111歳で戸籍上だけ生きているはずの女性の
娘が20数年間に1000万円を超える複数の年
金を着服し、詐欺で逮捕されました。
その母も白骨で見つかり、ようやく成仏できる
ことになりそうです。
全国の役所がいっせいに戸籍調べを始めたとこ
ろ、実際には生死不明の超長寿の人が戸籍上では
日本全国にうじゃうじゃいて、大阪などは数百人、
はっきりしたことは役所でも分からないそうです。
長崎県では200歳を超える男性も戸籍上は生
存しているそうですが、坂本龍馬や土方歳三より
11歳上ですから、生きて現れたら歴史の生き字
引で引っ張りだこですね。明治維新の真実なども
聞きたいですし、是非、生きていてほしいもので
すね。
それにしても、全国で出るわ出るわ、生きてい
るのか死んでいるのか、所在不明の100歳以上
の長寿者が数百人、年金の不正受給も呆れるほど
多いことに驚きました。
戸籍法では自治体に死亡届けが提出されないと
戸籍は抹消されないそうですから、孤独な老人の
死や、ホームレスになって行方不明での死亡など
で、死亡届けが出ていないケースは理解できます。
でも、家族が意識して老人の死亡届けを出さず
に年金を受け取り、それを生活費に使っていたな
ど、許し難いことです。
中には謎めいた記事もあります。
滋賀県の鈴鹿峠寄りの甲賀の里では、10人以
上の100歳超えの男女が姿を消し、戸籍上は生
きていることになっています。
これは、もの書きの創造力を掻き立てます。
甲賀といえば忍者の里、木の実や草の音を食べ
谷川の水を飲んで洞穴で修行をしている長寿者の
忍者軍団がいてもおかしくありません。
鈴鹿峠の山奥は昔から山賊の棲みかですから、
この100歳超年寄り忍者山賊が、小雨降る夕暮
れ時に、峠の曲がり角に隠れて突然よろめき出て、
驚いて急ブレーキを踏んだ車に体当たりして倒れ
ます。そこに仲間の老人もよろめき出て「ケガを
したぞ!」「骨が折れた!」「心臓が止まった」
などと喚いて、示談金を巻きあげて生活の糧にす
るのです。
もちろん、タオルに石を包んで、それを車体に
打ちつけるのが「当たり屋」の芸ですからケガな
どありません。最初から絵具の赤で膝を血だらけ
にしておきます。それが小雨で舗道を赤に染めま
すから凄惨な事故現場になります。
どんなに冷静な運転手でも、100歳を超えた
老人を弾き殺したとあっては過失致死で新聞沙汰
になった上に交通刑務所入りですから焦ります。
入れ歯をガクガクさせながらの老人達の「警察
に知らせるか?」と、いう脅しに乗って、ただた
だ米搗きバッタの平謝りで声を震わせて「すぐ病
院に」と言うのを老人が止めます。
「いや、どうせ死んでもいい年じゃ。この傷が元
で死んでも恨みはせん。葬式代の一部を貰えれば
文句はありゃせん」
有り金をはたいて運転手が早々と走り去ると、
老人達は峠の茶屋に集まって、団子や天ぷらうど
んなどで豪遊し、酒を土産に元気はつらつ山に消
えます。
こうして年寄りは山で稼ぎ、家を守る家族は老
人の年金を家族の遊興費や孫の教育費に使えるか
ら無駄がありません。めでたし、めでたし?
これは、何だかありそうな気がします。
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さて話題を変えて、女性のための開運講座です。
これは、恋愛、結婚、再婚に役立つ開運法です。
途中からご覧の方は、遡ってご覧になってくだ
さい。勿論、男性が見ても役立つはずです。
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女性のための開運講座ー31
9、ストレスを克服する開き直り。
ストレスという目に見えない敵をノックアウトす
るためには、まず自分のものの考え方や人に対する
見方を柔軟にして、価値観を変え不平不満を自分の
心から取り除くことが大切です。それには開き直り
のテクニックがストレス解消の万能薬になるのです。
長年の習慣で身に付いてしまった価値観は自分の
モノサシでしか測れませんから、つい小さなことで
も不安や不満が出てイライラし感情的になったりし
てストレスにむしばまれてしまいます。
したがって、ストレスに勝つためには、小さなこ
とにこだわらないで、少しぐらいの失敗は気にしな
いぐらいのおおらかな気持ちが大切になります。
この行きつく先が開き直りです。
そして「相手の立場にたって考える」という心の
ゆとりを持つことができれば対人関係のストレスも
消え、人の目も気にならなくなり、気持ちも楽にな
ります。
おおらかな気持ち、これがストレス克服のコツで
もあるようです。
ストレスは、弱いものいじめですから、こちらが
弱みを見せたりすると、たちまち図に乗って入り込
んで来て心も身体もずたずたにしてしまいます。
ストレスをノックアウトする「開き直り10の心
得」をお届けしますが、あなたはどの項目に賛同し
ますか? イエスの項目を数えてみてください。
1、仕事でのミスは、誰にでもあると開き直る。
2、人間関係不調は、人の好き嫌いで仕方ない。
3、眠れぬ夜は、睡眠不足では死なないと思う。
4、悲しい時は、正直に嘆き悲しみ泣いて発散。
5、怒りは、思いっきり表情に出してスッキリ。
6、上司と衝突したら口をきかずにマイペース。
7、仕事多忙で残業を頼まれても、私用を優先。
8、何もかも思い通りにならない時は映画でも。
9、八方塞がりになった時は、開き直って温泉。
10、愛情不調の時は、最善の人は今後、と思う。
さて、ストレスは弱気で逃げ腰の人に容赦なく襲
いかかる習性をもちますから、どんな逆境になって
も強気で自己主張する必要があります。しかし、こ
の項目を多用しすぎるということは、それだけスト
レス要因が多いということですからあまり感心はで
きません。
それでも、あらゆるストレスから脱却するために
はこれを実行するしかありません。本来、開き直り
というのは最後の手段ですが、ストレスに関する限
りは、深みに入る前からこの手を使うことをお勧め
します。
この項目に関係することが4以下と少なくて済む
のが理想ですが、5から7の人で、上記を実行でき
るか賛同できる人は標準的なストレス発散タイプで
すのでまず心配はありません。
この項目に8項目以上あてはまり、しかも上記の
手立てを実行不可能だと考える消極的な人は、その
ままにしておけばストレスに心身が蝕まれ、絶不調
になってしまいます。
ここは、もう他人の目など気にせずに開き直って
マイペース、無理のない範囲内でのんびりライフを
楽しむ工夫をして下さい。
問題と解決例
1、開き直りでストレスが克服できますか?
