第三章 黒船騒乱
1、 行商仲間
嘉永七年(一八五四)の初春、まだ風は冷たい。
歳三は二十歳になっていた。
前年に江戸湾の黒船出現以来、物騒な噂が多摩地方にも流れている。
その黒船がさらに軍備を増強して江戸湾に現われたというのだ。
「アメリカという国の艦隊が、いよいよ江戸攻めらしいぞ」
「なにが狙いだ?」
「捕鯨船団の食料に水、それに燃料の薪や女だ」
「冗談じゃねえ。そんなの追い返すか皆殺しにできねえのか?」
「開国を迫られた幕府が、戦う覚悟がねえのか、煮え切れねえんだ」
「こうなりゃ、竹槍ででも戦うしかねえな」
ここ数日、いかにも外国の軍隊が江戸を攻めるとかの風評で人々は浮足だっていた。
おかげで、いつもは閑散としている早朝の青梅街道は、江戸を去る家族連れで混雑していた。
歳三は、紺の股引に脚絆、素足に草鞋履き、手甲と羽織なしの行商人姿で急いでいた。
背には石田散薬の朱塗りに白く石の字が浮き出た竹網みの通い箱を背負い、朝霧深い欅(けやき)並気の青梅道を急いでいた。当然ながら通い箱には武具が括りつけてある。この日は、青梅新町の吉野道場師範の柴田道之助とも、朝稽古で会うことになっていた。
かつては北条家のために共に戦った吉野家と土方家ではあるが、甲源一刀流の道場を持つ新町村の名主・吉野文右衛門と、天然理心流の牙城になりつつある日野の名主・佐藤彦五郎とは農民剣術指導の流派の違いから表面上は交流はない。しかし、代官江川担庵のよき協力者としての両家の絆は、裏でしっかりと繋がっていた。
ただし、歳三が吉野家に出入していることは兄の喜六夫婦以外には誰にも話していない。ましてや兄とも慕う天然理心流道場の義兄・佐藤彦五郎には、吉野文右衛門の名すら言い出せないでいる。言えば、いくら温厚な彦五郎でも、他流に熱を上げる歳三の移り気を快く思わないはずだからだ。
例え、それが行商の仕事絡みだと言っても、雀の涙どの売り上げだから言い訳にもならならない。
石田散薬と共に歳三が行商で商う佐藤家の「虚労散」も、現物現金交換で大福帳にも記載しないから、歳三が甲源一刀流の吉野道場に通っていることはまだ義兄にも知らせていない。
ここで会う柴田道之助は、幕府槍奉行支配下の八王子千人同心上窪田組頭補佐で知行は二十俵一人扶持の最下級御家人並み、それども無級の郷士からみれば、大変な出世頭だった。
八王子千人同心は、甲州武田家の遺臣を中心にした軍事組織で、江戸の西の備えとして重要な存在だった。千人頭には禄高五百石の旗本格の大身もいたが、百人一組を束ねる組頭でさえ禄高三十俵がいいところで、殆どの隊士は日光東照宮警備の日光勤番に出勤外の平時は、鍬や鋤を手にして田畑を耕して農作物を作るのを業にしていた。兄の喜六が、歳三にも千人同心の株を買ってくれるというが、武士とは名ばかりの半士半農の半武士が気に入らなくて断ったばかりだった。
柴田道之助は、歳三と会う日を約束すると、いつも数日前から伯父の家に滞在して、村人らに剣術を教えている。月に一度だけ会う文右衛門も道之助も、歳三との情報交換を楽しみに待っているに違いない。文右衛門からは、会わせたい人がいる、と聞いている。
肌寒い春の朝でも早足で汗は噴き出る。霧が晴れるとおだやかな春の日射しの中で土ぼこりが容赦なく汗ばんだ顔にへばりつく。家財道具を大八車に満載して江戸を離れて青梅や秩父に向かう人びとで、狭い街道の下りはごった返しているからだ。こんな時、歳三はあえて街道を外れて山道に入り、荷を背負った背を丸めて、まだ木々に緑が芽吹いたばかりの灌木に包まれた獣道を小走りに急いだ。このほうが旅人が行き交う街道を歩くより気持ちが安らぐし、土埃もなく気分もいい。
山に入れば獣に襲われる危険もあるのだが、多摩から秩父の山道で歳三を襲う命知らずの獣などもういない。獣は天敵には敏感だから、次々に仲間が倒されて憎しみや恨みはあるが、自分達より凶暴な命知らずの歳三を恐ろしい天敵と認めた以上は絶対に近寄らない。日頃は凶暴な山犬も大猪も、歳三の気配を感じると獣道から藪に逃げ込んで、天敵が通り過ぎるのを隠れ待つのだ。
歳三もまた、山路を踏み入るうちに耳や目や鼻が動物的な感覚に馴染んだのか、身近に忍ぶ獣の種類や数までも的確に知ることが出来るようになっていた。
やはり、何事も場数を踏むのが一番、それを歳三は身に沁みて知っていた。
吉野屋敷に着き竹林に囲まれた立派な長屋門を潜ると、歳三を見たのか酒屋の久蔵が稽古着姿で走り出て来た。
「そろそろ現れる時刻だと思ってたぜ」
「久蔵さんの出迎えなんて、珍しいじゃねえか」
「出迎えたわけじゃねえ。偶然、見つけただけさ」
「なにかあったのか?」
「変な道場荒らしが来て、誰も歯が立たねえ」
「柴田さんは?」
「今、立ち会ってるが旗色がよくねえ。それを名主さんはニコニコして見てるんだ」
「強いのか?」
「歳さんが来たら、相手をしてもらうって言ってたぞ」
「冗談じゃねえ。道之助さんで勝てない相手じゃ、おれには無理だ」
そう言いながらも血が騒ぐのは、歳三の性格だから仕方がない。
貰い火で焼えたために改築中の吉野邸は、入母屋造り茅葺き屋根の広大な屋敷で、完成に五年は掛かるともいわれていたから後二年はかかる。その間、仮屋住まいだが、それも立派な造りだった。
久蔵に続いて馬小屋を改造した剣術道場に入ると、柴田道之助がすでに息が上がっていて勢いがない。歳三の姿が視線が入ったらしく、軽く小手を打たれたところで「参った」と一礼してさっさと面を外し、汗だらけの顔で歳三を促した。
「歳さんの来るのを待ってたんだ」
「おれを?」
「ま、一手だけ、手合わせをしてくれ」
竹刀をだらりと下げただけの相手が「ぜひ!」と低い声で歳三に告げた。
この一言で歳三の闘争心に火が点いた。
(どこの誰かは知らぬが、打ちのめしてやる!)
石田散薬の背負い籠に括りつけた武具を外し、素早く面小手胴着と身支度を整えると、道場の竹刀を借りて一度だけ素振りで空気を裂いて気合いを入れてから道場に立った。壁際にずらりと座った吉野道場の門人達は、すでに散々叩かれたらしく、歳三を哀れむ目で見つめている。
「土方歳三、参る!」
「おう!」
相手は名乗りもしない。一礼して構えるといきなり横面を張って来た。竹刀で受けずに、すかさず腰を沈めて空を切らせ、目の前に流れる手首に小手を打ち込む。すると、相手の手首は低く沈んで視界から消え、手首が返って逆胴に打ち込んで来る。
その剣風の鋭さに歳三は思わず飛び退って身がまえた。そこに相手が追って来て踏み込み、面から胴、小手へと間断なく攻めて来る。それを左右前後に身を交わしながら、隙を狙って素早く面を打つと、殆ど同時に胴を抜かれて息がつまった。
「参った」
お互いに声に出したが、相打ちに異論はない。
その間、二人の竹刀はお互いに空を切り、ただの一合も竹刀を合わせることはなかった。
「お見事!」
と、吉野文右衛門が手を叩くと、見守っていた門人達も一斉に手を叩いた。
歳三が面を脱ぐのを待って、相手が面を外して歳三を見た。その目が笑っている。
「弥太さんかい?」
思わず歳三が叫んだ。
その顔は、石田村のわが家にも泊ることのある、親しい行商仲間の小間物屋の弥太郎だった。
文右衛門が、会わせたいと言ったのはこの男だったのか?
