先週11日の土曜日、老母の誕生会白寿(数えで99歳)でした。前日の8月10日が満98歳の誕生日ですから、誕生と白寿を兼ねての祝いです。極楽湯という近所の自称「温泉」で兄弟身内で30人ほどの会でした。
料理を楽しみ その後、景品付きでビンゴ大会をしたところ、一回目は母親が一番早く「ビンゴ!」でした。
やっぱり、ツイている時はなにもかもがツイているようです。2時間半があっという間に過ぎて、実に楽しい会でした。
その間、母親は座布団に正座したまま楽しそうに過ごしていました。弟たちは、こんなに楽しそうな母親を見るのは初めてだと驚いていましたが、最近の母は全く元気です。
新聞も週刊誌もよく読んでいますし、テレビもよく観ますからオリンピックまで話題にします。
しかも、車いすだった母親が今は杖なしです。
以前、要介護度5で死の寸前にいた母親しか知らない4男夫婦の驚いた顔が印象的でした。こうなると、喜寿の私も母親の元気に負けてはいられません。
そこで、母を家族と施設に任せて、21日(火)から鹿児島空港入りで川に腰まで浸かってのアユ釣りです。
久しぶりの球磨川・・・釣れる釣れないは腕と天候次第、結果はいずれ分かります。
日本三大急流の球磨川には、川くだりの舟の難所になる激流の名所が何ケ所かあり、その一つに二股の瀬という球磨川流域で一番広い中州があります。土曜が絡むときはで
きるだけ、ここの中州に入ります。理由は、土曜の午前中にレギュラー出演するラジオの占い番組があるからです。
遅い午後ですから、宿でイライラしながら時間を待つ手はありません。朝早く地元の川漁師に頼んで、数人の仲間と小舟で中洲に運んでもらってアユ釣りを始めて、出演時間を待つ。これも何回か実践済みですから問題はありません。
中州の両岸は、かなりの急流ですが縄張りを持ったアユがいます。用意した18センチの養殖鮎をオトリにして、比較的流れのゆるいところにある底石の周辺に泳がせて、野鮎に争いを仕掛けさせて、ハリ掛させると、すごい勢いで竿先が引き込まれ、力比べで仕留めれば、まずは27センチ級の野鮎を手にすることが出来ます。
これをオトリにして、いよいよ激流の鮎を追うのです。
激流に立ちこんで流芯の流れに泳がせると、ほどなくして、ガツンという衝撃で竿も体も一気に下流に引きずられます。それを岸に寄せてようやく大アユを仕留めて・・・と、頭の中は妄想でいっぱいですが、番組開始までに釣れない場合もあります。
そんなことがないように夢中になって川に入っていると時間を忘れます。すると、地元の釣り仲間が近くまで来て無粋に何か怒鳴っています。
振り返ると、自分の腕時計を指差して「時間だぞ!」というのです。時計を見ると、ラジオの生放送5分前、あわててオトリ鮎をオトリ缶に戻して引き縄をお石に絡めて水中に沈めて仕掛けをたたみ、中州の真ん中に陣取って、携帯に掛かって来た番組に突入です。
余裕があれば、スタジオにテスト電話を入れて、川の音の少ない場所探すのですが、いつもギリギリですから否応なく瀬音が入ります。
「お、川の音ですね? 釣れてますか?」
キャスターも長年の付き合いですから、私が釣れない釣り師ぐらいのことは百も承知です。
ここで、出たがり屋の釣り仲間を番組に出したりすると大変です。鮎釣り談義が弾んで時間が食われ、肝心の占い番組が始まる頃はとうにオーバータイムで、次の情報番組
をスッ飛ばすという状況になります。
その恐れが次の25日の土曜日、どうなるやら・・・?
忘れなければ報告します。
つづく
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さて話題を変えて、女性のための開運講座です。
これは、恋愛、結婚、再婚に役立つ開運法です。
途中からご覧の方は、遡ってご覧になってください。勿論、男性が見ても役立つはずです。
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女性のための開運講座ー128
自己啓発法
(1)恋愛と結婚
1、いい恋愛してますか?
