月別アーカイブ: 2010年3月

原田左之助の愛


 どうやら、東京に新名所が出来たようです。
 墨田区東向島にある私の会社(化学関連)の応接室からは、いま話題のスカイツリーが、かなりの至近距離で見えます。
 昨月曜日の朝9時過ぎ、社員とお茶を飲みながらのミーティング中、なにやら上空が騒がしくて会話も聞こえ難くなり会議を中断して、

窓から空を眺めると低空を飛ぶ取材のヘリコプターが数機。驚いて屋上に上がって数えたら何とヘリが七機、その全てがスカイツリーの上

空を大きく旋回しているのです。自分の社内に戻ってテレビのスイッチを入れると、「日本の最も高い建築物の記録が塗り替えられました

」とのキャスターが目に入りました。この上空からの世紀の取材とやらが騒音の元でした。
 東京タワーは333メートルで、スカイツリーの昨日の表示が338メートル・・・なぜ、334メートルのときに大騒ぎをしなかった

のか? その謎は、工事現場の最上階に据えたクレーンの荷揚げの機材を聞いたことで解けました。なんと、持ち上げていた建築資材が1

0メートルの側壁だったのです。それを完璧に接続して仕上げたのが昨日、平成22年3月29日だったのです。
 それにしても、何の変哲もない土地から竹の子が伸びるような勢いでタワーが高層化してゆく様と、ゴマ粒のように見える高所での工事

就業者の姿は感動的でさえあります。しかし、タワーがこの倍も高くなるとしたら? そこで気がつきました。私の会社は、スカイツリー

から徒歩15分の1キロ圏内ですから、この倍の600メートル以上もの高さになると、タワーの展望台が応接室の窓からはみ出して、タ

ワーの胴体だけが見えることになり「いい眺め」とはほど遠くなります・・・残念!
 それにしても、観光の新名所とはいえオープンまではまだ2年もあるというのに、すでに観光バスがおとずれ、カメラを持った観光客が

殺到しています。タワー周辺の商店も活気付き、日曜日など今までの100倍も売り上げがあるというソバ屋まで現れています。私も、占

いコーナーの出展で一度は申し込みましたが、2年後から5年契約の期間、責任者として拘束されるのは年齢的にも無理がありますので、

事業収益より健康を考えて辞退しました。これは、これからの私が本格的に小説を書くことを考えれば正解だったようです。
 テナント希望の占いの弟子が曰く「監督をしながら奥に机を置いて小説を書けませんか?」・・・書けません! 一日何万人もでお祭り

騒ぎのような中で小説を書けるほど私は器用ではありません。私が占いのテナントを断ったことで口惜しがって不服を言う弟子もいますが

、私を含めてプロの占術家のわがままを知り尽くしてい ますあから、朝10時から夜11時までの年中無休を5年間、遅刻欠勤クレーム

なし経営なんて夢のまた夢です。クレームでのペナルティ覚悟での契約になるのは明らかです。
 どんなに完璧なローティションを組んでも、動くのはそれぞれが自己主張の強い人間ばかりですから、5年間、無事に完遂できるかどう

かは全く分かりません・・・これで私の中での結論が出ました。
 さて、小説に戻ります。
 これからお付き合いする新撰組には、さまざまなタイプの隊士がいます。
 幕末のほんの短い期間に華やかに咲き華やかに散った新撰組。歴史の上では線香花火のような儚い仇花でしかなかった新撰組。だが、こ

の三部作を書くと決めたときに私の背筋に走った戦慄こそが新撰組の歴史に流れる血の騒ぎのような気がします。
 死と正面から向き合い、明日をも知れぬ身で出来ること・・・たとえ一瞬でも死を忘れることが出来たなら。そう考えると新撰組ならず

とも酒か女が共通項で、逆療法から考えれば死を賭して闘うことが死の恐怖から逃れる一番の良策かも知れません。
 人は死と対峙したとき、どう対処すべきか?
 逃げたくなる? これは新撰組では許されません。引き戻されて割腹という局内規則があるからです。
 山南啓助がいい例です。新撰組から逃亡して捕らえられ、愛する女にも逢えずに切腹して果てました。悲しい恋、悲しい末路です。
 原田左之助という隊士は、他の隊士らが遊郭で知り合った女と刹那的な情愛を交わして満足していたのと違って、相思相愛になった仏光

寺という土地の町人の娘まさと所帯をもち、本願寺筋の釜屋町七条下ルというところに借屋住まいをし、そこから屯所に出勤し、戦いにも

出動していた。結婚してすぐ男の子が生まれ、親子3人で幸せな日々を過ごしていたが、戦乱の世の常として命を投げ出して闘わねばなら

ぬ時が来る。鳥羽・伏見の戦いが始まり、新撰組は幕軍の先鋒となって参戦することになります。
 左之助は、妻子に今生の別れを告げて戦いへと出て行った。その後の左之助はあちこち転戦した末に、上野の山に篭もった彰義隊に参加

して、慶応4年(1868)の戦闘で銃弾に倒れて帰らぬ人になった。
 その後、まさは子供を育て、原田左之助との短くも充実した日々を人々に語りながら、幸せそうに天寿を全うしたという。
 原田左之助らしい一途な愛が、短い結婚生活ではあったが妻の心に感謝の念を残したと思うと、ジーンと来るものがあります。
 ではまた、次回にお会いしましょう。

