お元気ですか?
今回の取材旅行は山形県の庄内地方でした。
同行は友人で坂本龍馬研究家の小美濃清明氏、当初は二人で出かける予定です。ところが前日になって、小美濃氏の奥方が参加を希望されて同行3人、私のマイカーで賑やかに出かけました。
季節は秋たけなわの季節、出羽の山々は紅葉の真っ盛り、全山華やかな秋の彩に包まれていました。3人共通の取材目的は、明治維新のきっかけをつくった浪士組とされる京都守護を目的として浪士組を結成した清河八郎の遺品や資料が展示されている清河八郎記念館です。記念館は、清河八郎を祭った清河神社の広い敷地内にありますので、神社にも近くの歓喜寺にある清河一族の墓にも詣でて手を合わせて参りました。
館内の取材では広田館長の特別許可を得て、清河八郎の妻お蓮が獄中から夫に出した手紙や八郎直筆の書、戊辰戦争で使われたゲーベル銃など展示物の写真も充分に撮らせて頂きました。
清河八郎の幕府への献策で明治維新の先駆けとなった浪士組は京都に赴任してすぐ清河八郎が勤皇の立場を明確にしたため二つに仲間割れし、京都残留組と江戸への帰還組とに分かれます。京都残留組は新選組となり、江戸に戻った組は新徴組となって江戸の治安を任されます。
幕府の委託を受けて浪士組をまとめた清河八郎は、勤皇に寝返ったことで刺客に倒されますが、新徴組は庄内藩に託されて戊辰戦争では新政府軍をおおいに苦しめます。
戊辰戦争の奇跡として知られるように、庄内藩は会津落城後も孤軍奮闘し、新徴組を前線に勇敢に戦い、最後まで新政府軍を自軍の領地に進行させなかったことで西郷隆盛を感銘させた実績があり、寛大な戦後処理によって被害を最小限で食い止めることが出来ました。その戦いは凄惨を極め、弾薬尽きての白兵戦もしばしばだったとも聞きました。いずれにしても、庄内地方の戦場の雰囲気はしっかりと目と頭に刻み込んで参りました。
その勇猛で鳴る庄内藩新徴組が拠点としたのが山形県鶴岡市湯田川温泉地区で本部跡が私達が泊まった300年の歴史をもつ隼人旅館です。若主人の庄司庸平さんに案内されて新徴組戦死者の墓地にも詣で、有意義な取材旅行になりました。