お元気ですか?
残念ですが、やはりワールドサッカーでの日本選手は善戦空しく敗退しました。
ゴールは遠い・・・目の前にゴールが見えていてボールが足元に来ても思い切って打てないのです。
勝負事を支配する5項目は、自信、体調体力、技術、環境、運です。これは、仕事にも私生活にも言えることです。
自信がないと背中が丸まり目線が下に落ちし視野が狭くなり「失敗したら」が頭をよぎり消極的になります。精神的に充実していて自信満々なときは怖いものなしで、積極的になります。
体調は体力を含めて大きな要素ですが外からは見えない場合もあります。高地での激しい運動では酸素の必要量が不足したら、たちまち体の動きは鈍くなります。極端な暑さでの発汗や空腹もスタミナを失う原因になります。暑さに慣れていない選手が酷暑の中をハーフ45分、その倍をフルに走り抜くなど無茶で無理です。体力に自信がないとき人は本能的に自己防衛で力を抜き全力疾走を怠り、残存体力を温存しようとします。
埼玉県川口市の公務員市民ランナーは、いつもゴールに倒れこみ失神状態で担がれて退場します。勝っても負けても余力がないほどの全力疾走、だからこそ観客の感動を呼ぶのです。その気力が技術を上回る場合もままあります。
さて、その技術ですが、これには天性の素質と人に倍する努力以外にはありません。一流選手には、並とは違う天性の俊敏さや頭脳の反射神経や動体視力など優れた要素が備わっています。それを磨くための誰にも負けない忍耐強い努力、これを怠ったら一流にはなれません。
世の中には優れた才能を秘めた一流予備軍の人もたくさん埋もれています。天才、秀才もゴロゴロ転がっています。
では、なぜそれらの人が脚光を浴びないで埋もれているのか。環境に恵まれないと、その才能を世に出すことも出来ません。
環境とは人間関係で築かれるもので、人望がなければ誰も引き立ててくれません。その上に運の良し悪しが、人の活躍や成功に大きく影響します。
さて、その観点から考えると、今回のワールドサッカーは日本選手のコンディーションづくりの難しい環境でした。
初戦も慣れない深夜の試合でしたから、体のあちこちの体内リズムが狂っていたはずです。
もちろん、相手も同じ条件です。
そんなときは、ムードメーカーが盛り上げて明るくお祭り騒ぎで勝ちムードを作らねばなりません。日本の有名選手でも、悲壮感を漂わせて暗い顔で個人プレーに徹して必死だった人もいます。仲間を信じきれないから自分で何とかドリブルで持ち込んでシュート、これでは勝てません。
環境と運がよければ自分の前に仲間から送られたボールが来て自信をもってシュート! これが決勝点、これでいいのです。
ともあれ、日本選手はせいいっぱい頑張ったのは間違いありません。自信、体力、技術、環境、運・・・これらに恵まれなかっただけです。
さあ他人ごとではありません。
自分もまた、この5要素との闘いが始まっているのです。
月別アーカイブ: 2014年6月
二刀流・大谷選手!
お元気ですか?
今週は意図的にワールドサッカーの話題からは遠ざかります。
期待し過ぎても期待しなくても胃に悪いような気がするので
す。つぎの試合では、スパッとゴールを決めての予選突破を願
うばかりです。
さて、サッカーから離れると野球・・・こうなりますが興味
ありますか? 私は昔、中日の四番打者で監督も経験した江藤
慎一氏と少年野球指導の会を運営したほどの野球キチです。
ま、野球に興味がなくても日本ハムの投打二刀流・大谷翔平
の名ぐらいはご存知ですね?