これは、ご自分に合わせてお考えください。
「開運道カウンセラー」としても役立つ内容です。
これらは全て、私(花見正樹)が実体験した内容です。
熱烈な恋愛の末、結婚を口にしながら不本意な別れ方をした相談者に「恋愛と結婚は全く別ものですからご安心を」と、これは私の口癖です。
失恋の悲しみに打ちひしがれている人は、この言葉には皆、不服そうな顔をします。
それでも 私は常日頃から「恋愛ぐらい気楽な交際はない」と、言い続けて来ました。
これは、ひとつの逆説と思って頂ければ理解できることなのですが、愛情問題で真剣に悩む人にとっては、いささか不満な言葉らしく響くようです。
たいがいの相談者はムッとした顔をし、「私達だけは違います!」と口をとがらし、いかに愛し合い、いかに悩んだかを語り、気楽な気持ちでないからこそ愛が深いといい、同情を求めます。
もちろん、私も同情はしますし理解もします。
しかし、冷静に考えると、結婚または結婚に準ずる形にならない限りは永遠の愛などあり得ないわけで、恋愛には限りがありますし別れの日は訪れます。
そのときに、いい思い出になる恋物語として心に残るか、哀れな悲恋物語として悲劇で終わるかは、人それぞれ心の持ちようで違います。
そのプラス思考かマイナス思考かの考え方次第では、将来の幸せにも大きな差が出るのは当然です。
結婚の約束のできない恋愛が、いかに気楽なものであるかを証明するのは簡単です。その幾つかの例を上げますと、「恋愛は、自分達が会いたいときに会えばいい」
会いたくないときは断ることができます。
「相手に対して何の義務も責任もない」
道義的な面は別として、法律的には束縛されることはありません。
「いつ別れても法的な制約はない」
既婚者が配偶者と別れるには離婚の合意という大変なハ-ドルがありますが、恋愛ではお互いの合意のないまま一方的な交際破棄宣言などで別れることができます。そのための大ゲンカはあっても、法律上の障害はありません。
したがって泣いても笑っても現実には思いもよらぬ失恋という望まぬ事態もあり得るのです。
恋愛は、好きという感情が優先した男女の交際で、必ずしも結婚を前提としたものばかりではありません。当然、遊びや不倫などという添えない恋もあり得ます。
そのための悲喜劇も起こります。
結婚を考えないで親密になり、いざとなって結婚を意識したら長男長女の一人っ子同志だったりして、親の同意が得られずに揉めるというケ-スもあります。これは、どちらかの家庭が歩み寄らない限りは円満な結婚はできません。
愛し合う二人にとっては、親のエゴに見えるかも知れませんが両家の両親にとっては家を継いでもらえないだけでなく、親子の縁が切れるような大きなショックなのです。
今までのケ-スでいえば、このような場合の結末はほとんど悲劇的でまとまるのは難しいものです。その理由は、親を思う気持ちが強く働いて、自分さえ犠牲になれば・・・との悲劇の主人公になったような気持ちが働いて、結果的に好きな人と別れることになるからです。
子供の時から、小生意気に異性に興味をもち、小、中、高校、短大、社会人あるいは大学なでで、いつも恋愛を体験して充分に青春を謳歌した人は、幸せな結婚生活に入る可能性があります。
好きなだけ過ごしてきた青春には何の未練もないからです。
それと、異性に対しての扱い方にも慣れていますから家庭内の不満が出ないようにフォロ-もできます。
その反対に、辛い恋ばかりで恋愛に失望した挙げ句、心ならずも周囲の勧めで見合い結婚した人の場合は、結婚してもなかなか心を開くことが出来ません。
だからといって、見合い結婚が恋愛結婚より劣るわけではありません。その活用方法に問題があるのです。
それはまた、別のコ-ナ-でお話します。
ともあれ、恋は盲目といいますが、恋愛だけは錯覚が主体になった熱病ですから周囲がいくら忠告しても熱くなったらアバタもえくぼ、欠点も長所に見えるから不思議です。
いっそ、そのままゴ-ルインして共白髪まで続けばいいのですが・・・そうは行きません。
ある日突然、錯覚のフィルタ-が外れて欠点は欠点として見えてきます。それでも、相互信頼がしっかりしていれば何でも許しあえるものです。
それより理想的なのは、恋愛感情での交際中にお互いの長所も欠点も知り尽くした上で結ばれることです。これですと万が一に失敗しても納得できますから悔いは残りません。
いい恋愛と悪い恋愛の差は、あと味の善し悪しで決まります。
いつまでも心の奥にそっと秘めておきたい温かくぼのとした恋愛こそ理想です。
あなたも心のアルバムに、楽しく美しく情熱的で格調の高い恋愛で、青春讃歌の1ペ-ジを飾ってください。
それでこそ「いい恋愛」と言えるのではないでしょうか・・・
つづく
では、次回をお楽しみに・・・・
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