でも黒山の人だかりで、写真を撮る人が順番待ちで並ぶ場所なのに、この時間、人っ子一人もいなかったのです。
 天下のデズニーですから、このようなガラガラ日の危機的光景を公開しても問題はありませんが、新アトラクションの取材に訪れた私としては、信義上からもフェースブックなどで広く世間に知らせることは出来ません。
 そこで、内輪の「今日の一言」に載せたのです。
 この日は一般公開に先駆けて、4月24日公開の新しいミュージカルショー「キング・トリトンのコンサート」のプレス視察日でした。
 毎回、新たなアトラクションがある場合は、来場者の少ない日を選んでマスコミ招待日を決めるそうですが、今回もドンピシャリ、乗り物は全て待ちなしで乗れるという驚くべき1日でした。ちなみに、前に家族で来た時は「海底2万マイル」が2時間待ち、「センター・オブ・ジ・アース」は1時間40分待ちでしたが、今回は待ち時間0分、こんなのは初めて、もう二度とないでしょう。
 事業の栄枯盛衰は時代の流れと社会的環境の変化で大きく変わりますが、まだまだ飲食・娯楽・レジャー関連産業は平均して安泰、大ピンチなのは新聞・出版・家電・文具業界などのようです。中でも出版業界の衰退は目をおおうばかりで、出版社で業績がよく黒字経営なのはほんの一握り、ほとんどは赤字経営で青息吐息、いつ倒産してもおかしくない状況です。では、それが電子書籍に変わったかというと、そうでもありません。電子書籍も売れていないのです。 よく「若者の本ばなれ」という言葉を聞きますが、これは間違いで真相は高齢化社会の影響による「年配者の本離れ」のほうがはるかに多いはずです。高年齢で目が弱くなれば、誰でも本も新聞も読まなくなります。現に、日曜日に子や孫と大型店舗型書店に行ってみると、顧客は若者ばかり年配の人の少ないのは一目瞭然、若者は新聞は読みませんが本は読むのです。
 さて、そうなると作家のはしくれの私としては、若者受けに路線変更しなければ、とも考えますがもう間に合いません。
 結局、自分は自分、人は人、わが道を行くしかない、と腹をくくって今まで通りの平凡な生活に・・・以って瞑すべし、です。

桜はほぼ散りました。


3人花見 (2)

 写真は、親子3代での葉桜見物・・・左から、私、母、私の末娘です。

桜が散ると何となく気合が入って、やる気のエンジンが唸り始めます。これが、例年の私のライフスタイルなのですが、今年はまだ気ばかり焦ってパワー全開にはほど遠い状態です。それでも、身の回りの出来事が一つづつ整理されてゆくと焦りも収まって気分も落ち着いてきます。
 先日来、本業の花見化学を任せた長男に膵臓ガンの疑いが出て、ガンではないと診断されてホッとしたところです。
 ところが、その経過が悪くて精密検査のために東大病院を紹介され待機中、これでは落ち着きません。
 気のせいか、最近、身内や友人知人に健康不調を訴える人が増えたような気がします。その内容は、ガン、心臓疾患、糖尿病、前立腺、痛風など様々ですが生活習慣病を疑えるものが殆どです。
 男で多いのは大酒飲みか喫煙者、医師の勧告を無視してタバコを喫い続けている人も何人かいます。自分や家族を考えたら、もっと健康に留意しなければ、と思うべきなのに全く気にもしません。健康だけは自己責任ですから自分で管理するしかありません。その管理を怠るのはれば自滅です。
 私はかつて中国の文化革命で日本に帰化した蔡一藩(さいいっぱん)師に風水とツボ療法を二年間教示され、今もそれを「手もみ健康法」として用いていますので健康状態良好、病気知らずで過ごしています。その手もみを母親にも用いていますので、母親も100歳を超えてますます元気、嬉しい限りです。

 今日12日(日)も、県議選の投票を兼ねて母親連れで近所の残り桜を楽しんできました。葉桜寸前で見ごろとは縁遠い無残な姿の桜並木でしたが、天候もよくおだやかな日曜日、親孝行ではなく自分が息抜きをした感じです。今回の選挙は、統一地方選の前半戦とかで、知事選は北海道、神奈川、三重、福岡、大分など10道県、県会議員は41道府県、私の住む埼玉県は知事がなく県議だけの選挙で、用紙に書き込むのは候補者一名の名前だけです。ところが、いざ名前を書き込む段になって立ち往生です。なんと時代の移り変わりで候補者がいつの間にか一新されていて知っている名前が5,6人並んだ一覧表にないのです。仕方なく所属をみて知らない人物の名を書き込んできましたが釈然としません。明日には忘れますが、今はまだ事前調査不足を少しだけ恥じています。