龍馬から新撰組へ


  お元気ですか?
 前回までは、坂本龍馬の女性関係を書きましたがここで一段落です。
 私の別ブログで連載中の「坂本龍馬異聞」が、4月末に右文書院という教科書主体の堅い出版社から出版されます。
 でも、それだけなら、龍馬の話しを中断する理由にはなりませんね。
 理由は、龍馬を書上げたとたんに、新撰組三部作を書くことになったためです。
 すっかり頭の中が幕府側に寝返り、近藤、土方、沖田総司などが動き始めているのですから勝手ですね。 そこで、「女好きで軟派の龍馬から卒業で、今度は硬派のチャンバラ小説だぞ!」 と勢いこんではみたのですが。
 なんと、小説の主人公に据えた土方歳三は17歳で奉公先の女中を孕ませて勤め先をクビになっています???
 それに、新撰組の隊員とか尊皇攘夷の志士といえば、京都ではモテモテだったという記録がありますので、また女と男の物語ですね。
 したがって、次回から新撰組を題材にしてもネタには全く困りません。むしろ登場人物が多いだけ話題は増えるはずです。
 明日かも知れない死と隣りあわせで生きた男たちですから、好きな女との交流に一瞬の命を賭けて夢中になるのも無理ありません。
 それは、線香花火のような儚いひと時の夢でした。それを誰もが承知の上の情事でしたから哀れです。
 女と男の物語は、今も昔も変わりません。男も女も、当然ながら相手を求め交際を望みます。
 で、独身者で結婚未経験の人は夢をふくらませて相手を求め、交際してからもあれこれ選択に迷います。
 結婚経験のある独身者は、結婚に失望しながらも失敗にも懲りずまた同じことを繰り返します。
 既婚者は、自分の結婚が良かったのか悪かったのかを気にし、周囲を気にし始めます。
 男と女の結びつきばかりは、まったく筋書き通りにはなりません。
 さまざまな出会いがあり、つい昨日までのアカの他人が心身ともに信じあう仲になり一生離れ難くなったりします。
 恋愛にもさまざまな形があります。熱烈な恋愛もよし、徐々に深くなる静かな恋愛もよし、劇的な再会からの恋もよし、とにかく恋とい
うだけで昔から何万回となくドラマにもなっていますし、現実には誰もが体験しています。
 人はいつの世も、いくつになっても恋をします。その恋に濃淡はあっても人は人を好きになり、恋をし続けます。
 新撰組の土方歳三は、死を恐れぬ鬼神で冷徹で人殺しに思われますが、実際は寂しがりやで孤独に弱く死を恐れる並の人間だったら・・
・こう思って、いま、私は真正面から新撰組の土方歳三を見詰めています。
 どのような、話しになるかは分かりませんが、ご自分の恋愛感情に照らし合わせて気軽にご覧ください。
 人生には無限のドラマに包まれています。その出会いに至る過程を大切にすることで、一生の宝物にすることが出来るものです。
 一生の宝となる恋・・・それがあるかないかで人生は大きく変わるものです。
 土方歳三、近藤勇、沖田総司がどのような恋をしたか? それは、これからです。
 作者が体験豊富ならいくらでも書けるのですが・・・残念! 今からでも遅くはない? いや、それこそ夢のまた夢、諦めます。
 あなたの過去はいかがでしたか? 新撰組隊士の恋物語と合わせてお楽しみください。
 

理想と現実


 この数日、めっきり春めいた陽気になりました。
 弥生3月もはや中旬、春の香りがあちこちから馥郁と匂い立って来る気配があります。
 ところが、この21日は思いがけず雨と風に見舞われ難儀しました。3月1日の渓流解禁の誘いを断ってから何だか体調も勝れず不眠症気味で絶不調でしたので、思い切って今回は釣友の再度の誘いに乗って日光連山の裏側の谷に入って来ました。この日は風も強く、渓流の雪解け水は刺すように冷たい上に朝のうちは強雨でしたから身体が冷え切って釣りどころではありません。それでも雨が上がるとヤマメ(北海道ではヤマべ,関西ではアマゴ)も餌のイクラを追い始め、何とか23センチから26センチ級までをそこそこ釣り上げたところで寒さに耐えきれずギブアップ、震えながら谷から上がりましたが、今年初めての釣行ですが、6月の鮎解禁までの前哨戦としての足慣らしとしてはまずまず、早速、渓流の女王ヤマメの塩焼きで満足したところです。
 ここのところ、たまにパラリンピックを深夜テレビで見ることがありますが、身体の不自由さを感じさせない選手の迫力ある敢闘精神には圧倒されます。
 とくに、先日のバイアスロンの久保選手には感動しました。
 なにしろ、義足姿で椅子に腰かけ不自由な姿でスキーを履き、なんと坂道もある12.5キロもの長距離の雪上を、ストックを漕ぐ腕の力だけで滑り抜くのですが、それだけではありません。4周の途中で椅子を降りて雪中に伏せ、数十メートル先の直径数センチの標的を射抜くのですが、4回20射中18発的中でした。結果は見事な6位入賞でした。これは大変なことです。まず、疲労と心拍数の上昇による息切れで心身共に乱れた状態なのに、銃を握ったとたんに平常心を取り戻す精神力には感服を通り越して驚嘆するばかりです。
 私は昔、弓引き(5段)でしたが、手先15間(27メートル)先の尺的(約30センチ)を当てるだけなのに20射で平均的中18中は至難の技です。もしも、12・5キロを走る間に数回に分けて20射を放つ競技会があったら、多分、20射で的中5本もあれば上出来です。疲労や焦りによる精神的動揺を克服して集中力を高めて的中率を高めるなど並の人には出来ません。それから考えても久保選手のスタミナと集中力には感心しましたが、ゴールして雪の上に転げ落ちた久保選手の動けない体と荒い呼吸には鬼気迫るものがありました。死に物狂い・・・この感動は、他の選手からも感じましたが、つい先日閉幕したばかりの健常者のオリンピックでの感動とは全く違った種類の心打たれる強いもので、身体機能の非自由さを克服してここまで持てる力をフルに出して世界のひのき舞台に躍り出た、これまでの努力と我慢強さに対する感動です。
 この場合、理想としては世界で活躍すること、現実はその夢を実現するために必要な努力を続けることです。その前の部分の「理想を描くこと」は誰でも出来るのですが、後半の「現実」の部分はごく一部の特殊な人しか持続できません。なんらかの理由をつけて脱落してゆくのです。一年の日記が正月三が日で終わるようなものです。
 ところで、これを愛情問題にすり返るのは少し無理がありますが、恋愛でも結婚でも、お互いに我慢が足りないと中途挫折することになります。「恋愛は理想を追求し、結婚は現実を見つめる」、という基本的な姿勢さえ理解していれば、多少の我慢はできるものですが、恋愛で現実的なことばかり考えたり、結婚で理想を追求し続ければ挫折は目に見えています。結果的に、理想を描きながらも、ある程度は現実的に妥協して我慢し努力し続けた人だけが、恋愛と結婚の双方を快適に過ごすことが出来ることになります。
 恋愛では自由に夢多い青春を満喫し、結婚生活では現実に徹して多少の苦難は乗り越える覚悟が必要です。恋愛ではアバタもエクボと思って惚れたはれたで楽しく過すのは自由ですが、結婚ではアバタはアバタとして見つる冷静さと現実的な対応が必要になります。
  今回もほんの少しだけ「龍馬伝」に触れるのであれば、坂本龍馬が妻として認めたお龍(りょう)」です。「わたし危うきところを救けてくれたこの者に、なにとぞ帯か着物か一つ、お遣いくだされたくお願いします。この者の名は龍といい私の名に似ており・・・」
 これは、慶応二年九年、坂本龍馬が姉の乙女にあてた手紙の一節です。
 この頃はすでに、龍馬とお龍と親しくなって三年を経ていました。果敢な行動で維新の幕を切り開いた稀代の風雲児坂本龍馬の短い人生には、青春、情熱、革命、野望、剣、政治、身内への限りない
愛情とドラマに必要なあらゆる要素が凝縮され、沢山の夢多い恋愛があり、その中には世間で評判の教養豊かな慎ましい美女も何人もいます。にも拘わらず、当時の女性では型破りで自由奔放過ぎて、周囲の評判もイマイチ、坂本家からも妻として認められなかったお龍を妻とした龍馬・・・そこには命を助けられたという現実があります。
 龍馬は数多い夢の世界はそのままに、自分の命を救ったという現実にこだわってお龍を妻にした、ようにも思えます。では、私の理想と現実は? それが
情けないことに凡人の常として、未だに模索し続けているだけで何の結論もでていません。自分でも情けないことだとは思うのですが・・・