2、 代官手代・岡野荘四郎
「ま、詳しい事情は奥で・・・お前たち、久蔵の指示で稽古を続けてくれ」
文右衛門が立ち上って言い、弥太郎と先に連れ立って旧屋に向かった。歳三も道之助に促され、道中差しや荷物を久蔵に預けて後に続いた。
下女に借りた雑巾で足を拭いた歳三は、着物の裾の埃を払ってから奥座敷に入った。
座敷に入ると、文右衛門の上座に弥太郎が座っている。
「まあ、座ってくれ」
歳三の横にいた道之助が笑顔で言い、自分も腰を下ろした。
文右衛門の妻カクが顔を出して、育ちの良さが分かる品のある物腰で挨拶をして姿を消すと、すぐ女中達が酒肴を二の膳まで運んで来て、それぞれの前に置いた。
小鯛の焼き物に山菜の天ぷら、煮物や酢の物、まるで祝い事のように豪華な料理に歳三が驚いた。
「今日はなんの日だね?」
「ま、場合によっては歳さんの旅立ちの祝いってとこかな」
歳三の問いに道之助が意味不明な返事で応じ、文右衛門が改めて男を紹介した。
「歳三さん。こちらは韮山代官・江川太郎左衛門さま手代・岡野荘四郎さまだ」
「弥太さん。おめえ、おれを騙してたのか?」
岡野荘四郎が頭を下げた。
「済まん。情勢探索に隠密行動が江川家の常道でな」
「岡野って名は前から聞いていた。まさか、弥太さんだとは」
「歳さんは今迄通りでいい。わしを弥太と呼んでくれ」
「当たり前だ。弥太だから弥太さんだ。今さら岡野さまなんて言えるかい」
道之助が割って入って燗酒の入った徳利を手に持った。
「折角の酒だ。話も料理に箸をつけてからにしましょう」
そこで夫々が手酌で盃に酒を注ぎ、乾杯をしてから料理を口にした。
文右衛門は、誰にも話が聞えないように障子や隣室との境の襖も開け放ち、裏庭の緑濃い景観を前にして口を開いた。
文右衛門が口を開いた。
「わしから説明しよう。無礼講だから飲み食いしながら聞いてくれ。岡野さまからのお知らせでな。幕府はついに日米和親条約を結ぶことになったそうだ」
驚いた道之助が口をはさむ。
「日本には何の益もない不平等条約をですか?」
「そうだ。攘夷派の連中は何を仕出かすか分からん。それを担庵さまが憂慮されておる」
文右衛門が歳三に語りかけた。
「坦庵さまは、学問を佐藤一斎、書は市川米庵流、詩は大窪、絵は谷文晁に学び、剣は神道無念流・撃剣館の岡田十松門下で、斎藤弥九郎と共に岡田道場四天王の一人だった。さらに、蘭学、砲術などにも長じている上に屋敷内で刀を造る、しかも冬でも素足の化け物みたいな殿さまだ」
「タンナンさんなら、ガキの頃から知ってますよ」
「歳さんと担庵さまの仲は知っとるよ。そのご縁が今日の会合になっとるんじゃ」
「そのご縁って?」
歳三の疑問には応えずに文右衛門が続けた。
「担庵さまは、同門の斎藤弥九郎さまが師の遺志で神道無念流を継ぐのを大層お喜びになられ、斎藤さまに道場を持たせた。それが江戸で名高い練兵館だ。同時に斎藤さまを江川家の執事に登用し、手代全員を練兵館で修行させて免許皆伝まで修行させている」
「弥太さんもかね?」
「そうだ。岡野さまも神道無念流の達人で、無宿浪人など二桁は斬っておられる」
「おいおい、余計なことは言わんでくれ」
「弥太さん、ほんとか?」
「賭場の手入れで、抵抗した悪党や博徒の用心棒を何人か斬っただけさ」
文右衛門が続けた。
「江川家のしきたりでな。手代は必ず、白刃が飛び交う修羅場を潜って度胸をつけるそうだ」
「恐ろしい家訓だな」
岡野荘四郎が平然と言う。
「江川家は伊豆、駿州、相模、武州、甲州までを預かる代官だから、その地にはびこる無宿者や不逞浪人退治、百姓一揆にも体を張るのは当然のことさ」
「危ない仕事だな」
その歳三に文右衛門が頭を下げた。
「実は、岡野荘四郎さまが折り入って歳三さんに頼みがあるそうじゃ。わしからも頼む」
日頃、温厚で笑顔を絶やさない初老の文右衛門が真剣な表情をした。
その口調から、内容が並々ならぬものを感じた歳三は、ちらと道之助を見た。
歳三の気配に合わせて道之助が軽く頷いた。その表情で道之助が内容を知っているのが読めた。
文右衛門が意外なことを口にした。
「岡野さまはな、担庵さまの意向を受けて歳三さんに近付いておられたのじゃ」
「弥太さんが何で?」
「昔、担庵さまは本田覚庵先生の家で、歳三さんと一緒に米庵流の書道を習ったそうだな?」
「ガキのときのときだが、江川さまにはよく菓子を貰った記憶がある」
岡野荘四郎が笑顔で語りかけた。
「わが殿を本田家に最初に連れて行ったのは泰然さまだそうだな?」
「そういえば、カク兄と親しい仲のタイゼンさんて医者仲間がよく一緒に来てたな」
「その医者はな、佐藤泰然さまという偉い蘭方医で、わが殿の三歳下で無二の親友なのだ。今は、下総佐倉藩の堀田さまに請われて藩医になり、順天堂と名乗っておられる」
「そういえばタイゼンさんは蘭方医、本田家は元獣医で漢方医、お互いに情報交換してたのか?」
「その泰然さんの次男坊が、最近まで覚庵先生の家に居候して修行してたのは知ってるか?」
「まさか、良順(りょうじゅん)じゃないだろ? あいつは松本って姓だから」
「その良順のことさ。幕医の松本良甫(よしいち)家に養子に行ったんだ」
「幕医? まさか、将軍の脈を診る奥医師じゃないね?」
「その通りだ。歳さんは呼捨てだが、良順さんは年上じゃないのか?」
「二っつだけだ。あいつも歳って呼捨てだから、お互いさ」
「それはいかん。年長者には敬意が必要だぞ」
「分かった。これからは良順さんって呼ぶことにする」
そこからはまた、文右衛門が口を挟んだ。
「岡野さまは数日前、歳さんの留守中に石田村の喜六さんに会って来なさったそうだ」
「兄貴に? なんの用で?」
「あとは岡野さまに聞きなされ。わしらは道場に戻る。酒は女中を呼んで勝手に注文しておくれ」
文右衛門が岡野荘四郎に頭を下げ、道之助を誘って腰を上げた。
3、 幕閣内の争い
二人が姿を消したのを確かめてから、岡野荘四郎が口を開いた。
「喜六さんに、歳三さんの力を借りる許しを得たんじゃ」
「力を借りる?」
「喜六さんには、歳さんさえ納得すれば今日からでも身柄を預からせて頂くことにしてある」
「物騒だな。それも江川さまの差し金かね?」
「病身の殿は、名跡・江川家の家督をご長男の英敏さまに譲られ、あとはお国のために命を捨てる覚悟をなされた」
「おれには関係ねえな」