 今週のニュースでは、二つの出来事が気になりました。
 一つは、オバマ米大統領とキューバのラウル・カストロ議長との握手です。
 59年前、ソ連からのキューバへの核弾頭や石油輸送を海上封鎖で遮って第三次世界戦争必至という緊迫感を感じている世代としては、あの東西冷戦時代の両陣営は、開戦か戦争回避かで紛糾し一触即発状態でした。あの時はソ連が手を引いて開戦は免れました。その2年後、米国とキューバは国交を断絶、米国はキューバをテロ支援国家に指定して敵国としたのです。私たちの世代は、このキューバ革命の立役者フィデル・カストロを熱狂的に支持し、その映画もヒットしました。当時30歳だったカストロは、ゲリラ戦を次々と増強される米軍を完膚なきまでに叩いてキューバから追い出したのです。
 大国アメリカに勝ったキューバ・・・これが当時20歳だった私の記憶です。
 革命前のキューバでは、殆どの大農園が米国企業の所有となって、国の経済も米国の支配下にありました。その農地を返還させてキューバ国民に開放し、経済と秩序をキューバを民族自決主義国家として正常に機能させる、というのがカストロの掲げたキューバ革命です。このカストロの農地改革に対して、米国は即座に報復処置をとりました。米国企業が独占していたキューバ国内の石油精製事業の中止を命じたのです。
 困ったキューバは、米国を敵視するソ連に接近して石油の輸入を始め、キューバは米国陣営からソ連陣営に変わります。
 ソ連にとっては願ってもないチャンスです。米国本土からわずか140キロの至近距離にミサイル基地を設置できればアメリカ全土が射程距離に入ります。そうなれば、東西冷戦状態の均衡が破れて圧倒的にソ連側陣営に有利な状態が世界中を支配したのです。
 それを防いだのが、米国の臨戦態勢での海上封鎖です。この時、ソ連船団が封鎖を強行突破すれば第3時世界大戦でした。
 その後、キューバはベネズエラべから石油を輸入していますが今後はどうなるか分かりません。
 今回の和平交渉を指示したと言われるキューバ革命の親・フィデル・カストロ初代議長は89歳でいまだ健在です。
 やはり、健康が一番、健康であればいい考えも浮かぶものですね。

180歳の花見親子の花見!


母と花見

 お元気ですか?
 この週末(4月4,5日)はまだ私の家の近所では満開の桜が見られます。多分、来週までは春一番の強風などで花は散り、葉桜になりそうな気配です。
 写真は、”180歳の花見親子の花見”と題して、フェースブックに載せたものです。
 母100歳8ケ月+私79歳3ケ月=約180歳、です。
「桜が咲いたよ」「じゃ、見に行こう」、こんな身軽さで母は応じます。杖なしでぶらぶら歩いて桜を堪能し、「これで長生きできるよ」などと言います。
 ところで、日本の三大櫻といえば、三春滝桜(福島)、山高神代桜(山梨)、根尾谷淡墨桜(岐阜)ですが、私はまだ三春桜しか知りません。なんとか生きている間に、もう少し桜の名所を歩いてみたいものです。
 五大桜といえば、これに、石戸蒲ザクラ(埼玉)と、狩宿の下馬桜(静岡)が加わりますが、ここにも行ったことがありません。
 ただし、日本三大夜桜の、弘前公園(青森)、上野恩賜公園(東京)、高田公園(新潟)には行ったことがあります。ただし、上野公園以外は昼間のお花見です。
 さらに、みちのく三大桜は、弘前公園(青森)、市立公園展勝地(岩手)、角館のシダレザクラ(秋田)で、桜を見たのは弘前だけです。
 大きく地区で分けての花見の三大名所は、弘前公園(青森)、高遠城址公園(長野)、吉野山(奈良)です。
 これは文句なし。どれにも思い入れがあるだけに甲乙つけ難いところがあります。
 それでも、どこが日本一かといえば、この母親と写真を撮った場所、埼玉県南栗橋の無名の小川の両側のい桜並木です。
 なぜ、日本一かというと、花見客が私ら以外誰一人いませんので、日本一空いているお花見の名所、ということです。
 ところが、これは私だけではありません。皆さん、それぞれが家のご近所にそのような名所をお持ちのはず、納得ですね?