別れないペアは?


 水ぬるむ季節になりましたね。
 山奥の雪解け水の清流にはイワナやヤマメが嬉々として相方を求めて泳ぎ、街のあちこちでは若い男女が恋を囁いてイチャイチャし、それを屋根上のカラスがアホーアホーと妬き喚きます。
 男と女の結びつきは千差万別、さまざまな出会いがあり、つい昨日までのアカの他人だった男と女がいつの間にか心身ともに結ばれて一生離れ難くなったり、熱烈な恋愛から別離の悲しみを味わい、劇的な再会をして幸せいっぱいで暮らしたりと、人生は多くのドラマに彩られています。
 しかし、どんな道でも一本道ばかりではありません。曲がり角もあれば岐路もあります。
 そこで意見が食い違えば右と左に分かれることになりますが、一度や二度はどちらかが妥協して同じ道を歩みますが、どんなに我慢強くても三度目には堪忍袋の緒が切れて、プイとお互いに横を見たまま別れの挨拶もそこそこに別々の道を進むことになります。
 この岐路が二人の一生の別れとなる場合が多く、その後の再会や再度の合流は神のみぞ知るのです。
 では、どんな場合に別れることになるのか?
 その過程を大別すると、さまざまな別れの形が浮かび上がり、そこにはそれぞれの岐路があることが見えてきます。
 愛が冷める、これだけでも致命的なのに暴言暴力、さらに生活が困窮する・・・致命的ですね。
 では、最初から愛が薄かったら? これなら長続きしますが面白くも何とありません。それでも、燃え上がる愛情はなくても、並みの思いやりがあれば何とかなります。生涯を通じて平凡が何よりという夢のないカップルも存在しますが、これはこれで立派なものです。ただし、このカップルには外敵がいます。万が一にも外で好きな人が出来たらアウトです。もう夢中になって家庭を顧みずに不倫の恋に熱中し、下手すると別れ道どころか崖から墜落・・・それも落ちるのは一人だけ、などとなって万事窮すです。
 このような視点から多くの男女を見てくると、愛情はそこそこでも、お互いに信頼と尊敬がありその上で共通の目的をもつ組み合わせが一番安定しています。これは、別れ道だからといって別々の道に進んだらお互いに自滅するからです。設計士と建築士、デザイナーと縫製家、パンとバター、紅茶とケーキ、靴と靴紐、文と挿絵、時計の長針と短針、相撲取りとまわしのようなもので、いわば腐れ縁のように、誰も気にしないのに無かったら不便なもの・・・こんなカップルが長続きするのです。
 このように、お互いが必要で結ばれたカップルは、それぞれ相手の人生を支える役割をしますので、結局は別れることを諦めて同じ道を進むことになります。
 さて、今週もNHK大河ドラマの中の「女と男」の物語です。
 龍馬の女好きは今更、断るまでもありませんが、平井加尾、千葉佐那、お徳と並べてもピンときません。龍馬ともっとも親しかったのは、お龍を除けば寺田屋の女将のお登勢以外にはいません。
 幕末維新の嵐のさ中、明日をも知れぬ命の中で、龍馬という風雲児はお登勢の中に安らぎを求めたものと思われます。何といってもお登勢ほど龍馬に尽くした女性はいません。龍馬の服装がいつもバリっとしていたのはお登勢が買ってあげていたという説は的を射ていています。龍馬が寺田屋に出入するようになってからは黒羽二重の羽織や玉虫色の袴でバリっとして急におしゃれになりんますが、これらは全てお登勢が買ってあげていたようです。
 慶応二年の一月、薩長盟約の直後、寺田屋で龍馬が捕吏に襲われたあと、龍馬がお登勢から貰った手紙が残っています。
「かへすがへすもよろしきお便りお待ち申し上げ侯。これのみたのしみ暮らし侯」と、あるのを見ただけで、二人の情の深さが偲ばれますが、さらに、宛先は「龍君様御元へ」、差出し人は「血の薬御存じより」とあるのです。
 血の薬、とは漢方では「四物湯(しもっとう)」という子宮と卵巣に働きかける不妊用の薬でもあるのですが、他にも葛根湯とか胃腸の妙薬とかもありますが、親密な男女の仲を現す隠語とも言われます。
 伏見の船宿「寺田屋」の女主人のお登勢は、龍馬がこの船宿に泊まるようになった神戸海軍操練所の塾頭になった文久三年あたりの三十代に入った頃だった。この頃のお登勢は、亭主の六代目伊助は京都木屋町の妾宅に入りびたりで家にも帰らず、さびしく空閏を守っていた状態だから龍馬とお登勢が親しくなることは必然だったともいえます。
 商売上手で世話好きで男好きする気丈者のお登勢は、国の改革を夢見る薩摩藩の尊攘志士たちに庇護と援助を惜しまず尽くしました。その中でも龍馬に対する愛情は別格だったのは間違いありません。間違いなく、お登勢は本気で龍馬を愛していましたが、それは誰にも言えない悲しい恋で終わってしまいます。龍馬が、「この娘を住み込みの女中に使ってくれ」、こう言って楢崎龍と女を連れて来たからです。私が、お龍や千葉佐那、平井加尾らより、このお登勢に思いが残るのは何故か、未だに答えは出ていませんが、もしかすると、私も似たような思いをけいけんしているからかも知れません。

