高校野球に想いを馳せて


高校野球も各地で甲子園出場校が決まり始めていよいよ夏本番です。私が子供の頃は、まだサッカーは知りませんでしたから男の子は誰でも野球でした。
 中学までは私も野球漬けで県大会まで・・・高校は定時制で野球部はありませんでした。その子供時代の野球好きが高じて、花見化学を立ち上げた時は早速、野球チームを作りました。営業社員には、積極的に対戦チームを探させ、日曜日は毎週、取引先のどこかと試合です。
 当時はまだ週休5日制は定着していませんから土曜日はナイターです。とはいっても照明設備のある球場は限られていますので、相手が決まる前から予約を済ませています。なにしろ、社員には元高校球児かいて仕事より野球が好きな連中ばかりでしたから連戦連勝でした。やがて、ボーリングと麻雀ブームがきて野球の対戦相手がいなくなり、社内野球は終わりました。
 その後、縁があって元中日ドラゴンスの4番打者でプロ野球監督を経た江藤慎一氏が私の元に来ました。そこで意気投合し、少年野球育成を目的とした元プロ野球選手による野球指導の会を始めました。これには名球会の方々の賛同もあり、各地から依頼が来て順調でした。
 ただ残念なことに、これに目を付けた当時与党の大物政治家が地元の支持者を集めて自分の売名行為に利用したのです。
 これを後で知って私はがっかりしました。
これは、純粋に野球が好きで始めた私の趣旨とは反しますので、私は江藤氏と話し合って少年野球ボランティアから手を引きました。この少年野球のおかげで、長嶋さん、王さん、金田さん・・・沢山の野球人とも知り合いになりました。その時代の相棒・江藤慎一氏も修善寺に野球学校を開いて志半ばに逝き、残念ながら夢は実りませんでした。
 そんな経緯を経て、私は今でも高校野球が始まると、自分の青春の血の騒ぎを感じます。しかも、その血の騒ぎは野球だけに向かっているのではありません。高校野球が始まるころから鮎釣りの支度をするのが、ここ数年の週間だからです。
 心はすでに、熊本県球磨郡を流れる日本三大急流の一つ、球磨川の大鮎釣りです。
 自分の腕は下手でも地元の釣友には恵まれていますので、現場の心配は何もありません。あとは、急流の中に運の悪い大鮎がいて、私の運が良ければ釣れるはず、です。
 そんなヘボ釣り師の私に、大鮎釣りの本を書かないか、と物好きな出版社の社長が言います。
 私は以前「巨鮎(おおあゆ)に憑かれた男たち」を出刊し、それはそこそこ売れました。
 東京駅八重洲口のブックセンターでは、一般小説枠で山積みしていました。
 その二番煎じを狙っての提案ですが、釣りブームはとうに去っています。
「今更、そんなの誰が読むと思うんです?」
「全国の鮎釣りファンは読みませんか?」
 これこそ、とんでもない誤解というもの、人は自分にプラスにならない本は読まないものです。全国各地の鮎河川を渡り歩いた私の実力を知る釣友が、腹を抱えて笑う姿が目に浮かびます.その悪夢を振り払うように「今年こそは尺鮎を!」、と小声で呟いています。
 足首の捻挫はかなり腫れと痛みが失せています。何とか川に入るまでには完治しそうです。