「そうとも言えんさ。殿は昔、よく忍び視察で、飲み仲間の蘭医や剣術仲間の斎藤さまを連れて本田覚庵家に泊ってたそうだが、本田家で見た歳さんが忘れられんのだ。書道の学習を終えてから、流れを恐れる兄の手を引いて夕闇迫る多摩川の激流を敢然と渉る幼い歳さんの姿を見送って、その担力と冷静な判断力にえらく感動されておられてな。多摩の地に何ぞの時あれば、石田村の歳三を我が陣営に引き入れて力を借りよ、と、わしらにも常日頃から申されておったのだ」
「さっぱり分からん。その、何ぞの時ってえのは?」
「国難だ。今、黒船の襲来で国内が二つに割れるかも知れんと殿は見ている」
「国が割れる?」
「この巨大な黒船の噂は、江戸から多摩、秩父、甲斐、信濃、木曽、尾張、陸前、越後、安芸、長州や土佐、薩摩、関東各地から奥州まで風のように広まって日本の津々浦々までを騒然とさせているのは知っているな?」
「知ってるさ。だが、幕府が何とかするんじゃねえのかい?」
「老中首席の阿部正弘さまが必死の覚悟で推し進める連日の合議でも結論が出ず、幕府の権威も日ごとに失われ、諸大名や家臣、一般庶民の心も徐々に幕府から離れてゆくばかり、悲しいことだ」
「荷車にいっぱいの家財道具を積んで、親類を頼ってか、江戸府内を離れる人で、甲州路などもごった返しているのは確かだからな」
「上様もこの騒ぎを憂慮なされておるそうだ」
「上様? 将軍様のことか?」
「今は、阿部正弘さまが国政の全てを任せられておる」
「老中の阿部さま? 伝え聞くところでは暗愚な小心者とか」
「それは事実ではない」
岡野荘四郎が続けた。
「十年ほど前、老中首席に抜擢された阿部正弘さまは当時まだ二十五歳、周囲の期待を一身に集めていた。しかるに、それに替わって罷免された水野忠邦さまが再び老中に復帰するにおよんで、若い阿部さまの力は封じられ、活躍の場を失ってしまった」
「水野さまが失脚したのは、倹約令や町人武芸禁止令、洋式軍備推進など、矢継ぎ早に改革を進め過ぎたからだ。なのに、なぜ復帰出来たのか、当時は不思議がられたと聞いたが」
「ほう、歳さんは、よくそんな子供の頃のことをよく知っとるな?」
「水野さまは、改革反対派に追い落されたって喜六兄に聞いている」
「そんな単純なものじゃないさ」
岡野荘四郎が語る天保の改革は、次のようなものだった。
十年以上に及ぶ天保年間の改革は、天候不順が祟っての相次ぐ全国的な凶作から始まった。
米価や物価高騰で大飢饉が続き、あちこちで百姓一揆や打ち壊し、大坂での大塩平八郎の乱に続く各地の米騒動などで全国各地の各藩が混乱に巻き込まれていた。そのために、幕府も各藩も、お救い米放出や貧民救済で財政も底をつく状態になっていた。
老中首座の水野忠邦は、飢饉の一因を農家の若者の江戸市中への流れ込みによる離農とみて、農地回復を旗印に農民を故郷に帰す「人返し令」を布告した。次いで、派手な衣装や遊興を禁止する奢侈禁止令などを矢継ぎ早に出し、激しい抵抗を封じて大奥にも粛清の手を伸ばして改革を早めた。
さらに、北町奉行の遠山金四郎景元、南町奉行の矢部定謙(さだのり)を通じて庶民にも倹約をするよう布令を出し、派手な祭りや贅沢な芝居などを禁じる布告を出させた。
しかし、江戸市中の名主や町民、大奥や大奥に加担する若年寄などの激しい抵抗に遭った遠山・矢部の両奉行が水野に叛いて、厳しい布令の見直しを迫ったから水野忠邦が怒った。
遠山景元には老中・真田幸貫(ゆきつら)や阿部正弘、韮山代官の江川太郎左衛門、小普請奉行の川路聖謨(としあきら)などが味方に付いたために手が出せなかった。そこで、水野忠邦は、怒りの矛先を、正論を貫く矢部定謙に的を絞り、些細な失敗を責めて失脚させた。
その上で水野忠邦は、腹心の部下であった目付の鳥居耀蔵(ようぞう)を強引に後任の町奉行に据えて、邪魔者を排除させる策に出た。水野忠邦に恩義を受けた鳥居耀蔵は、自分にとっても長年の宿敵で目の上の瘤である遠山景元や江川太郎左衛門に牙を剥き、対抗心を丸出しにして職務上の争いを挑んだ。
鳥居耀蔵は老中・水野忠邦を後ろ盾に辣腕を振るい、問屋仲間の解散、市中物価の統制、公定賃金を一定にするなど、次々に施政側に都合のいい政令を江戸市中に出し、ついには、旗本や御家人向けに低金利で貸付けしていた商人や両替商に、貸付金の返済免除を命じて武士の借金を帳消しにするという暴挙に出た。これで貧しい武士は喜んだが商人は怒った。
水野忠邦は、さらに貨幣の改鋳を行い、金貨に含まれる金の含有量を減らして幕府の財政を潤すべく図った。その上、将来の日本の防備にとの理屈をつけ、江戸・大坂十里四方に入り組んでいた大名領や旗本領の飛び地を返上させ、代わりに本領付近の土地を幕府が支給する「上地令」を発布した。
この水野忠邦の強引なやり口は、御三家の紀州藩をはじめ江戸・大坂十里四方に領地を持つ大名諸公や旗本が猛反対して収拾がつかなくなった。この水野忠邦の土地換えに真向から反対した急先鋒は、水野の仇敵である下総国古河藩主の老中・土井利位(としつら)だった。
そこで、話に飽きた歳三が腰を折るように聞いた。
「権力の座にいる水野さまは、弾圧で切り抜けたんだね?」
「それが違うんだ。形勢不利とみた鳥居耀蔵があっさりと裏切り、それまで大きく世話になった水野忠邦の策略や裏工作を、残らず政敵の土井利位に流して自分だけ生き残りを謀ったんだ」
「裏切りか?」
「老中・土井利位さまが、必死になって上地令に猛反対した裏には、大きな理由がある。それは、土井家が持っていた河内や摂津の飛び地に住む有力な複数の町人から、領主の土井家が莫大な借金をしていて、その経済的な結びつきの崩壊を恐れた領民から、上知令に反対する強訴から、暴動にまで発展しそうな状況だったからだ」
「でも、反対は土井家だけじゃなかっただろ?」
「大名なんて、どこもかしこも台所は火の車だったからな。ともあれ、鳥井耀蔵の裏切りで、水野忠邦の裏工作資料は土井利位の手に渡った。その裏資料を元に、徹底的に不正を糾弾して水野忠邦を権力の座から失脚させて、自分が首座についき、上地令を潰した」
この手の話は兄の喜六が意外に詳しく、歳三も何となく聞いたことがある。
確か、筆頭老中から失脚した水野忠邦は不死鳥のごとく返り咲いたのだ。
将軍家慶(いえよし)から「異国対策に水野が必要」と鶴の一声があって復帰したとも聞いたが、どうも真相は違うらしい。その後、「土井・鳥井憎し」で復讐の一念に燃えた水野忠邦は、恥も外聞もなく幕閣内に大量の賄賂をばら撒いて外堀を埋め、若年寄らを通じて将軍を動かして復帰したという噂が流れていた。