見合い婚の長所と欠点


「女と男」、見合い婚の長所と欠点は? 
 私は長年にわたって銀座で結婚相談所も経営していましたが、そこに集まる男女の生態はさまざまです。
 10万人を超えるリストから選ぶのですから誰でも迷います。一般的には、まず顔写真、学歴、職歴、家族構成や年収(男性のみ表示)、身長・体重などを見て、お見合い相手を申し込みます。この場合、多少の妥協はやむを得ない、と結婚願望が強く、最初からハードルを下げ気味の二人ですと、3ケ月もすれば婚約まで進み、トントン拍子で結婚が決まります。とくに、もっとも結婚願望が強いのは29歳の女性です。何が何でも30歳までに結婚を、と焦り、29歳いっぱいで結婚できるなら顔がイマイチでも我慢します。そうなると、身長、収入、学歴などとなし崩しに妥協してしまい、結婚さえできれば何でもいい、となってしまいます。こうなると結婚が人生のスタートではなく、結婚式がゴールとなりますから結婚したとたんに、あとはもうどうでもよくなってしまい、結婚後が心配です。
 その逆もあります。じっくり構えて理想の相手が見つかるまでは焦らずあわてずというタイプです。結婚相談所の規約には、結婚までの見合い回数に制限はありません。1年以内の結婚が理想、と会員の皆様に伝えます。これは、長引くと見合いにも飽きがくるからです。
 私の記憶では32回目のお見合いで理想に近い相手を得たという女性がいます。大手広告会社で係長を勤めていて、30歳を少し出てから入会した女性でしたが、相談所でも何でも知り合った切っ掛けはどうであれ、何度かのデートで恋愛感情が動いてからの結婚なら恋愛結婚だというのです。これもごもっともなことです。
 惚れたはれたで熱烈な恋愛の結果、あとさき考えずに同棲して懐妊、やむなく結婚・・・とたんに生活苦と性格の不一致で愛情が冷めての口論でどっちもどっち、責任のなすりあい。子供が出来たのは誰のせい? こんなケースも少なくありません。
 もちろん、古今東西、愛の力に勝るものなし、熱烈な恋愛が出来るほど仲がいい二人が不幸になるはずはありません。ただし、その愛が永遠に続くなら、という条件がつきます。
 昔から、日本には男と女を仲介するお見合い制度があって、お節介な仲人さんが、釣書という餌をもってあちこちを徘徊したものです。 釣書には、結婚相談所で用意する内容の一部と同じような項目が書き込まれています。
 これで、だいたいの人柄や社会的立場が推測できますが、これがお見合いのメリットです。
 結婚相談所なら、次の項目が分かります。
 1本名、2生年月日、3血液型、4身長、5体重、6現住所、7電話、8本籍(都道府県)、9続柄(長男とか)、10学歴(最終学歴)、11職歴(会社、役職名)、12年収(男性のみ)、13婚歴(初、再婚)、14趣味(スポーツ等も)、15好きな食べ物、16家族構成、17同居(結婚後の)、18財産(本人の)、19希望条件(こちらから)、20その他(性格、考え方など)
  どうです? 恋愛ではなかなか聞きづらいこともありますね。さて、ここまで揃えばあとは顔写真で・・・おっと、これが問題なのです。自分の一番気に入った写真や、写真館撮影の修整写真などが貼ってある場合もありますから、会ってみないと自分の好みかどうかは分かりません。ましてや相思相愛になれるかどうか?
 結局、恋愛でも見合いでも問題はあり、それを超えてこそ開運の道がひらけるのです。
 ところで、NHKの大河ドラマの「龍馬伝」ですが、主人公の龍馬は平井加尾と千葉佐那の両手に花、羨ましい限りです。
 でも、龍馬の女好きはこんなものではありません。
 前回、前々回とで千葉佐那と婚約して結納の品を取り交わしたこと、高知の平井加尾とも結婚を約束をしたことを話しました。
 その他にも続々と当時は評判の美女が続々と登場しますが、今回は珍しく龍馬が振られたお話しです。
 坂本龍馬の愛した女に、高知城下の漢方医のお徳という娘がいます。
 平井加尾の清楚な美しさも評判でしたが、妖艶な美しさで男を魅惑したお徳の美貌と魅力的な姿態もまた土佐藩の若者たちの間で話題にならない日はなかったそうです。加尾と相思相愛だった龍馬は、二度目の江戸から戻ってからはお徳に夢中で、お徳に会うために漢方医に通い詰めて口説き落とし、ようやく気脈を通じての付き合いが始まりました。しかし、気位の高いお徳は、土佐の郷士の次男坊などまともには相手にしていませんでした。その美貌の評判を伝え聞いた藩主・山内容堂公の望みで、側女のお付け女中に招かれると、龍馬には別れの挨拶もなしでさっさとお城に上がってしまいます。その後、お徳は殿のお手つきとなり、そのお下がりが藩に大金を寄贈した大阪の豪商・鴻池善右衛門の手に渡り、お徳は城を出て豪商の妾になって一生を過ごすことになります。
 今回は、龍馬が振られた話です。私は、龍馬が振られた話はこれしか知りません。