考え方や人に対する見方を柔軟にして価値観を
変え、不平不満など気にもしない開き直りこそ
がストレス解消の第一歩です。
2、仕事や対人関係での失敗に対応するには?
小事にこだわらない開き直りの気持ちでおおら
かになれればス トレスは怖くありません。
3、ストレスは逃げ腰の人にはどう出ますか?
ストレスは弱いものいじめで、こちらが弱みを
見せたりすると、たちまち容赦なく襲ってきて
心身をズタズタにします。開き直りの気持ちで
強気に出ることがストレス克服のコツです。
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書店発売中の「坂本龍馬異聞」に続き「新撰組3
部作」を執筆中です。その内容を先にお届けします。
ホームページでも連載しますのでお楽しみに。
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新撰組ー異聞
「いとう呉服店」は、織田信長に仕えた小姓の伊藤蘭
丸が創設したともいわれるが、歳三が勤めてから聞い
たところによると、安土桃山時代に清洲で開業した伊
藤惣十郎という尾張の商人が、織田信長の朱印状を得
て、尾張から美濃地方における唐人相手の商売などを
任され、呉服の貿易や税銭の徴収などの手数料で大儲
けして豪商になったと聞いた。
その後、豊臣、徳川の代になっても印判状を与えら
れて事業を拡大して尾張に移り、さらに江戸上野の松
坂屋を買収して「いとう松坂屋呉服店」と改称してい
たとも聞く。
そこで修行して番頭にでも出世すれば、「将来は八
王子あたりで店を出せるようにしてやる」と、兄の喜
六が励まして、まだ遊び盛りの歳三の背を押して旅立
たせたのだった。
歳三は、長期に家を離れて暮らすのはこれが初めて
だった。
歳三が、迎えに来た遠縁の伊勢屋伊勢屋に連れられ
て家を出たのは弘化二年(一八四五)の春、早朝一番
でまだ一番鳥が鳴き始めたばかりの夜明け前、家中の
見送りを受けて家を出た。
ひとまず伊勢屋源左衛門宅で休んでから身支度して
上野の店に行くことになっている。石田村から四谷大
木戸までは八里(約三十二キロ)はある。当時は朝立ち
でも途中で一泊して江戸府内に入るのが通例だった。
「子供の足では一日では無理だから、どこかで一泊す
るか?」
「大丈夫だよ」
源左衛門の労わりを振り切って、歳三は弱音も吐か
ずによく歩いた。途中、何度か茶店で休んでダンゴを
食べたり、一膳飯屋で食事をしたりしたが、府内に入
ったのは意外に早く夕陽がまだ西の森影に沈む前だっ
た。夕暮れの江戸府内は見るもの全てが新鮮で、日野
ではまだ蕾だった桜が内藤新宿を越えるとどこの桜も
満開だった。
元気な歳三は足早に歩き、日暮れ前に四谷大木戸の
伊勢屋源左衛門宅に着いた。わらじを脱いだ源左衛門
は玄関先で倒れこんだが、歳三は「お世話になります」
と法事などで何度も会っている家族に笑顔で挨拶し、
「歳三は相変わらず元気ね」と家人を驚かせている。
翌朝、全山桜に包まれた上野の山を眺めながら、格
式ある構えの「いとう松坂屋呉服店」に着き、源左衛
門に続いて歳三も暖簾を分けて入った。
たかが一人の丁稚奉公を迎えるのに、江戸支店を任
されている店主代理の伊藤吉右衛門をはじめ番頭など
も総出で迎えて「ゆく末は番頭ですからな」と、期待
の大きさを感じさせるような世辞を言われ、歳三も悪
い気はしなかった。だが、丁稚奉公での小僧の毎日は
多用で辛かった。
掃除洗濯、買い物、野菜洗い、大八車での荷物運び
などの雑用の他に、呉服屋の修行と称して雑巾縫いや
先輩の寝巻き縫いまでやらされて食事もそこそこ、早
朝から深夜まで寝る時間もないほど古参の先輩丁稚や
文蔵という番頭にまでこき使われた。それでも歳三は
音を上げなかった。そんな歳三を丁稚仲間は頼りにし
て、年上の丁稚まで「歳さん」と呼んで一目おいてく
れる存在になっていた。
そんな歳三に興味と同情を持った女中たちが、丁稚
には滅多に口に出来ない和菓子やカステラなどを陰に
隠れて分け与えてくれたりした。それだけではない。
長身の歳三を、呼吸が止まるほど強く抱きしめて口づ
けをしたりする。それには閉口したが、それでも幼児
期から女には好かれて暮らしていて、いつも同じよう
な目にあっている歳三は、さほど気にもならなかった。
つづく
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では、次回をお楽しみに・・・・
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