老中に復帰した水野忠邦は、仇敵の土井利位を失脚させ、次に、自分を裏切った鳥居耀蔵を江戸南町奉行から引きずり降ろして追放し、後任に、かつては自分に刃向かった元北町奉行の遠山金四郎景元を就かせて恨みを晴らした。その上、将軍家慶の死で自分の後ろ盾がなくなったのを機に、親しい阿部正弘を老中首座に推し、さっさと引退してしまった。水野忠邦は権力の座を復讐に利用しただけだったのだ。
歳三は、阿部正弘の老中首座は単に運がよかっただけだと思っている。
「阿部さまの老中首席は、棚ボタだな?」
歳三の一言を岡野荘四郎が即座に否定した。
「棚ボタどころか貧乏くじさ。ま、歳さんがまだガキの頃の出来ごとだがな」
ここで岡野荘四郎が手を打って気軽に吉野家の女中を呼び、酒を所望して膝を崩した。
4、 老中首席・阿部正弘
岡野荘四郎が言った。
「世間では昼行燈(ひるあんどん)などと言われているが、阿部さまは聡明なお方で、やるとなったら仕事は早い。先年も、江戸城西の丸造営を任され、昼夜兼行で指揮した結果、短期日で予算も半分に近い額で仕上げて一万石加増という功を得ておられる」
「それと、今の状態とは違うだろ?」
度重なるオランダ、イギリス、ロシアに加えてアメリカ船の来航や、中国でのアヘン戦争の影響などの対外的な脅威が深刻になったため、この国難を回避するための策と称して、朝廷を始め、薩摩の島津斉彬さまや水戸の徳川斉昭さま以下の諸大名や識者らからも意見を求めた。
だが、どの大名からも有効な対案は出なかった。ましてや、聡明な将軍家慶さまがお亡くなりになり、幼児性があるなどと噂される家定が十三代将軍に就いたことで幕府の弱体化は誰の目にも明らかだった。それも勤皇に凝り固まっている西国雄藩の幕府への圧力を強める要因になっていた。
そんな内容を歳三に聞かせてから岡野荘四郎が続けた。
「阿部さまは、江戸の治安は遠山さまに任せ、密かに幕府軍の強化に乗り出した。それを我が殿に相談されたのだ」
「タンナンさんに?」
「そうだ。阿部さまが老中主座に就いて以来、我が殿はその右腕になって海防掛(海岸防禦御用掛)となって、アメリカ帰りの万次郎の知恵も借りて外国との戦さに備えるため、伊豆と多摩で農兵隊の育成を進めていることを阿部さまに伝えたら、大変、感心されたそうだ」
「それで?」
「阿部さまは我が殿を倣って、自らが治める備後福山藩の国家老に命じ、藩の資金に加えて、江戸造築恩賞の一万石もつぎ込み、藩校も誠之館(せいしかん)と改め、武士も町民百姓も同じ文武両道をと、身分に関わらず緊急事態のための人材育成と軍備を急いでおられるのだ」
「阿部さまは、世間の評価とは大分違うようだな」
「昨年、アメリカの東インド艦隊が浦賀に来航して通商を求めたとき、阿部さまは、鎖国を主張した諸藩の意見を入れて開国を拒絶した。だが、戦って勝てるか? と、我が殿に聞いたそうだ」
「タンナンさんの意見は?」
「異国が攻めてくれば国を挙げて戦うだけで、結果は分からぬ。こう答えたそうだ」
「そうか?」
「ただ、十年近くも老中首座にいる阿部さまも、最近では度重なる外国との交渉で体調を壊して床に伏し、どうやら近いうちに老中首座を佐倉の堀田正篤(まさひろ)さまに譲るらしい」
「堀田さま? 一度引退したんじゃないのか?」
「堀田さまは一度老中を退いたが、阿部さまの推挙で老中に返り咲いていたんだ」
「お年寄りの堀田さまで大丈夫なのか?」
「大丈夫なもんか、もう幕府は長くもたん。早晩、西から倒幕の火の手が上がるだろう」
ここで一瞬、岡野荘四郎がためらった。歳三にどこまで話すべきか迷ったらしい。
岡野荘四郎が腹を括ったように再び口を開いた。
「実はな、病の身で職務に必死に励んだ殿だが、もう無理だ」
「タンナンさんは重病か?」
歳三が思わず身を乗り出した。
親戚の本田覚庵宅で一緒に書道を習ったときに、江川担庵には、お供の斎藤弥九郎より筋がいいと褒められて頭を撫でられたり、菓子や手拭いを貰ったことがある。その担庵が命を投げ出して国のために働いていると聞いては、歳三とても知らぬふりは出来ない。
「殿は、隠居して長男の英敏さまに家督を譲ろうとした矢先だった。ところが折悪しく、今回の黒船騒ぎだろ。これで寝食を忘れて働き過ぎて、すっかり体を弱らせてしまったのさ」
「黒船のおかげだな?」
「あのマシュー・ペリー率いる東インド艦隊の威容をつぶさに見た殿は、今から大砲の鋳造を始めたって、こんな化け物相手に勝てるわけがないと言いなさった。こんな弱気な殿を見るのは我々も初めてだったから驚いていたら案の定、松本良順さんの診立てで病の重いことが分かったんだ」
「タンナンさんの病いには困ったが、化け物の黒船にだって弱点はあるだろ?」
「歳さんには分かるまいが、主艦は蒸気外輪で海上を疾駆する鉄製艦で、一五〇ポンドというバカでかい大砲(おおづつ)が十二門、機関砲などいくらでも積んでるから、これー艦だけで日本の沿岸の防壁や砲台は一気に叩き潰されてしまう」
「そんなのが何艦も攻めてくるのか?」
「艦隊の中には、甲板に十八門も大砲を並べてる戦艦もあるんだ」
そこで岡野荘四郎は喉の渇きを潤すように酒を啜り、言葉を選ぶように口を開いた。
「海防掛として沿岸警備を任された殿は、急ぎ品川沖に台場を建造して砲台を据え、そこを通る外国の戦艦を砲撃できるように工事を急いでいるが、殿にはもうそれも出来ん」
「どうする?」
「英敏さまは英傑とはいえまだ十七歳、土佐、長州を始め諸藩を差配して国内の沿岸警備を完璧に固めるには若過ぎて無理がある。そこで、過労からきた病身に鞭打って国のために死を覚悟して重責を受けたが、もはや殿の命は、内臓疾患の悪化で余命いくばくもない」
「こいつは辛いな。江川家はどうなる?」
「それは心配ない。江川家に代々仕える大番頭・柏木惣蔵以下、石井修三、望月大象、岩嶋源三郎、それに練兵館の斎藤新太郎など我々手代が、各地に網を張った仲間名主の手を借りて将軍を守る」
「仲間名主?」
「ここの吉野文右衛門、下谷保村の本田覚庵、日野の佐藤彦五郎、小野路の小島鹿之助殿などだ」
「そういえば彦兄は、農民も武芸を身につける時代だって言ってたが、以前からの計画か?」
「わが殿は、伊豆金山村の農兵訓練以降、それを本格的に実現するために日野の佐藤彦五郎を中心に多摩農民兵軍団をつくるように我々に命じられた」
「農民兵か。おれはご免だな」
「歳さんにはもっと大切な用がある」
(やはり、そうか?)
