昨年のNHKの連続ドラマは「八重の桜」でした。
主役を演じた会津藩士の娘・山本八重は「幕末の
ジャンヌ・ダルク」などと言われて歴史に名を刻ん
でいます。
その八重は愛用のゲベール銃を用いて戦いました
が、ここぞという時にはアメリカ製元込め式7連発
のスペンサー銃を撃ちまくって多くの敵を倒してい
ます。このスペンサー銃は、西軍として戦った土佐
の下級武士が購入した時の金額がなんと38両もし
たと従軍日記に記録されています。この兵士の月給
が3両ですから1両10万円として380万円、彼
は13ケ月近い月給を投じて自分のために銃を購入
しているのです。
このスペンサー銃は、十九世紀の中頃、アメリカ
の南北戦争で使われましたが、なにしろ世界初の後
装式連発銃(元込七連発銃)で、大いにその性能を
発揮しました。スペンサー銃には銃身の長い歩兵銃
と短い騎兵銃があり、どちらも輸入されています。
この銃は戊辰戦争に際して、薩摩・佐賀藩の他に
幕府歩兵隊なども使用しています。
こんな高価な最新式の銃を八重がどこから入手し
たのか?
八重が所持していたスペンサー銃は、慶応2(1
866)年に長崎にいた兄の山本覚馬からプレゼン
トされたもので、大政奉還の前年のことですから、
まだ会津戦争は始まっていません。
それでも、覚馬は決選が迫っているのを予知して
いたのかも知れませんね。
会津戦争に使用された銃砲の記録が残っています。
会津藩の旧式大砲84門に対して、長州だけでも
大砲220門、近代式元込め銃は会津が533、長
州側が6千500。この他の先込め銃は会津約5千
に対して西軍が1万7千、旧式火縄式銃の使用は会
津側だけで長州には全くありません。
ところで、八重がなぜ最後まで最新式のスペンサー
銃だけを用いなかったか? その理由は、スペンサー
銃の弾丸が国内では製造出来なかったから撃ち尽くし
て使えなかったのです。先込めのゲベール銃の弾は丸
い鉛でしたから、城内の女子軍が鉛を溶かして作れま
す。その手作りの球形弾丸を使用して八重はゲベール
銃を撃ちまくって戦ったのです。
あの会津戦争のさ中、どんな過酷な状況下にあって
も会津の女性は、決して絶望することもなく黙々とし
て負傷者の介護や全軍の食事などに寝食を忘れて働き
続け、八重に代表される会津女性の強さを発揮して後
世の語り草に遺されています。
会津の女は強い・・・それは会津出身の100歳に
あと半年余の元気な母を見ているとよく分かります。
しかし、強いのは会津の女だけではありません。鹿
児島、熊本、福岡、高知、徳島、山口、姫路、大阪、
京都、山梨、長野、関東各県、北陸、北海道などの女
性を観察すると、どこもかしこも男性をしのぐ勢いで
逞しく元気なのです。
だからこそ平均寿命にも大きな差が生じ、100歳
以上の8割強が女性となるのです。
結局、いつの世も「女は強し」、これだけは間違い
ありません。
月別アーカイブ: 2014年1月
矢でも鉄砲でも!
この冬一番の寒波到来の1月19,20日の週末は、大雪に
見舞われた地方もあり様々なトラブルも生じたようです。
この寒波には、各地で行われた大学入試にもかなりの影響が
出ました。電車が遅れたために開始を数時間遅らせなどはいい
方で、なかには試験日を1日づつ繰り越した会場もあったと聞
きます。
この場合は、公的乗り物の遅延ですから救済措置も比較的と
りやすいはずですが、これが全く個人的事情の場合はどうでし
ょうか?
父親の運転する車が雪道の渋滞に巻き込まれて受験開始の時
間に間に合わなかった場合、あるいは受験者本人が寝坊した場
合、担当者の権限で特例を出して、別室で同じ試験が受けられ
るのか?
ひと昔前のことですが、私の次女の私立高校受験日に私が車
で受験会場に運んだことがありました。まだ携帯もカーナビも
ない時代でした。
埼玉県久喜市(現)の我が家から、都心を横切ってみた三鷹
市方面まで行くのですが、混雑状況も全く知りませんでした。
当然ながら、私の見込み違いで、遠距離で慣れない道で小雪
が降った上に通勤ラッシュ、呆れるほどの大幅遅刻でした。
これで娘の大切な受験も諦めねばならなくなりました。
ところが担当者は、何のためらいもなく悲嘆にくれる娘をね
ぎらって別室で同じ試験を受けさせてくれたのです。結局、別
の日に受けた公立高校に合格しましたので、その学校には行き
ませんでしたが、あのときの担当者のイキな計らいには頭が下
がるばかりで、だに感謝の気持ちで忘れられません。いい時
代でした。
つぎは長女の場合です。
これは何と長女の結婚式に花嫁の父の遅刻です。
これは高速道路の事故渋滞に巻き込まれての大渋滞でした。
妻と長女は準備がありますから早い時間に電車で会場に向か
い、次女、長男、末娘を乗せた私の車は、多少の余裕をもって
家を出たのですが・・・大幅遅刻です。
親族紹介は義弟(妻の実弟)がそつなく終えていて、私らの
到着を待って挙式ですが、結婚式場側にも時間がありますから
慌ただしい結婚式でした。
当然ながら披露宴は、私の謝罪から始まるという異例の展開
になり、花婿側からは時間も守れないそそっかしい父親という
印象を与えたらしく、気を許したのか相手の父親とはすっかり
打ち解けて、たちまち西武球場に野球観戦に行く約束が出来、
相手のペースで清原ファンにさせられた経緯があります。
さて、話題はコロっと変わって食中毒です。
こればかりは、自分が注意しても避けられません。
浜松市の食品工場でつくられた食パンがノロウイルスに汚染
されていて、それを食べた浜松市の児童らが集団食中毒になっ
て問題になった大量感染事件です。
保健所の職員がその食品製造業工場に立ち入り調査に入った
ところ、パン製造ラインの従業員のスリッパやトイレのノブか
らもノロウイルスが検出されたそうですから状況は最悪です。
この問題を受けて26都府県で給食パンの回収が行われ、安
全に配慮して千人近い児童が欠席するという異常事態に陥って
います。
これは大変!