恋のゆくえ


 テーマを「女と男」に絞ると、話題は尽きることがありませんね。
 なにしろ人類が始まって以来、永遠に謎に満ちたテーマだからです。
 人生相談でも、人の悩みの根源には常に男女の愛情問題が絡んでいます。
 金銭問題、就職や転職、健康面の悩みでも、愛情に恵まれない人ほど悩みは深刻になります。
 恵まれた愛情の中で暮らす人は毎日が楽しく、愛情に恵まれない人は投げやりな生活になりがちです。
 しかも、愛情を求めるのは年齢にも容姿にも関係なく全ての人に共通です。
 男でも女でも孤独な生活よりは、愛情に恵まれた生活を望むのは当然のことですね。
 最近の若い女性が、タロットや星占いで占い師に「答えてほしい」ベストテンが雑誌に出ていました。
 バカバカしいなどと言わずにご覧ください。
 意外に納得するかも知れませんよ。
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 恋の悩み
 占いで答えを出して欲しいベストテン
 1、いつ結婚できるか?
 2、いつステキな出会いがあるか?
 3、好きな人との相性をみてほしい
 4、モテモテになる時期はいつか
 5、どんな結婚生活を送るのか
 6、好きな人の本心を占ってほしい
 7、好きな人とのこれからの交際はどうなる?
 8、片思いの相手に思いが通じるか?
 9、今付き合っている人と結婚すべきか止めるべきか?
10、今付き合っている人と結婚できるか?
   
  これが熟年になると少し変わります。
 1、これからの生活がどうなるか?
    これは、既婚、未婚者(離婚含む)共通の質問です。
 2、今の彼とどうなるのか?
    これも既婚、未婚共通で、既婚者は不倫相手の場合ありです。
 3、いつ、ステキな出会いがあるか?
    未婚者(離婚含む)70%、既婚者30%ですが対象は不倫相手です。
 4、付き合っている人との相性をみてほしい。
    未婚者(離婚含む)既婚者共通ですが、既婚者の対象は不倫相手が殆どです。
 5、これから、どうしたら幸せになれるか?
    これは、既婚、未婚者(離婚含む)共通の質問です。
 未来のことは自分の意思次第と思いながらも、つい気になってしまうのが「占い」ですね。占いは気休めと思いながらも、つい「恋の悩み」だけは相手があることだけに、「占い」で答えを出してほしくなるもの。この場合、「恋の悩み」ナンバー・ワンとなったのが「いつ結婚できるのか?」ですが、これは、結婚そのものを「幸せ」と無意識に認めていつからに他なりません。
 結婚3組のうち1組が「離婚の危機を迎える」ことがある、という現実から目をそらしているとしか思えません。
 大切なのは「どうしたら幸せな生活が出来るか?」という発想から未来を考えることです。それには戦略も必要です。
  それにしても、「いつステキな出会いがあるのか?」という悩みも深刻です。これこそ晩婚化傾向の現れですね。若い男女の出会いなどいくらでもチャンスがあるのに「いい出会いがない」のは、草食系男性の増殖と無関係ではなさそうです。どうしても結婚したいという男性が減っているからです。
 女性の場合、友人の独身者が一人づつ減る度に焦りや不安が募るもの。そんなときに「占い」でスパッと答えを出して欲しい、と思うのは仕方ありませんね。そこに「占い」の存在感を感じます。
 ところで、今の質問から離れて「信頼できる占い」「好きな占い」「的中率が高いと思う占い」のトップは今も昔も「手相」です。
 私は今、プロの占術家に占いを教えていますが、易や気学と違って手相になるとムキになって質問をしてきます。プロでも、手相は大切な武器になるだけに真剣です。
 それにしても、いつの世でも未婚者は理想の結婚に夢をふくらませ、既婚者は現実の結婚生活に目を覚まして諦めたり悔いたりするものですね。男と女の結びつきは千差万別、結婚の形態も見合いがいいか恋愛がいいか、いまだに結論が出ていません。
 つい昨日までのアカの他人が、あっという間に一生離れられない仲になったりするのですから不思議です。
 そうかと思うと熱烈な恋愛で結婚した二人が、小さな口論からアッとい間に熱が冷めて別れることまあり全く予測がつきません。
 今までに「幼なじみ婚」はお互いに相手を知り過ぎて安全だが燃えるものがなく、「同じ趣味仲間婚」は楽しみ多い反面にライバル意識が働くことがある。「同級生婚」は良くも悪くも馴れ合いになりやすく、「遊び仲間婚」は出費多く貯蓄に難があります。
 見合い結婚は、燃えるような恋心はなくても安定した家庭を築くことから、もっとも離婚の少ないカップルです。
 だからといって、それが一番幸せであるということでもありません。
 理想の男女関係とは? このシリーズでは形を変えながらそれを追求し続けます。
 ご期待ください。

