この数日、めっきり春めいた陽気になりました。
弥生3月もはや中旬、春の香りがあちこちから馥郁と匂い立って来る気配があります。
ところが、この21日は思いがけず雨と風に見舞われ難儀しました。3月1日の渓流解禁の誘いを断ってから何だか体調も勝れず不眠症気味で絶不調でしたので、思い切って今回は釣友の再度の誘いに乗って日光連山の裏側の谷に入って来ました。この日は風も強く、渓流の雪解け水は刺すように冷たい上に朝のうちは強雨でしたから身体が冷え切って釣りどころではありません。それでも雨が上がるとヤマメ(北海道ではヤマべ,関西ではアマゴ)も餌のイクラを追い始め、何とか23センチから26センチ級までをそこそこ釣り上げたところで寒さに耐えきれずギブアップ、震えながら谷から上がりましたが、今年初めての釣行ですが、6月の鮎解禁までの前哨戦としての足慣らしとしてはまずまず、早速、渓流の女王ヤマメの塩焼きで満足したところです。
ここのところ、たまにパラリンピックを深夜テレビで見ることがありますが、身体の不自由さを感じさせない選手の迫力ある敢闘精神には圧倒されます。
とくに、先日のバイアスロンの久保選手には感動しました。
なにしろ、義足姿で椅子に腰かけ不自由な姿でスキーを履き、なんと坂道もある12.5キロもの長距離の雪上を、ストックを漕ぐ腕の力だけで滑り抜くのですが、それだけではありません。4周の途中で椅子を降りて雪中に伏せ、数十メートル先の直径数センチの標的を射抜くのですが、4回20射中18発的中でした。結果は見事な6位入賞でした。これは大変なことです。まず、疲労と心拍数の上昇による息切れで心身共に乱れた状態なのに、銃を握ったとたんに平常心を取り戻す精神力には感服を通り越して驚嘆するばかりです。
私は昔、弓引き(5段)でしたが、手先15間(27メートル)先の尺的(約30センチ)を当てるだけなのに20射で平均的中18中は至難の技です。もしも、12・5キロを走る間に数回に分けて20射を放つ競技会があったら、多分、20射で的中5本もあれば上出来です。疲労や焦りによる精神的動揺を克服して集中力を高めて的中率を高めるなど並の人には出来ません。それから考えても久保選手のスタミナと集中力には感心しましたが、ゴールして雪の上に転げ落ちた久保選手の動けない体と荒い呼吸には鬼気迫るものがありました。死に物狂い・・・この感動は、他の選手からも感じましたが、つい先日閉幕したばかりの健常者のオリンピックでの感動とは全く違った種類の心打たれる強いもので、身体機能の非自由さを克服してここまで持てる力をフルに出して世界のひのき舞台に躍り出た、これまでの努力と我慢強さに対する感動です。
この場合、理想としては世界で活躍すること、現実はその夢を実現するために必要な努力を続けることです。その前の部分の「理想を描くこと」は誰でも出来るのですが、後半の「現実」の部分はごく一部の特殊な人しか持続できません。なんらかの理由をつけて脱落してゆくのです。一年の日記が正月三が日で終わるようなものです。
ところで、これを愛情問題にすり返るのは少し無理がありますが、恋愛でも結婚でも、お互いに我慢が足りないと中途挫折することになります。「恋愛は理想を追求し、結婚は現実を見つめる」、という基本的な姿勢さえ理解していれば、多少の我慢はできるものですが、恋愛で現実的なことばかり考えたり、結婚で理想を追求し続ければ挫折は目に見えています。結果的に、理想を描きながらも、ある程度は現実的に妥協して我慢し努力し続けた人だけが、恋愛と結婚の双方を快適に過ごすことが出来ることになります。
恋愛では自由に夢多い青春を満喫し、結婚生活では現実に徹して多少の苦難は乗り越える覚悟が必要です。恋愛ではアバタもエクボと思って惚れたはれたで楽しく過すのは自由ですが、結婚ではアバタはアバタとして見つる冷静さと現実的な対応が必要になります。
今回もほんの少しだけ「龍馬伝」に触れるのであれば、坂本龍馬が妻として認めたお龍(りょう)」です。「わたし危うきところを救けてくれたこの者に、なにとぞ帯か着物か一つ、お遣いくだされたくお願いします。この者の名は龍といい私の名に似ており・・・」
これは、慶応二年九年、坂本龍馬が姉の乙女にあてた手紙の一節です。
この頃はすでに、龍馬とお龍と親しくなって三年を経ていました。果敢な行動で維新の幕を切り開いた稀代の風雲児坂本龍馬の短い人生には、青春、情熱、革命、野望、剣、政治、身内への限りない
愛情とドラマに必要なあらゆる要素が凝縮され、沢山の夢多い恋愛があり、その中には世間で評判の教養豊かな慎ましい美女も何人もいます。にも拘わらず、当時の女性では型破りで自由奔放過ぎて、周囲の評判もイマイチ、坂本家からも妻として認められなかったお龍を妻とした龍馬・・・そこには命を助けられたという現実があります。
龍馬は数多い夢の世界はそのままに、自分の命を救ったという現実にこだわってお龍を妻にした、ようにも思えます。では、私の理想と現実は? それが
情けないことに凡人の常として、未だに模索し続けているだけで何の結論もでていません。自分でも情けないことだとは思うのですが・・・