先日の農薬入り冷凍食品といい食品の安全さえ絶対ではなく
なった今、矢でも鉄砲でも持って来い! の心境で開き直って
川の水を飲んでも平気な私のような原始人タイプに生活習慣を
変えるか・・・案外、これ長寿の秘訣かも知れません。
今年1番の生年月日は?
明けまして、は、もう不要ですね?
1月も10日も過ぎると正月気分も抜けてきます。
しれでも成人の日に再び新年の華やいだ気分になり、
その日を境に普通の生活に戻ります。
それにしても今年の寒波は以上です。
北海道では鉄道各地で凍結による運休停止が連日の
ように続いています。それにしても雪国の人々の耐寒
能力の強さには驚くばかりです。
1月6日、テレビの仕事で盛岡入りした私はタクシ
ーの運転手さんに忠告されました。
「今日は今年一番の寒さで昼間でもマイナス3度です
から、気をつけてくださいよ」
と、言われても何を気をつけていいのかさっぱり分
かりません。たしかに暖房の効いた新幹線を降りた瞬
間から寒いとは思っていましたが、まさかテレビ局の
スタジオまでが寒さを追い払う暖房力がないとは思っ
てもいませんでした。
4時半からの生放送で、この日が初仕事でスタッフ
も初顔合わせですから暖房を入れたのが遅かったのか
3時半のカメラリハーサルの時点ではまだ暖房が効い
ていません。しかも控室は暖房が効いていますから、
その温度差の違いに体が反応しきれません。なんだか
帰京したときはノドがいがらっぽくて咳が止まらず、
未だに続いています。
しかし、その寒さもテレビ岩手で働く私以外のスタ
ッフ&出演者の誰も感じていない様子なのです。皆さ
ん、新年早々の仕事ですから笑顔と活気に溢れて元気
いっぱいなのです。
これが、雪国の仕事人と都会で暮らすもやし族との
違いなのかも知れません。
ところで、そのテレビでは毎年恒例ですが、その年
の干支にちなんで視聴者プレゼントをしています。
今年は、午年午月午の日生まれの人に私の著書3冊を
送ることにしました。
本年の「四緑木星午年」にちなみ、生年生月生日共
「四緑木星の午」生まれを探しました。
この幸運な日は、半世紀にたった一日しかありません。
その幸運な方は、昭和53年6月25日生まれです。
該当者全員に花見正樹著「夢占い、手相占い、占い全
科」の3冊をプレゼントします。
もしも、この日生まれでしたら是非証明付きでご一報
ください。ただし本人に限ります。
これをテレビで放送した直後、免許証と健康保険証の
コピーがFAXで届きました。
ディレクターが、無理なら近い人をと言うのを裏切っ
てのズバリ賞でした。
まさか、狭い範囲のここでは該当者はいないと思いま
すが、一応ここでも有効です。
上記の生年月日にズバリ該当していましたら証明を添
えてご一報ください。拙著を進呈します。
FAXは、03-3542-1154 です。
では、寒さ厳しき折り、お体大切にお過ごしください。
花見 正樹
新年おめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
初詣はお済みですか?
私は元日に、末娘と町内の神社に参拝してきました。
昨年をつつがなく過ごせたお礼と、本年の無難無事
を祈願しました。
この5日で私は78歳、人生の「光陰矢のごとし」
は事実でした。私は現役の頃、的中率低い割に強弓使
いでしたから矢の速さは熟知しています。
あの速さで人生を終える、その寸前まで来ています。
こうなると、もう何の慾もありません。
4人の子も6人の孫も、充分すぎるほど元気に育っ
ています。あとは、私を信じてくれる周囲の知人友人
弟子、愛する人に尽くすだけです。
その私にも本年は大きな目標が一つだけあります。
それは、母の誕生祝いです。
平成26年8月10日(日)、某県某所の温泉ランド
を予約しました。この日が母親の100歳の誕生日、身
内だけで40人ぐらいは集まります。
何度も医師に見放され、死を宣告されながら生き永ら
えた母親です。その母と正月早々のドライブで、景色を
眺めるだけの時間を共有したのです。
私の住む埼玉県久喜市も風もないおだやかな空が青く
澄み渡った午後でした。
「富士山がきれいだねえ」
母親の声に、運転中の視線をチラと西に向けると、世界
遺産の稜線がくっきりと見えます。
なんと贅沢なことか、言葉に言い表すとすればまさしく
珠玉のひと時でした。
今年はイケるぞ!
大鮎を釣る・・・これで二つ目の目標が出来ました。
こんな感覚で私は新しい年を迎えています。
三つ目は? それほどの慾はありません。
どうぞ、皆さまもお体を大切に幸せ多く稔りある1年
にしてください。
それを心から念じて新年のご挨拶とします。
花見 正樹