趣味仲間との恋・・・


 前回はおさな馴染との恋愛について語りましたが、今日は同じ趣味仲間との恋愛について触れます。
 テレビの「龍馬伝」では龍馬の女好きが明かされていますが、これは事実です。龍馬が最初に江戸行きを果たしたのは19歳の時ですが、私はドラマなどで語られるような剣術修行ではなく、北品川にある土佐藩邸下の沿岸工事や黒船対策の砲台建設のための臨時御用が主であったと見ています。当時の土佐藩は、幕府から浦賀の湾岸警備も任されていましたから土佐から多くの人員を呼び寄せていました。浦賀の海岸警備中に黒船を見た龍馬は仰天し、世界観が変わったと言われています。
 龍馬は、非番の日に剣術の師である日根野弁治に紹介された千葉定吉道場を訪れて入門し、剣術修行もします。その千葉定吉の道場に は龍馬より3歳年下の16歳の佐那という定吉の娘の美人剣士がいました。道場で竹刀を合わせた龍馬は佐那にまったく歯が立ちません。
 龍馬は剣を通じて佐那と親しくなり、若い者同士の特権でたちまち仲良くなって離れられない仲となります。
 その後、二度の江戸行きで待望の一刀流免許・・・は頂けず、佐那の好意で佐那の連名入りの長刀(ナギナタ)免状を有難く拝領し面目を保ちます。やがて、二人は千葉定吉にも認められて婚約します。結納として、龍馬は松平慶永から拝領した紋服(中古)を贈り、千葉家からは短刀がは贈られました。これで正式に婚約し、結婚の日取りはは後日にとなりました。
 ところが、龍馬があちこちで浮気を繰り返しているうちに、お龍にめぐり合ってしまい佐那の元には戻りません。
 そんな龍馬を佐那は待ち続け、龍馬の死後も結納に貰った紋服の片袖を切りとって、夫の形見として生涯大切にしたそうです。
 龍馬がまだ佐那と熱々だったころ、姉の乙女にあてた手紙で佐那のことを、「馬によく乗り、剣もよく、長刀も出来、力は並みの男より強く、琴も絵もよく心しづかなる人」と佐那を評し、さらに「器量は平井加尾より上」と余計なことまで付け加えています。
 これでは、高知で龍馬を待ち続けた平井加尾の立つ瀬がありません。
 考えてみると、男と女の色恋沙汰は、相思相愛である男女交際でも必ずしも結果オーライとはならないから辛いですね。それどころか、千葉佐那や平井加尾のように、一生孤独で過ごさなければならない場合も生じますから辛いですね。
 それと、龍馬は剣術を習うために千葉道場に通い千葉佐那と知りあいました。剣だけでなく碁でも将棋でも、登山、水泳、その他のスポーツやレジャーでも、遊び仲間、習い事仲間のカップルは、共通の仲間でありながらライバル意識があり、生活を共有するには一長一短があって、なかなか安定した家族を築くことが出来ません。結婚しても結構、高い離婚率を示します。
 想い出に共通なものがあることは、プラスに働くはずなのですが、過去の情熱的な二人と比較して徐々に衰えてゆく行動力やスタミナ、や活気の衰えを、自分のことは棚に上げて相手のことだけが気になったりします。したがって、趣味やスポーツを共有する男女は、夫婦と友人とライバルが同居したような生活になり、疲れることになるのです。
 この場合、つねに相手に尊敬と信頼をもち共通の向上心と目的意識を失わないようにすれば、いつまでも仲間割れはしませんが、人間としては最良のカップルでも、愛情は薄くなるばかりですから、やはり、趣味仲間との恋愛には気を使わねばなりませんね。