そうじゃなければ、こうして会う理由がない。
その歳三の心を見透かすように岡野荘四郎が言った。
「ひとまず外国と和して内外の戦いを避ける手だが、外難に対しての挙国一致を考えるのであれば、勤皇を旨とする薩摩の島津さまと図って天皇家と徳川家を結んでの公武合体策こそ、救国には最善の良策となる」
「天朝さまを担いで幕府に刃向かおうとする西国各藩をなだめるには、公武合体しかないと?」
「そうだ。幕府内では連日のように外国にどう対するかの評定は続いているが、主戦論と穏健派に真っ二つに分かれて結論は出ない。これでは幕府の脆弱さだけが際だって、いつ西国大藩が寝返るか分からん。だからこそ、今のうちに公武合体を急がんといかんのだ」
「敵は外国だけじゃないんだな?」
「京都以西の大藩の殆どは勤皇派で、その天皇も異国人は大嫌いだという」
「異国の強引な申し出を幕府がどう始末するかだな?」
「その通りだ。長州、薩摩、佐賀、土佐、芸州など西国各藩は、息を潜めて様子を眺めている」
「なるほど、幕府のお手並み拝見というところか?」
歳三が手酌で盃に満たすと徳利が空になった。すかさず岡野荘四郎が手を叩いてまた遠慮なく酒の追加を頼んでいる。
5、 江川担庵の遺言
女中が持参した燗酒を盃から茶碗に換えた岡野荘四郎が、豪快に呑みながら話を続けた。
「隠密からの報告では、薩摩や長州だけでなく、今や西国各藩それぞれが農民や町民に鉄砲を撃たせる動きがあるそうだ」
「こちらも同じ手を考えてるんだろ?」
「東国各藩の台所は火の車だから鉄砲など潤沢に購入できんし、武士以外の戦闘員の増強までは手が回らん。幕府側は大きく後れをとっている。わが殿は、伊豆金山村と多摩の農民兵、八王子千人同心に鉄砲隊を任すつもりだが、そんなものは知れてる。こんな時に、アメリカ大統領フィルモアの親書を持ったペリーは強い意思で開国を迫り、長崎にはロシアのプチャーチン艦隊も来航して通商を求めている。もはや、闘うか開国か二つに一つしかない上に、国内の争いが始まるんだ」
「そうなると、長州などを敵に回すのは得策ではないな」
「その通りだ。我が殿もそう言われる。それでも準備は必要だからな」
「タンナンさん亡き後はどうなる?」
「いくら優秀でも若い英敏さまでは幕閣は動かせん、いざ戦争となってから鉄砲の訓練をしても間に合わん。そうなると刀が頼りだ。鉄砲じゃ人は切れんからな」
「おれの出番はあるのか?」
「それを、わが殿が考えた。歳さんは、将軍家のために働いてもらう」
「将軍家? タンナンさんのためじゃないのか?」
「もはや、わが殿も将軍・家定さまも余命いくばくもない。護るのは将軍家だ」
「将軍家? 次の将軍も護れということか?」
「これからは公武合体策に幾つかの手は打つが、いざ、戦いとなった時のために布石を打っておく。それは外国でも西国各藩相手でも同じだ。徳川家には恩義があるからな」
「恩義?」
「それは、江川、土方、吉野、岡野、柴田、今ここに関係ある家系が全て、かつては小田原北条軍に属し、太閤の小田原攻めで前田利家、上杉景勝の軍勢に落とされた八王子城、滝沢城に与して破れたが、徳川の被護の元に生き延びて来ているのは間違いないからだ」
「土方はその通りだが、弥太さんもか?」
「わが岡野は江川家と縁戚関係にある。江川一族の祖は源氏の出で小田原北条家に仕えて、秀吉軍に敗れたが家康公に助けられた。その恩義に報いる時が近付いている。歳さんの一族も同様だ。
騎馬軍団として参戦した江川家の出城だった滝沢城をめぐる攻防で破れて石田村に逃れ・・・」
「そんな古い話、今さら持ち出されても困るぜ。二百六十年も昔の恩義など知るものか」
「いずれ国は二つに割れ、幕府は不要になる」
「戦って勝てばよし、負けたら江川家はどうなる?」
「江川家は、戦って相手を苦しませた末に機を見て和睦して生き残る。その場合、筆頭手代の柏木総蔵さまは、信州真田一族の例に倣って江川一族および我々手代を敵味方二つに分けるつもりだ」
「敵味方になって戦うのか?」
「そうだ。どんな手を使っても江川家を残すのが柏木さまの役目で、我々はそれに従う。そうして生き延びた側が江川家と徳川家を護るのだ」
「そこまでして将軍家への義理を果たすのか?」
「その通り。そのために歳さんの力を借りたい」
「将軍家には旗本がいるのに、なぜ、おれが?」
「柏木さまに聞いたが、歳さんは武士になりたいそうだな?」
「子供の頃、タンナンさんのお供の柏木さんに聞かれてそう答えたが、もう、そんなことはどうでもいい。軟弱な武士など何の価値もありはしない」
「わが殿は、農兵隊のほかに、身分を問わない強力な精鋭部隊も考えなさっている」
「おれはその一員か?」
「いや。その人探しの役だ」
「なんだ。そんな端役なら降りる」
「そうか」
暫く沈黙してから岡野荘四郎が歳三の目を見て言った。
「この頼みは、我が殿の遺言だと思ってくれ」
「遺言?」
「このまま、わしの鑑札と商売道具を担いで旅に出てくれんか?」
「旅へ? 冗談だろ? それがタンナンさんの遺言か?」
「これは、老中首席・阿部正弘さまと江川家、強いては将軍さまの頼みと思ってくれ」
「鉄砲の使い方でも習うのか?」
「そんなのは、鉄砲さえ与えれば誰でも出来る」
「じゃ何だ? まさか、命のやりとりなんて言わねえだろうな?」
「その、まさかだ」
「冗談じゃねえ。人の命を何だと思ってるんだ」
「まあ怒るな。いずれ、いつかは消える命だ。話だけでも聞いてくれ」
「聞くだけだぞ」
「わが殿は、これからの戦さは銃火器だが、その前の斬り合いで戦機は始まる、と見ている」
「どういう意味だ?」
「今の旗本連中は太平に慣れた道場剣術の竹刀遊びだから、白刃の斬り合いでは勝てっこない」
「それは、相手も同じだろ?」
「それは違う。西国各藩は命を惜しまぬ下級武士に勤皇攘夷の風を吹かせて脱藩させ、裏金を与えて剣術と人殺しの修行をさせた上で捨て駒に使う」
「脱藩させて?」
「そいつらが勝手に京の都や江戸に入って、放火、略奪、辻斬りで人々を混乱と恐怖に陥れる」
「それが倒幕とどうつながる?」
「治安の乱れは怨嗟の声となって為政者を責めるから、幕府は足元から崩れて行く」
「奉行所の役人で取り締まれんのか?」
「人を斬ったことのない役人など、何の役にも立たん」
「だから、おれに人を斬って来い、と?」
「そんな無茶は頼まんよ」
「じゃあ何だ?」
「無法な浪士を斬れる腕っ利きで、幕府に与する者を探す旅だ。浪人、無宿者、侠客など修羅場を潜った命知らずなら誰でもいい。いざという時に役立つ暴れ者を探してくれ。何人でもいい」
「なるほど捨て駒か。歯には歯をってやつだな? 万が一、争いになったら?」
「斬ってもいい。江川家が動いて、斬り捨て御免で役人に後始末させる」
「こっちが斬られたら?」
「弱かったんだから仕方がない。閻魔さまにでも愚痴を言え」
「ひどい役だな。争わないで相手の器量を見るだけでいいのか?」
「それで充分だ。いざという時、そいつらにお上から声をかけさせる」
歳三の腹が決まったのを感じたのか、岡野荘四郎が豪快に茶碗酒を煽った。
それから暫く二人の密談が続いた。
間がよく道場の稽古も終了し、井戸で汗を流した弟子達全員が揃っての遅い朝食になった。