6月21日現在、投手としては時速160キロという記録に
残る剛速球を武器に7勝2敗、打者としても並みいる強打者に
交じっての2割8分台で本塁打も二本という強打者です。
しかもセパ交流試合前は3割以上の高打率でパ・リーグのベ
スト10打者上位の常連だったのです。その二年目で花開いて
大活躍の大谷選手に改名を勧めた者がいるのですから呆れます。
昨年の4月19日、プロ野球開幕後のことでした。
某スポーツ新聞紙面半分の大きな紙面を使っての姓名判断で
す。その一部を紹介します。
「大谷翔平という名は、大きく羽ばたいて山を越え谷を越えて
平然と我が道を行く、大きな名です」
ただ、自覚からみると「ケガに注意」と出ています。
そこでは、肩を壊したりでいつか行き詰ったときは、アダ名
そのままの「ショーヘイヘイ」に改名を勧めています。
その理由を、紙面いっぱいにるる説明してあるのです。
早速、記者がその新聞をベンチに持ち込むと本人も大喜びで、
監督まで大乗り気だったそうです。
今ではチームの誰もが大谷選手を「ショーヘイヘイ」と普通
に呼んでいるそうです。
これなら今のところ改名の必要はありません。
本名の雄大さとアダ名の幸運に守られるからです。
記事のタイトルは、こうなっています。
「大谷に改名のすすめ・・・開運のカリスマ・花見正樹氏、こ
れで完璧!」
副題に「ティー打撃の大谷に花見氏(写真)がアドバイス」と
あり、私と大谷選手の写真が載っています。
幸いに大きなケガもなく大活躍の大谷選手で一安心、まだまだ
改名の必要はありません。これには後日談があります。
おかげで何人かのプロ野球選手から改名の相談を受けています。
ただし、いまのところ二軍の選手ばかりです。
しかし、改名後大活躍のイチロー選手の例もありますので、こ
れから一軍に這い上がる選手がいるのを楽しみに待っています。
我が家もテレビ応援でした!
お元気ですか?
今週は何はさておいてもまずワールドサッカーからですね。
わが家も他にもれず週末には泊まりに来る息子や孫がテレビを前にして遅い朝食後のデザート替わりの応援でした。
本田選手が得意の左足とかで相手ゴールにボールを蹴り込むと、5歳の孫までが意味も分からずに周囲に和して圭佑コールに拍手で喜びを表現します。こうして前半は勝ちムードで折り返しでした。こうなると誰ひとりとして日本チームの勝ちを疑いません。
しかし、この油断こそ日本のお家芸、たった2分の間に2点、考えられないような惨めな失点でした。
この魔の2分間で逆転された途端、画面に映し出される日本選手の雨に濡れて疲れきった顔、スピード感溢れる相手に翻弄さ必至にれて足取りが重くなってゆくのを見るにつれ勝ちが遠のくのに気づいて、家族の応援も何となく勢いが失せてきます。
ここで選手がサッカーを楽しむ笑顔を見せれば救われるのですが、たかがスポーツなのに国民の期待を裏切るのを恐れるように悲壮感を漂わせて必死に相手ボールを奪いに走る姿は勇敢にも惨めにも見えて哀れにさえ思えて、応援にも悲壮感が漂うのです。
多分、充分な眠りもとれないような強いプレッシャーの中、治安も環境もよくない異郷の地での深夜の戦い、これは辛いはずです。
好きで選んだ仕事なら、もっと楽しめないのか?
もっと伸び伸びと、自分の個性を生かせる仕事は出来ないのか? 出来ないのです。
なにしろ一人ひとりが海外の有名チームで活躍している選手です。監督はチームプレーを訴えて作戦を練り、各選手もその通りに練習を重ねて本番に備えます。しかし、いざ本番になって野に放たれれば、監督に飼い慣らされた従順な飼い犬も野生の狼に逆戻りです。
それぞれが個人技に走って、まず一人が好結果を残します。
すると、本来はそれぞれがライバルですから目立ちたがろうと必死に動いてアシストを忘れてミスを犯します。
これが命取りになって敗者の悲しみにつながるのです。
20年前のドーハの悲劇を覚えていますか?
