思い込み


 お元気ですか?
 大相撲春場所の千秋楽前日で、優勝争いはモンゴル出身の白鵬と照ノ富士の二人に絞られました。
 結果的には白鵬が白馬富士を破っての優勝で幕を閉じましたが、しかも、照ノ富士、逸の城の台頭で、これでまた日本人横綱出現の夢は遠のきました。横綱への夢を託した稀勢の里にも、ほとほと愛想が尽きました。
 とうとう日本の国技だった大相撲も、モンゴルに乗っ取られてしまいました。こうなると、日本での興行権を日本相撲協会が名義借りているような塩梅で、モンゴル力士に勝たせているのも納得できます。よく考えれば、白鵬に過去最高の11回も勝っている稀勢の里は、照ノ富士に勝っています。その照ノ富士は白鵬に勝っています。となると当然、一番強いのは白鵬に勝った照ノ富士を破った稀勢の里のはずです。
 その一番強い稀勢の里が白鵬との対戦で、目を瞑って突進して自分から土俵に転がったのですから納得できません。
 しかも、アッという間の0.6秒、これで自分から土俵に転がったのですから、さすがに稀勢の里ファンの私も「アッ」と叫んだ口を閉じるのに3秒かかりました。まさか、稀勢の里がこんなに芝居が下手とは思ってもいなかったからです。
 白鵬が横綱らしからぬ右への変化で、大阪の心無いファンから「ドアホ!」それでも横綱か!」「アホか?」と汚いヤジを浴びていましたが、それは筋違いというもので可哀想です。こうでもしなければ優勝回数でも何でもモンゴル大相撲本家の横綱が、従属する日本相撲協会の記録を塗り替えることなど出来ません。最近では稼ぎに稼いで故郷に大型マンションを建築中、部屋の親方を陰ではアホ呼ばわりとか週刊誌で見ましたが、これも貧乏人の妬みと考え、あるいは、すでに引退して実業界で活躍中のモンゴルの先輩横綱と比較したら何の問題もない範囲内です。なにしろ、先輩力士ときたら金銭問題で揉め、親方と取っ組み合いのケンカの末馬乗りになって殴りつけ、弟子達が力づくで止めなければ師匠の命はなかった、と噂されるほどの金の亡者だったそうですから、モンゴル大相撲日本場所に出稼ぎに来ている後輩の力士達が目の色変えて強くなるのは当然なのです。
 この、白鵬の横綱相撲らしからぬ勝利に、私は今、将棋でのある出来事に思いを重ねています。
 同じ日の出来事です。
 日本将棋連盟は、人類のプライドと英知を賭けて、ここ数年敗北を喫している最強の敵コンピューターソフト軍と団体戦で戦っています。
 プロ棋士対コンピューター、その生活を賭けた死闘は中途半端ではありません。両団体にはこの戦いに将来の盛衰がかかっているのです。
 ところが、本家の人類棋士の棋譜をインプットした新参者のコンピューターソフト棋士はめきめきと腕を上げ、たちまち本家を超えてしまい、5対5の団体戦で昨年も後進のコンピューター軍が第一線の人類プロ棋士を3勝1敗1引き分けと圧勝して本家を乗っ取ってしまったのです。これで人類は連敗、もう後がありません。
 もう、こうなると日本将棋連盟も必死です。今年は、第一戦を幸先よく人類の斎藤五段が接戦を制してコンピューターソフトを破っているだけに日本将棋連盟の張り切り方は異常なほど盛り上がっています。なにしろ、他の業界に先駆けて人類とコンピューター間の戦争は始まっていたのです。
 今回の日本将棋連盟の「勝つぞ!」の意気込みは、モンゴル大相撲連合軍に制圧された日本大相撲協会の比ではありません。今回の決闘の場所は、坂本龍馬の生地で知られる高知市の高知城近く、人類は「加古川青流戦」で優勝実績のある永瀬拓矢六段(22)、対するコンピューターソフトはセレネ六段(年齢不詳)、立合人は開発者の西海枝昌彦さん。この勝負の勝敗が日本将棋連盟の未来に大きく拘わっているのは間違いありません。ちなみに服装は永瀬六段が洋服、西海さんは羽織袴姿の和服でどっちが棋士かは外見では分かりません。
 この試合の立会人や見物客や野次馬で高知城近辺は大変な賑わいだったと聞きますから、相撲、野球ファンから見れば地味でも将棋ファンもまだまだ捨てたものではありません。ただ、このまま日本将棋連盟のプロ棋士がコンピューターソフトに敗け続けると、誰も棋士に月謝を払って弟子入りすることなく、ソフト会社が独り勝ちになってしまい、やがては連盟もソフト会社に乗っ取られてしまいます。
 そんな息詰まるような緊張の中、試合は一進一退の激しい攻防の中、中盤に差し掛かり、永瀬六段が角を動かして「王手」です。勿論、王が動く場所も駒で防ぐ手もありますから、ソフト側には痛くも痒くもなく防げばいいだけです。
 ところが事件はここで起きました。
 王手をかけた角が相手側に入ったのに「成り角」にならずに素のままだったので、その常識外れの一手にソフト側に対応策がなかったのです。ソフトのプログラム不備で、セレネ六段は王手を放置したまま別の手を指し、あえなく反則負けとなってしまいました。王手を差されて、それに対応せずに他の手を打つのは将棋では反則で、これは電王戦では初めての出来事だそうです。
 歩、桂馬、銀、角、龍など相手陣に動いた場合は全て裏返しに「成る」と常識的に考えてソフトが創られていたのです。永瀬六段はそれも考えての奇手だったそうで、これは人類の頭脳の勝利です。
 私は以前、テレビの早指し選手権で時間の無くなった棋士が秒単位で駒を置くとき、裏返しの時間を省く苦肉の策を見ました。それで時間を稼いで、攻める時に具えて最終的に勝った対局でした。思い込みで手抜きをして敗けたソフト製作者の西海さんは、帰宅後ただちに欠点の改良に入ることでしょう。
 さて、大相撲の稀勢の里対白鵬戦に戻ります。
 横綱だから横に逃げることは絶対にない、そう信じて思い込みで敗けた稀勢の里は、やみくもに突進する悪癖を克服するか? ほんの少しでも白鵬が優勝とか賞金の束に貪欲で執念深いかを考えれば、白鵬を倒した照ノ富士を倒した自分を恐れて、白鵬が横に逃げるのは当然と考えなかったのか? その頭の中のコンピューターは疑うことをしないのか? 稀勢の里に完璧を求めるのは無理かもしれませんが、稀勢の里に反省し努力し欠点を修正する気持ちが少しでもあるならば、あの腰高の立ち合いを是正すれば、格下力士との取りこぼしがなくなりますので、日本人横綱誕生の我々の悲願も叶えられるはずです。でも、稀勢の里は人類ですから、そう簡単には欠点を修正できません。
 そこでハタと気づきました。私は昔から、柏戸、朝潮、雅山、稀勢の里と勝ちそうで勝てない力士ばかり応援しています。
 なんでなのか? やはり、私も人類、仕方ないと諦めるしかありません。