賑やかに石田散薬をダシに焼酎を飲み、若菜と芋入りの朝がゆを食しての賑やかな宴になる。
羽織袴に威儀を正して大小を腰に差した吉野道場の弟子達は、髷は百姓だが気分は誰もが武士なのだ。彼等は竹刀に稽古着や武具を括りつけて肩に担いで下駄音高く散って行く。
「じゃあ、歳さん。またな」
軽く手を振って去った酒屋の久蔵もまた、なまじの武士より武士らしい。
歳三は、改めて岡野荘四郎の「時代は変った」という言葉を噛みしめていた。
6、 暴れ者探しの旅
その夜、歳三は岡野荘四郎から、全国関所御免の葵のご紋入り幕府ご用達小間物行商人「豆州長岡村・弥太郎」の鑑札と、大風呂敷で包んだ小間物入りの荷篭、ずっしりと重い胴巻きが手渡された。
「日野の彦五郎ご夫妻も、こうなると推察して数年の音信不通は許す、と言ってたぜ」
「そうか・・・」
「いいか。歳さんは今から公用で、幕府御用商人・豆州長岡の弥太郎だぞ」
「公用か?」
文右衛門が二尺弱(約三十センチ)の無名だが頑丈そうな道中差しを歳三に与えた。
「二尺以上はご禁令だからな」
文右衛門の妻カクは、新しい着物と道中合羽と盆型の菅笠、手甲、脚絆、草鞋など旅支度をそっくり出して来た。驚いて見ると股引や下帯まで揃っている。
「何から何まで用意してあるじゃねえか?」
道之助は「何もないが」と言いながら、用意していた矢立て(携帯用筆記具)と美濃紙の束、火打ち道具をとり出した。
「こいつは嬉しいね」
歳三は、日頃から儒学や学問を学び、俳諧に長じているだけに筆記具は何よりも嬉しいのだ。
ただ、あまりにも準備が良すぎるのに呆れて、素直には喜べない。道之助が笑った。
「歳さんはこの話を必ず受ける、と、岡野さまが仰ったんで支度してたんだ」
「弥太さんには敵わねえな」
これで歳三も気分が変った。歳三に賭けた岡野荘四郎が気持ちが嬉しかったのだ。
歳三は、早速、墨入れに筆の穂先を浸して滲ませ、道之助から貰った紙に思いを詠んだ。
公用に 出て行く道や 春の月
「まあ、不出来だが即興だからな」
歳三の照れに文右衛門が応じた。
「気合いが入って、なかなかいいじゃないか。今宵は満月ではないがな」
吉野宅に、石田散薬入りの朱籠と袋入り木刀を預けた歳三は、小間物商・弥太郎に姿を変えた。
新たに背負う荷篭の中には、かんざし・笄・髪飾り・化粧品・帯・草履などの品が入っていて、歳三でも分かるように値札が付いている物もある。その品々や所持金が不足した場合は、本所の南町下水の江川家屋敷に常駐する岡野組手代の増山健次郎に便を出せば、数日後には早飛脚で歳三の指定した宿に着くことになっていた。この手の手法は隠密行動の常套手段だが、この手法は、歳三も石田散薬の補給や路銭の不足で兄の喜六相手に使うから慣れている。
文右衛門夫婦、荘四郎、道之助に見送られての淋しい旅立ちだったが、歳三の心は高揚していた。 この日以降の数年、自分の消息は兄の喜六夫婦と江川家以外に知らせず、余ほどのことがない限りは家にも戻らない。これが、岡野荘四郎との約束だった。歳三は、夜のうちに行けるところまで行って自分の痕跡を消す。そのための夜立ちだった。折りから十三夜の月が出て提灯も要らない。
兄の喜六夫婦と義兄の佐藤彦五郎と姉ノブには、すでに江川家から歳三の長旅は伝えられていて、他人には、歳三が本所の江川家江戸屋敷でパンという外国の食べ物を造るのに、住み込みで手伝っていると言うことになっている。パンの作り方は、アメリカ帰りの手代・万次郎が持ち込んだもので、すこぶる美味だという。いずれ、土方家や佐藤家、吉野家にもパンが届くことになる。
「歳さんにも、腹いっぱい食べさせてやるからな」
岡野荘四郎はこう約束した。これも、新しい物好きの歳三には励みの一つになる。
行商の旅は石田散薬も小間物も変わらない。ただ、売らなくていい商いだから気分は楽だ。
歳三は今までも石田散薬の行商で、かなり広範囲な地域を歩いているが、今回は江川家支配外の土地でも行ける通行御免の旅であることが嬉しかった。下総、上総など行ったことのない土地にも行ける。一抹の不安は、幕府のために働く命知らずの剣術家を、どこで探せるかどうかだった。
だが、その危惧はすぐ晴れた。
どこの土地にも暴れ者の一人ぐらいはいるものだと知ったからだ。
常見一郎という男とは、旅に出てすぐ知り合った。
春とは名ばかりの冷たい雨が降る夜、歳三は甲州石沢村の商人宿に草鞋を脱いでいた。
二階の六畳間で、食事の膳を前に燗酒を飲んでいたところに女中の声がした。
「済みません。相部屋をお願いします」
振り向くと、障子をを細く開けて女中が顔を出し、その背後の廊下から浪人らしい男が言った。
「町人、飲んでるところ悪いが入るぞ」
歳三は、雨で気が滅入ったところに、まだ酒が利いてないから機嫌がよくない。
「おれは一人酒が好きだから、ほかの部屋を当たってくれ」
これが、浪人の癇に触れたらしい。
「人の挨拶を無にするとは、町人の分際で生意気な!」
いきなり、障子を大きく開けて部屋に踏み入り、右手に持った刀の鞘の部分で膳の上の徳利だけを横に払った。中の酒が飛び散ると同時に、歳三の右手が伸びて男の膝を裏から手刀で思いっきり叩いた。男が思わず膝を折ったが素早く立ち上ると、怒り心頭で「こやつ!」と、手に持っていた刀を、廊下で呆然と立つ女中に手渡してから、拳を振るって歳三に殴りかかって来た。こうなると歳三も遠慮はない。騒ぎに気づいて宿の者や客などが総出で眺める中で心ゆくまで殴り合い、乱闘の末に歳三が男を組み伏せて左右の拳で顔が腫れるほど派手に殴った。歳三もかなり殴られている。
町人が、屈強な髭面の強そうな浪人を殴り倒して組み伏せたから見物の宿の客が喜んだ。
「もっと殴っちゃえ!」「殴り殺せ!」「顔の形を変えてやれ!」
ヤジにも負けたのか下から「参った!」と聞えたから歳三は離れた。
浪人が半身を起こして、まじまじと歳三を見た。
「恐ろしく強い町人だな?」
その語尾が消えないうちに浪人は立ち上り、手を伸ばして女中から刀を引ったくると、白刃を抜いて歳三の首を払った。素早く首を竦めて初太刀を避けた歳三は、左手で自分の道中差しの鞘を掴み、抜き打ちで刃先を浪人の胸元に突きつけると、浪人が動いて血が流れて着衣を濡らした。
「動くと突くぞ!」
これで浪人は観念したらしく、すぐ手から白刃を離して畳の上に放り投げた。
見ていた十人ほどの観客が、声を上げる間もない歳三の早業だった。
「浪人さん、相部屋で結構だからヤボな手は使わんと約束できるかね?」
「分かった。おまえには敵わん」
これで騒ぎは終わり、観客は散った。
顔青ざめた女中が階段を忙しく昇り降りして畳の血を雑巾で拭き取り、ガマの脂で浪人の傷の手当てをしてから、「いま、膳を運びます」と、階段を降りて行った。
その背後から浪人が「熱燗六本!」、口調を変え「酒は奢る。仲直りに飲もう」と、屈託なく歳三に言った。
この浪人が武州足立郡安養寺村出身の常見一郎、岡野荘四郎と同じ神道無念流の使い手だった。
歳三は、この無法者・常見一郎の名を一番目に紙片に書き残しておくことにした。
7、 祭りの賭場
歳三が、大工見習いの金之助を見かけたのは桜の花びらが風に舞う春たけなわの午後だった。