おさな馴染みの恋・・・


 今日(月曜日)発売の某週刊誌から、永田町で流行っているというジョークを借りました。
「日本には謎の鳥がいる。中国から見るとカモ、アメリカから見るとチンキ、日本の有権者から見るとサギだが、自分はハトだと思っている」。さらに執筆筆の「約束はウソ、腹の中はカラスのように黒い」と、オチがついている。これが誰を指しているかは別として、ジョークらしいユーモアもウイットもなく、悪意に満ちた面白くもないブラックジョークだと思うから少しも笑えません。それに、ほとんど当たっていますからジョークにもなっていません。
 それからみると、毎週日曜日の大河ドラマ「龍馬伝」の龍馬は、思うがまま真っ正直に生きますので安です。なにしろ、龍馬のゆくところ、いい女は片っ端から龍馬になびくという展開になっていますが、あれは違います。龍馬が夢中で口説くのです。
 史伝によれば龍馬の女好きは程度を超えていて、泊った宿では女中部屋にでも押し入るというから尋常ではありません。ドラマでは、高知の「平井加尾」と江戸の「千葉佐那」・・・どちらも婚約状態にまで進みます。
 来年の大河ドラマの坂本龍馬では、いきなり龍馬の初流恋の相手として登場したのが平井加尾ですが、この加尾は、龍馬の友人の土佐勤王党の平井収二郎の妹です。加尾は、高知城下ではかなり知られた才女ですが、龍馬は、兄の収二郎と親しいのを利用して、美人の加尾に周囲に隠れて親しくしていたらしいのです。
 いわば、加尾と龍馬は「おさな馴染み」です。現代でも共通することですが、「おさな馴染み」での恋愛や結婚は、なかなか盛り上がりません。「幼なじみ」の恋愛や結婚は安定した夫婦生活を築きますが、一般的に燃えるような恋心は育たず、静かな思いやりによって首尾一貫して安定した仲を保つ例が多いものです。
 この仲で、別れがあるとすれば自分たちが燃え上がる炎がないだけに、外に好きな人があらわれたときにそれを本物と錯覚しやすいことと、平凡な中に安定感をもっていただけに、突然の第三者のちん入に防御態勢がまったくないことです。そのために思わぬ嫉妬心からはげしく取り乱してしまうことがありますが、実際には知らぬふりが一番で、すぐに自分の立ち場に気づいて反省し、さり気なく戻ってくるものです。この場合、龍馬が戻らなかったのです。
 加尾は、京都の三条家に嫁いだ土佐藩藩主の山内容堂の妹友姫の侍女として三条家に仕えて、この恋はやぶれますが、龍馬はしぶとく諦めず、京都にいる加尾に土佐にいる龍馬は、次のような手紙を送っています。
 文久元年(1861)のことです。
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「先づ、こ御無事とぞんじ上げます。天下の事勢、切迫致していますので、
 1・高マチ袴、1・ブツサキ羽織、1・宗十郎頭巾、外に、細き大小一腰各々一ツ、以上ご用意ください。
   9月13日 平井かほどの  坂本龍馬。
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 龍馬の研究者は、この手紙について「男装して京都御所か所司代、または街頭に出て時勢の動きを探索することを要求したもの」、あるいは、「君よ、男装してわれとともに大義のために戦わん」などと解釈していますが、私はそうは思いません。
 単純に、近く京都に行くから、安心してデートできるように「変装用の衣装と道具を用意しておきなさい」という恋文の一種とみています。龍馬は加尾に、余分なことは一切言わずに、わざと簡潔な文章で呼びかけていますが、これで、加尾には充分通じていて、すぐに加尾は、龍馬の言う通りに、袴、羽織、頭巾などを呉服屋に注文して用意し、大小も苦労して調達して龍馬の上京を待ったそうです。
 これは、龍馬の手紙、加尾の回顧録が残っていますので間違いありません。
 ところが、兄の平井収二郎はとっくに龍馬の魂胆を見抜いていて、その後、龍馬が土佐を脱藩して京都に向かおうとした頃、京都の加尾に次のような手紙を出しています。
「龍馬はきっと、お前のところに行くから、どんな話をでも絶対に乗ってはいけない。龍馬はなかなかの人物だが書物を読まないし学問がないから間違いが多いから」と、注意しています。
 平井収二郎は、龍馬が女に手が早いのを知っていますから、兄としての警戒心からの忠告であるのは間違いありません。しかも、この通りですから、妹思いの兄としてはもっともなことです。結局、脱藩した龍馬は、加尾の気持ちをもて遊んだだけでした。せっかく衣装や小道具を揃えた加尾は、龍馬との京都デートを実現せずに終わり、傷心のまま兄に引き取られて高知に戻ります。しかも、兄の収二郎が、文久三年(1863)に、藩主山内容堂の厳しい弾圧で切腹させられてしまい、平井家の再興という家庭の事情で、加尾は泣く泣く西山直次郎という土佐藩士を婿に迎えて平井家を継ぐことになります。これで、龍馬とのロマンスは完全に消滅しました。
 加尾がいつまでも龍馬を愛していたというエピソードは、加尾の名を志澄と改めて政治結社の役員として自由民権運動で活躍しました。龍馬の死後、その志澄(加尾)の回顧録に次の言葉が残っています。
「再び龍馬に対面する期なく止みし、女の一生涯遺憾に思ふ所なるべし」・・・ここに龍馬を失って、望まぬ人妻となって不幸な家庭生活を送りながらも、一筋の願いをこめて龍馬を待った加尾の万感の思いがこめられています。          次回は千葉佐那で・・・

1場所、2餌、3に腕


3月のカレンダーをめくってはや6日目で、「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と古典にある通り、春の気配が地中にも地上にも満ち満ちてくる啓蟄(けいちつ)の日です。と、同時に生物のほとんどが活動的になり餌を求め愛を求めます。春は恋の季節でもあり、北国でも雪解けと同時にデートスポットは込み始めるそうです。恋の季節は年齢に関係なく訪れます。
 なのに私の関心は情けないことに恋でも愛でもなく、水ぬるむ山間の渓流に向きます。3月に入ると関東各地の河川が、次々にイワナ、ヤマメなどの渓流魚が解禁になるからです。私の唯一の趣味道楽の鮎釣りは、ホームグランドの栃木県・那珂川の解禁が6月1日ですから、それまでの数ヶ月を待ちかねて仲間と雪の残る山間の渓流に降り、身を潜めて岸から竿を振るうことになるのです。解禁日の朝だけは、すれていない放流魚はそこそこ釣れますが、山女(ヤマメ)も岩魚(イワナ)も川に慣れてくるとそう簡単に釣られてばかりはいません。人口の餌にも飽き釣り人の腕や下手な手練手管も見破ると、さっさと水中の岩陰に引っ込んで身を隠してしまいます。そのくせ時折はチョロチョロとこちらの様子を眺め、隙をみては餌をかすめ取ってまた逃げて隠れます。
 なにしろ、飲み水にもなる清流ですから隠れたところで川底に遊泳する魚体は見え隠れします。こうなると、釣る側の心理としては、竿が届いて気配を悟られない位置まで・・・と、考えますので、つい姿勢を低くして流れに身を入れて獲物を狙うことになります。いくら、防寒具に身を固めて腰上までのウエーダーを穿いているとはいっても、さすがに雪解けの水の冷たさは身に応えます。たちまち手足は冷え唇も紫色になりますが、それでも頑張ります。そうして釣った1尾の獲物・・・これこそ釣りの醍醐味ですが、釣れない時の目年残念の悔しさも格別です。もっとも、この悔しさが、次回へのリベンジにつながり・・・釣れても釣れなくても釣り人の飽くなき挑戦は続くのです。
 ところで、渓流釣りの名人と言われる男を見ていると、全く例外なく女性にもモテモテの連中ばかりです。きっと、渓流魚の山女(ヤマメ)釣りなどには、まず魚の釣れる場所を見抜く眼力、魚のもっとも好む餌の用意、その上での技が必要で、この三拍子を、1場所、2餌、3に腕、と表現します。どうも、これを男女関係の恋愛の極意にすり変えても通用するような気がします。
 あなたも、この釣りの極意を身につけたら今日からたちまち恋の勝利者、彼氏や彼女の一人や二人、すぐ入れ替えが可能です。
 1の場所については、よりムードのいい店や場所を利用し、絶対にマイナスイメージの場所には出入りしない、ということです。
 好きな人を誘うにも新たな恋人探しにも、映画、観劇、スポーツ観戦、趣味の会、花火見物からライブ、テーマパーク、食事や喫茶、など全てにおいて、恋愛にプラスになる場所を意識して活用するのです。
 2の餌は、必ずしも物品には限りません。誠意、容姿、情の深さなども上級の餌として物品と対等以上の餌になります。
 3の腕・・・これは、釣り下手の私には説明のし様もありません。今から釣りが上手になる要素もありませんし、こればかりは個人別ノウハウがあるようです。ただ、名人たちの腕前とやらを観察していると、コマメ、気配り、優しさ、根気、大胆、気風のよさが人並みはずれて優れていることに気づきます。これが出来れば、私も釣り名人になれるのですが、残念!

