今週も桜についてです。
前回、これからは桜吹雪の下を歩く喜びが加味される、と書きました。すると早速、会員の方から「同感です」とのメッセージがありました。
日本の春は草花の成長で知らされますが、雪国でも雪解けと同時に地中から芽を出す草花で春の訪れを感じるそうです。
梅に続いて満開の桜の輝くような美しさを眺めるとき、私は無心に満足感を感じます。それでも、その満開の桜に何か物足りなさを感じているのも事実です。
桜は散るのを眺めてこそのお花見だからです。その春爛漫の満開の桜の盛りもわずか数日、散り急ぐように舞う桜吹雪は路上に花の絨毯を敷き詰めます。
桜の木の下にゴザを敷いて、茶碗酒を重ねるとき花びらが舞い落ち、椀に落ちた花びらを酒と共に口にして逝く春を惜しむのも粋な趣があります。
花の命は短いゆえに、桜吹雪のその美しさが際だって感じられます。しかし、散り始めた桜の花の後からは、すでに青緑の若い桜葉が枝を覆い始めているのです。
私は、この新緑の若葉を眺めるのも春の喜びの一つとして大好きです。この季節になると私はつい桜について書いてしまいます。それだけ桜には鮮烈な思い出もあり特別な思い入れもあるからです。
これは過去にも触れたことがある桜景色の思い出の一つです。以前、シャンソン歌手の芦野宏さんと同行して飛騨高山から白川郷に行ったことがあります。まだ山を抜けるトンネルもなく、合掌造りの里の白河郷が世界遺産に登録される前のことでした。
車で長野県側から上高地を抜けて狭く険しい山道を岐阜県側に抜けると開けた道にでます。そこに御母衣(みぼろ)峠があり、その眼下に御母衣ダムが広がっていました。
そこで小休止したとき、そこに立つ桜の巨木が満開の桜を散らし始めたときでした。
その花の色の赤さに私は目を奪われました。
それより数年前に取材で訪れた、大奥女中絵島の幽閉地の信州高遠城跡で見た高遠桜にも劣らない赤い桜です。その真っ赤な桜の花びらがダムの水面を一面に染めた光景を見たときは、絶句、それだけでした。
そこに家族連れで来ていた初老の男性が話しかけてきました。
「父は、この桜を湖底に沈む村からここに運ぶ作業を手伝い、花を見ないで逝ってしまいました」
それからは毎年、家族でお花見に通っているそうです。
御母衣ダムは、白川村の上流の庄川を堰止めて東洋一の規模の石を重ねて築くロックフィル式ダムです。高度成長期の電力供給を大義名分に閣議決定され、荘川村住民らは、反対運動も空しく保証金を餌に強制退去を迫られました。そのダムの湖面に沈む村から、せめて村のシンボルでもあった「桜の移植を!」との村人の願いは叶えられました。
巨大クレーンで50メートル以上も引き上げられて土堤に移されたた数本の荘川桜は、今、花を咲かせています。すでに半世紀過ぎて、毎年行われる元村人が各地から集まる花見の会はまだ細々と続いているそうです。
ただ不思議なのは同じ桜なのに、村にあった時より堤にある今の桜のほうが花が赤いそうです。きっと、村の水没で心を痛めて死期を早めた村の古老たちの怨念の血の色が乗り移ったのだ、と噂されています。
これは、織田軍と死闘の末に全滅した武田軍の将兵の血で赤くなった高遠城の桜と同じ言い伝えです。いずれにしても、移植して半世紀を経ても満開を誇る御母衣ダム堤の赤い桜は見事なものでした。