あの時は勝利寸前、ロスタイムもあと僅かでした。
ほぼ時間切れで安心し切っていた日本が、ロスタイム20秒に意表を突いたイラクに同点ゴールを決められて本選出場を逃したのです。あれ以来、「ドーハの悲劇」=「油断禁物」、これが合言葉だったのに未だに同じことを続けています。
イラクのフセイン政権時代、サッカーの国際試合で惨めな敗戦をすると、選手は帰国後両手の爪を剥がされたそうです。
日本は違います。
よく頑張った、せいっぱいやったんだから悔いはないだろ?
とんでもない・・・この試合で自分の力を出し切れずに敗戦の一因を担った香川選手などは一生心の中で自分を責め続けるはずです。
これも哀れですが、それをバネに大きく飛躍できればそれも良し、何事もプラス思考で負けもまた良しとしましょう。
つぎの試合で全力を出し切ってくれればいい! これが日本式応援というものです。
梅雨とアジサイ
お元気ですか?
関東地方はいよいよ梅雨入り、いきなり豪雨ですから調子が狂ってしまいます。
私は雨が好きですが、それも程度問題です。いくら雨が好きでも、人家に被害を及ぼすほどの豪雨は当然ながら嫌いです。
やはり、梅雨はアジサイの花を引き立てるようにしとしとと風情よく降ってほしいものです。私は雨も好きですが、それでもせいぜい週に一回がいいところです。
築地にいますと来客との食事はどうしても寿司になります。築地にも美味しい日本そば、パスター、ラーメン、カレー、うなぎの店があります。
ここで言葉遊びを考えてみました。
私は「寿司」も好きですが毎日はいけません、せいぜい週に2回がいいところです。私は階段上りが好きですが毎日はいけません、せいぜい週に2回がいいところです。私は徹夜仕事をよくしますが毎日はいけません、せいぜい週に2回がいいところです。私は「天ぷらザルそば」も好きですが毎日はいけません、せいぜい週に2回がいいところです。
さあ、あなたも同じように字遊びに挑戦してみてください。なにか一つぐらいは万人共通の文字が入るかも知れません。
もちろん「・・」の中の文字数に制限はありません。
1、私は「・・・」も好きですが毎日はいけません、せいぜい週に「 」回がいいところです。
2、私は「・・・」も好きですが毎日はいけません、せいぜい月に「 」回がいいところです。
3、私は「・・・」も好きですが毎日はいけません、せいぜい年に「 」回がいいところです。
上記は別にアンケートを求めているわけではありません。
わざわざメールを頂かなくても・・・でも、意外に匿名のフリーメールが届くので、つい期待してしまいます。
さて、
梅雨の季節が旬のアジサイ(紫陽花)といえば、関東では栃木の黒羽、群馬の下仁田あじさい園、埼玉県は我が家に近い幸手権現堂公園、千葉県では松戸のアジサイ寺・本土寺、東京では花見化学から歩いて数分の向島百花園、練馬の石神井公園、土方歳三ゆかりの高幡不動尊金剛寺もなかなかの花寺です。
神奈川県・・・これは別格、アジサイは何といっても私の一押しは鎌倉です。6月の鎌倉は雨の季節にも関わらずアジサイを見に訪れる観光客で溢れます。
鎌倉のアジサイ寺といえば、明月院、東慶寺、長谷寺、鎌倉宮 、瑞泉寺、長谷寺、東慶寺など数々あります。
なかでも四季折々の花の名所が長谷寺で、アジサイも約40種、なんとも色鮮やかで見事なものです。
とくにアジサイ寺で名高い東慶寺の境内には30種以上のアジサイの他に菖蒲の花が見頃を迎えます。
しかし、私のお勧めはアジサイの穴場・北鎌倉の円覚寺です。この寺には国宝の舎利殿や数々の重要な歴史建造物があります。
アジサイの種類は10種もありませんがヤマアジサイを中心に実に見事なものです。
私は若い頃、弓道との関連でこの円覚寺で座禅修行をしていた時代があり、寺と禅師には深い思い入れが残っています。
師は朝比奈宗源というお坊さんで臨済宗円覚寺派管長、世界連邦日本仏教徒協議会会長などを経て昭和54年に88歳で逝きました。
この禅の修業が今も私の精神的な支えになっていて、それがアルファー波の研究につながっています。
その上、鎌倉には青春時代の追憶が今でも胸の奥深く眠っています。それを語るのは本意ではありませんので氷結しますが、ともあれ雨の鎌倉はアジサイがよく似合います。
長く辛く落ち着かない日
お元気ですか?