甲斐の国一宮浅間神社の例大祭で賑わう境内には、善男善女がひしめいていた。この神社の創建は大和朝廷第十一代垂仁天皇によるといわれるから、かなり古い神社なのは間違いない。街道に面して大鳥居があり、さらに二つの朱塗りの鳥居を潜った先に随神門、その先に浅間神社の神楽殿や本殿などが立ち並ぶ。
拝殿に立ち、わずかの賽銭を投げ入れて神妙に柏手を打ち、生きている感謝を奉じた。他に思いつくことがなかったからだ。周囲の百姓町人の老若男女、なかには武士の姿もあり、夫々が賽銭を投げて願い事を念じている。
多分、誰もが五穀豊穣・家内安全・良縁決着、一生安楽・武運長久などと願っていようが、所詮、この世は一寸先は闇、なるようにしかならぬもの。歳三は幼くして父母や兄や姉の死に立ち会ってきただけに「死ぬは易く生きるは難し」の意味がよく分かっていた。人の死は必然で、医を尽くしても天命には勝てぬもの。だから、せいいっぱい生き、生きていることに感謝するのだ。
それは、命を惜しむというものでもない。
祭りでは、何処の地でも希望に溢れた賑わいを求めて人々は集まる。ここでも、露天商や見世物小屋の元気な掛け声、大道芸人の笛や太鼓の音曲が群衆の気分を華やいだ気分に盛り上げて明るい笑顔を誘っていた。ここでは、一時的にせよ黒船来航以来の混迷と不安を打ち消すように誰でも明るく天下泰平、桜吹雪を浴びるどの顔も善男善女としか見えなかった。
だが、大工の金之助の姿を見たのは、この善男善女とは縁のない世界でだった。
歳三派は、ふと拝殿横に「御賽銭勘定場入口」との立て札があるのに気づいた。これは、祭礼時だけ黙認される花会(賭博場)で、土地の旦那衆には廻状が回って招待されている者もいる。
本殿を裏手に巡ると、欅の大木に囲まれて昼なお暗い空き地に紅白の幕があり、中から殺気だった中盆の声が響く。
「さあ、張った張った人生の丁半勝負。吉と出ればお大尽、凶と出たら貧乏人!」
そこは、境内の桜や善男善女とは無縁の別世界、大工の金之助はそこにいた。
歳三が、金之助と最初に出会ったのは、石田村の実家だった。数種の薬草を焙り干して調合する石田散薬のための、小屋の増築に大工の棟梁を頼んだのだ。その棟梁の下で働いていた見習いが金之助で、年齢は歳三より二つばかり上のように見えた。
二度目に会ったのは姉の嫁ぎ先の日野の佐藤彦五郎邸だった。義兄が道場の普請を頼んだ大工の棟梁の見習い弟子がこの金之助だった。その棟梁の住まいが日野だったこともあり、金之助も佐藤彦五郎邸に出入して剣術指南に来ていた試衛館の近藤周助や福田平馬らに稽古をつけてもらっていたのを見たことがあった。そして、三度目に会ったのが、この都留村の祭りに寄った黒駒一家の鉄火場だった。鉄火場とは百姓町人相手に開く最下級の賭場のことで、役人も一回の賭け金が五十文程度であるならば、庶民の遊びとして見逃していた。とくに、高市(祭り)の境内での盆茣蓙は、稼ぎの一部を賽銭に勘定するという風習から治外法権的に黙認されていて、大金を賭けない限りは許されていた。その賽銭勘定分が賭け金の一部を徴収する寺銭で、本来は神社に寄進すべき性質なのだが、実際にはそれが博徒一家の稼ぎになって神社にはほんの少しの寄進でお茶を濁す。しかも、この近隣だけで神社は百近くもあるから稼ぎも大きいだけに博徒の縄張り争いも熾烈になる。
地方によっては、この縄張りを悪徳代官の手下が仕切っている場合もある。
天領でも、江川家のように領民のための善政を行う代官ばかりではない。旗本知行地を任された代官の中には、収穫に見合わぬ過酷な税を取り立てて農民から憎まれたり、役人代行の目明しと博徒の二足の草鞋を履く無法者が賭場を開き、貧しい農民のなけなしの銭を絞り取る例も少なくない。
そんな輩が侠客と称して一家を成し、縄張りを争っているから始末が悪い。しかも、そんな連中が争いごとに備えて腕の立つ浪人を用心棒を雇っている。どんなに大金を払っても、縄張りさえ広げられれば稼ぎに見合うからだ。そんな博徒の用心棒に、腕が立つ剣客が紛れ込んでいる場合がある。
そこに目をつけた歳三は、祭礼を見かけると、ご開帳の賭場を覗いて歩いた。
博徒の盆茣蓙にも格があって、高名な博徒の襲名披露などでは、畳か板の間に敷布団を十枚ほど敷いて白木綿を被せて盆茣蓙とする。だが、こんな大きな花会は滅多にない。かなり大きな博打場でも三間盆といって、畳三枚を横に並べて細長くした盆茣蓙を作り、客は丁側と半側それぞれ好きな方に座る。その丁座の真ん中に主宰する一家の親分または代貸が坐り、その反対側の半側正面に中盆と壺振りが並んで座る。
三間盆の下となると、下っぱが小脇に抱えた巻き茣蓙を地面に広げ、その周囲に刈りとった草を敷いて盆茣蓙の形を調えて博打場とするようなケチな賭場もある。こんな賭場では小銭しか使わない客ばかりだから上がりも少なく寺銭も集まらない。
この浅間神社の賭場は、本格的な三間盆で、周囲を紅白の幕で囲っていて案内役もいる。
歳三は、小金が飛び交う博打などは性に合わないが、賭博に狂う人間模様は嫌いではない。
目を血走らせ真剣になって丁半の賽の出目に賭ける時、人は本性をさらけ出しているからだ。
歳三は、その笛吹川に近い浅間神社裏の賭場で大工の金之助の姿を見て、賭場の客になった。
金之助は賭けごとに熱中すると周囲が見えない性質らしく、すぐ斜め前に座った歳三に全く気づかずに賽の目を読むのに夢中だった。もっとも、歳三も小間物屋の弥太で通っていたし、毎日のように危ない橋を渡っていたから顔つきも精悍になっていて、金之助に気づかれないのも無理はない。
この金之助という男は育ちがよく、兄の喜六が茶飲み話で金之助の雇い主である大工の棟梁から聞いた話を歳三に話したことがある。御三卿筆頭一橋家の近習番の長男として生まれ、生れながらのやさ男が間違いの元で、女関係で何度も失敗を繰り返していると聞いた。
少年期から女にモテ過ぎた金之助は、一橋家の奥方さまの寵愛を受けての秘め事が露見して、お手討ちになるところを御重役の配慮で、一ツ橋家出入の大工の棟梁に預けられて武士への道を捨てた。大工見習いとして働くことにはなったが金之助は毎日が面白くない。棟梁に小金を貰っては公然と賭場に出入したりして自堕落に暮らしていた。
本来の武士の血が騒ぐのか、剣術だけは止められず、多摩の村々の名主道場に出入して稽古をしていたから、かなり出来ると聞いている。それでも賭博はやめられないらしい。多分、金之助は、この地に出張の大工仕事での稼ぎを賭けごとに注ぎこんでいるものと思われる。
この日は、歳三は勝ち負け半々、金之助は半に賭け続けてツキ勝ちに恵まれ、手許にかなりの駒札を山となって積まれていた。
「丁半、揃いました!」
中盆が賽の入った壺を振ろうとした瞬間、二十人近い喧嘩支度の渡世人が脇差を抜いて駆け込んで来て、盆茣蓙を蹴飛ばして客を脅し、白刃を振り回して暴れ始めた。大柄の坊主頭が怒鳴った。
「ここは今日から三井の卯の吉一家の縄張りだ!。お客さんご一同には、お騒がせて済みません。
どうぞ、速やかに御引き取りください。やい、黒駒勝蔵一家の下っ端ども、大怪我をしたくなければさっさと消えやがれ!」
本来、博徒の喧嘩は死人を出さないのが鉄則だから、相手を嚇して逃がすのが最善なのだが、相手があることだから本気になると殺し合いになる。なかなか思い通りにはならないものだ。