女の視線、男の視線


  冬季オリンピックが終わって、プロ野球のキャンプ情報やオープン戦がテレビ画面にチラホラ登場しています。
 大相撲も、一人横綱の大阪場所が14日(日)から始まります。
 本場所の初日がいつからか? これは、誰でもカレンダーを見れば分かるようになっています。
 相撲協会には頭のいい人がいるらしく、近年になって本場所は年に6回行われますが、東京では、1、5、9月と4ケ月毎の3回を両国国技館で行い、大阪の府立体育会館で3月、名古屋の愛知県体育館で7月、福岡の福岡国際センターで11月と各1回づつ行われて計6回・・・なにしろ、15日間の興行が月をまたがないように第二日曜日がスタート日と決まっていて、初日(しょにち)、8日目の中日(なかび)」、15日目の千秋楽(せんしゅうらく)が全て日曜日ですから、第二から始まって第三日曜が中日で全勝力士が勝ち越しになる日、第四日曜が優勝杯を授与する日ですから単純です。大相撲は奇数月、春は大阪、秋は博多、暑い盛りは名古屋で、1,5,9は東京・・・これで日程は丸暗記できます。ちなみに俳句では大相撲が秋の季句になっています。あれれ? ですね。
 ところで、大相撲は女性がいる限り絶対になくなりません。理由は、女性が男の裸をおおっぴらに見ることが出来るのは大相撲ぐらいですから、相撲をなくすとか、関取にパンツを穿かせる法律をなどと議員が言ったら暗殺されかねません。
 それに、強い男に憧れるのは女性の本能ですから、相撲取り強く逞しくある間は相撲協会は安泰で儲け放題です。女性の種族保存の本能は、他の動物のメス同様に強いオスに関心が向くのが自然ですから、強い男の象徴である力士に熱い視線が向くのは当然のことです。 それだけではありません。女性は強い種の保存に必要なオスの逞しい精力は当然として食料を絶やさず供給できる生活力、自分だけを守ってくれる愛情をも求め続け、男を束縛しようとあの手この手を考えます。したがって、男の強さの中には経済的基盤の強さも、腕力と同様の逞しさが秘められていることになります。ですから、女性の種の保存本能は経済力すなわち金の力にもなびきます。
 今、私は新撰組3部作を書こうと思い立って、近藤勇の影になって暗躍する土方歳三の少年時代を追っています。
 歳三は、15歳の丁稚奉公時代から女性問題で勤め先を放逐されていますが、その女性との関わり方が、どうしても坂本龍馬の女性関係とダブって見えてくるのです。いずれ、この続きでそれに触れます。
 前記では、女性は強い男に惹かれるのが種族保存の本能で当然と書いたのに、今度は女の母性本能に触れなければなりません。
 歳三も龍馬も剣の道に入っていない弱い男だった頃からモテモテですが、それは、どうも強い男になってからも変わらないような気がします。土方歳三も坂本龍馬も京都でモテモテだったのは、残された手紙や記録などから歴然ですが、そのもて方が母性本能からの愛され方だったような気がします。
 近藤勇も妾宅を構えて派手でしたが、これは力づくのモテ方でしたから、土方とは違います。
 そんな観点から見つめると、新撰組が今まで諸先輩作家によって描かれた殺伐とした殺戮集団とは違った観点から見ることが出来るような気がします。
 私は、坂本龍馬を書いたときに、調べれば調べるほど女から離れられない龍馬の未熟さや甘さが見えてきて、どうしても強い龍馬が書けなかったのを感じます。いや、やはり、実際の龍馬は弱い男だった・・・と、思わずにはいられません。だからこそ、生涯を女に囲まれ女に愛されて生きることが出来たのです。坂本龍馬を書上げたとき、私は、その弱い龍馬が大好きになっていました。その生き方が羨ましくてたまらなかったのです。きっと今度も、土方歳三が大好きになるような気がします。そんな歳三を書くつもりです。
 さて、女性の種族保存の本能が「抱かれたい願望」となって強い男に向かい、弱い男をかばいたくなる女性の母性本能が甘え上手な男に向かうのは複雑ですが仕方ないのかも知れません。
 それに引き換え、男は単純、美しいものには弱いのです。氷上の舞姫と呼ばれるフィギアスケートをさり気なく、しかも食い入るようなまなざしで見ているオジさん族の種族保存の本能は一途で単純・・・いくら純粋のスポーツだからと思っても、個人の嗜好の問題ですから仕方ないのかも知れませんが、誰もスケート靴など見ていませんよ。 私? いえ、私は目をつぶっています。