5月31日は禁煙デー、6月1日は鮎の解禁日です。
殆どの人には関係のないことですが・・・
ただ、この6月1日は私にとって長く辛く落ち着かない一日なのです。
5月31日の深夜、寝不足の頭痛を堪えて週末の締切原稿で徹夜です。
日テレ系地方局数社が私の占い原稿を元に視聴者に毎日の占いを提供しています。
日曜の夜までに発送すればいいのですが、今年は例年と違って6月1日が日曜日になってしまいました。
この日だけは特別なのは私をよく知る人には理解して頂いていることです。
私は以前、全国の鮎河川を対象に小説を書いて「つり人」という月刊誌に連載していました。
「魔の四万十川」「利根川心中」「狩野川慕情」「鬼棲む球磨川」「埋蔵金秘話」で那珂川&大谷川などです。
その他、エッセイではありとあらゆる河川を舞台に鮎と人間の交流を書き続けてきました。
その結果が「巨鮎(おおあゆ)に憑かれた男たち」という小説でした。
その後遺症で、いまだに各地の漁協から鮎の解禁日になると招待状が届きます。
時間があれば全国どこでも飛び歩くのですが、身一つではそう自由は利きません。
それでも今年は解禁日が日曜日ですから、一か所ぐらいは顔を出すつもりで急ぎ仕事です。
わが家からですと高速で2時間もあれば栃木県の那珂川、北部漁協に行けます。
ただし、解禁日の若鮎を釣るような繊細な仕掛けは用意しませんから竿は出しません。
漁協役員と挨拶を交わした後で川に向かいます。
地元の釣優が友がどの場所に入るかは例年ほぼ決まっています。
あちこちで知人を見つけては釣果を冷やかし河原で茶飲み話です。
以前は前夜祭に参加して、夜明けと同時に竿を出していたものです。
それなのに、この変わりようは自分でも呆れるほどです。
と、淡々と尤もらしく説明しましたが、これには少しばかり事情があります。
私のホームグラウンドは、栃木県鹿沼市の農村から日光連山の山裾に近い大芦川水系です。
そこは高知県四万十川支流の大淀川と並び称されるほどの日本有数の清流です。
水がきれいなら水底の岩に良質の苔が付着し、それを食む美味しい鮎が育ちます。
ただ惜しいことに川が小さいために、盛期の大鮎に育つ前に殆ど鵜と釣り師に獲られてしまうのです。
それと先年、豪農でその川で鮎のオトリ屋を営んでいた私と同年の釣友が逝き、足場を失った感じでもありました。
さらに大きなダメージを受けています。
栃木県喜連川(現さくら市)出身の親しい釣友が二度目の軽い脳溢血でリハビリ中なのです。
6月中旬まで頑張ってリハビリをし、7月になったら那珂川あたりに拉致します。
これは、たとえ車イスでも「実行する」と奥方にも宣言して許可を得ています。
数年前の発作後は伊豆の狩野川に連行しました。
鮎の溜まりそうな瀬の水際ぎりぎりの岩に腰をかけ、そこから竿を出します。
手先は器用に動かせませんが、好きなことですから何とか自分で頑張ります。
掛かると呂律の回らない口で歓喜の声を上げ、なんと深場に立ちこんだ私より数多く掛けました。
その日を境に体調が一気に回復し、その良く年は殆ど健康を取り戻していたのです。
その友人もまた、この時の感激が忘れられず、この夏の鮎が待ち遠しくて溜まらないのです。
その友人のためにもその日までは鮎竿を封印して待つつもりです。
その友人との約束を果たしたら、九州の大鮎との出会いが待っています。
さあ、待ちに待った夏だぞ!
その前に早く何とか原稿を・・・もう日が高くなって、いま、焦りに焦っています。