床几を据えて酒を飲んでいた黒駒一家の用心棒が、あわてて酒腕を捨てて刀を抜いたが遅かった。 殴り込み側の用心棒らしい髭面の浪人風の男に一刀を浴び、それを避け損ねて左腕を浅く斬られて低く呻いてよろめきながら逃げ去った。これでは用心棒の名が泣く。
追い出した三井側の浪人風の用心棒はふてぶてしい顔で刀を収め、何事もなかったように懐出をしたまま目前の博徒同士の争いを眺めている。用心棒が相手の用心棒に勝てば仕事は一段落なのだ。
多勢の賭場荒らしに対抗して、黒駒一家の代貸しと中盆の兄いや下っ端など六、七人が脇差しを抜いて応戦したが、衆寡敵せずたちまち手傷を負って追い立てられている。
盆茣蓙にいた客はあわてて逃げ出して、残ったのは歳三と金之助だけだった。
歳三はその光景を、五間ほど離れた欅の大木の根元まで下がって腰を降ろして眺めていた。彼等も行商人姿の歳三を、素人衆とみたから誰も相手にしない。だが、大工の金之助は立場が違う。
なにしろ勝ち癖に乗って荒稼ぎ中に邪魔が入り、山と積んだ駒札も換金できずにただの板きれ、大金稼ぎなど絵に描いた餅に過ぎなくなった。虫の居所が悪いから怒り狂った。駒札を集める掻き棒を手に立ちあがり、その棒でどちらに味方するでもなく片っぱしから殴り始めた。殴られた博徒も痛いから怒る。脇差や丸太で反撃し、いつの間にか両方の博徒が金之助を囲んで殺気だっている。
「こいつから血祭りにしろ!」
「出入りの続きは、こいつをやってからだ」
金之助はとみると、薄気味悪い笑みを浮かべて棒を構えて立っている。元来が武家の出であちこちの道場で鍛えているから剣術の腕は確からしい。それでも二十五,六人相手では勝ち目はない。
すると、突然、金之助がその板切れを投げ捨て、懐から匕首を取り出し、素早い動作で博徒の囲みの輪に飛び込み、多勢の白刃を掻い潜って瞬時のうちに二人の男の腹部と胸を刺し、刀を奪って輪の外に逃げ、匕首は鞘に入れて懐中に収めて立ち直って周囲を睨んだ。
8、 賭場の喧嘩
「殺っちゃえ!」
と、叫んだ男が刀を振るって飛び込むと、体を交わした金之助がその男の頬を切った。
「いててて」
血が噴き出す頬を抑えた男を、尻から蹴飛ばしたから前にのめってガマガエルの姿勢になる。
「そこでガアガア鳴いてやがれ!」
血を見たやくざ者が夢中で金之助を襲うが、ケガ人が増えるだけで旗色がよくない。
それでも、まだ喧嘩場を離れたのは三人だけだから囲みは殆ど減っていない。
突然、金之助が歳三を見て怒鳴った。
「そこの旅人! もしかしたら石田村の歳さんじゃねえのか?」
金之助の視線が歳三に向いた一瞬、そこに隙が出来てヤクザ者が一斉に斬りかかった。
金之助がどこか斬られたらしいが浅手らしく、まだ余裕がある声で叫んでいる。
「歳さんなら助っ人してくれ。赤の他人なら手出し無用!」
こうなれば見て見ぬふりは出来ない。
「おれは弥太郎、歳などという男は知らんが加勢してやる!」
荷物は欅の根元に置き、歳三は道中差しを振るって喧嘩の輪の中に飛び込んだ。
そこからは修羅場だった。白刃が舞い悲鳴が上がり、倒れた男達がだらしなく悲鳴を上げてのたうちまわっていて、足元の怪我人が邪魔になる。それを蹴飛ばして歳三も暴れまわった。
何人倒したか? いくら文右衛門から貰った脇差の切れ味がよくても、血糊が乗ってからは斬っても斬っても相手が倒れず数も減らない。ふと見ると、用心棒らしい浪人風の髭男が刀を抜いている。
「面倒くせえ! 頭は誰だ。おれとさしで勝負しろ!」
歳三の申し出に、相手がすぐ反応した。
「よし。てめえらニ人にこっちも二人だ」
頭を丸めた得体の知れない中年坊主と、ふてぶてしい髭面の用心棒が前に出た。
面白くないのは盆茣蓙で丁半博打を開いていた黒駒一家の面々だ。
「冗談じゃねえ、こっちの喧嘩だ。余計な手出ししねえでくれ」
「うるせえ、黒駒のチンピラは引っ込んでな。こいつらを片付けたらケリをつけてやる」
賭場に殴り込んだ時の名乗りから、三井一家の代貸と用心棒らしい。この一言で他の男達は三間ほど後に下がって脇差を納め、遠巻きにして様子を見守っている。斬られた男達もさほど致命的な傷は負っていない様子で、何人かは姿を消したが布を裂いて傷口を巻いたりして再び戦闘に加わる気のありそうな気骨のある男もいた。
「おれが浪人を仕留めるから、歳さんは坊主をやれ」
「いい加減にしろ、おれは弥太郎だ。おめえは坊主、おれが用心棒をやる!」
「小癪な!」
髭の用心棒が、斜め袈裟がけに歳三の肩を狙って長刀を振るってきた。その鋭い剣風を飛び退って避けて反撃し、乱闘が始まった。歳三以外はそれぞれ、互いに多少の掠り傷は負ったが致命傷には至らない。歳三には相手を殺す気などないのだから、どこかで手打ちにしなければならない。
だが、相手も手強いから下手に弱みを見せると斬られることになる。
「手入れだぞ!」
大声で叫んだ歳三は身を翻して欅の下に走り、荷を担いで周囲を見回すと、祭りの神社での賭博は許されても白刃は御法度だから、盆茣蓙を開いていた黒駒一家はたちまち逃げ散って姿を消した。
三井一家と名乗った博徒連中は、「手入れ」と聞いても動じる風もなく逃げ出す気配もない。
金之助と睨みあっている坊主が、右手で刀を構えたまま、左手で懐中から十手を取り出した。
「ご用だって言ったな。それじゃあ二人とも、大人しくお縄につくか?」
歳三に衣類をぼろぼろにされた髭面の用心棒が喚いた。
「もういいだろう。お互いに無駄死にはしたくない。親分も手を引いてくれ」
用心棒が刀を鞘に収めて歳三に近付いて来た。
「弥太郎さんとやら、おまえさん、ただのムジナじゃなさそうだな?」
「うるさい。おれはムジナじゃない。ただの小間物屋だ」
「そうか? おれは菱山の佐太郎というケチな野郎だ。そこの法印さんに雇われてる」
「なんだ、浪人じゃねえのか?」
「ま、武士の真似ってとこかな」
少し髪の伸びた坊主頭の法印が顎をしゃくった。
「手入れなら、二人をしょっ引くところだが、今日は見逃してやる」
金之助が嘲笑った。
「坊主に博徒に岡っ引き、三足のわらじか? その上、にせ浪人? 全く呆れた連中だな」
「この野郎、いい気になりやがって。にせ浪人のどこが悪い!」
「まあ待て、佐太郎、わしらは縄張りと賭け金さえ取り戻せればいいのだ。こいつらにも用はない」
金之助が居丈高に威張った。
「ならば、おれの勝ち分だけでも返せ!」
「分かった。それで水に流そう。定吉、金は抑えたか?」
法印が定吉という子分を呼んで命じた。
「こいつの勝ち分を返してやれ」
「へい」
さすがに博徒は話が早い。盆茣蓙を襲った直後に金函を抑え、金之助の駒札も数えてあった。
「十五両とニ分二朱ですが、寺銭は二両ほど引きますか」
「随分と稼いだな。巻きあげた残りの銭はいくらある?」
「ざっと百両ってとこです」
「なら、寺銭は要らん。そっくり返してやれ」
金之助は、その金を横柄な態度で受け取り、懐中から巾着を取り出し無造作に詰め込んだ。
法印が、今度は金之助を誘った。
「おまえさんは、いい度胸で腕も確かだ。うちに草鞋を脱がねえか? すぐ幹部だぜ」
「うるせえ。たかが博徒のくせにでかい口きくな。おれは博打は好きだが博徒にはならん」
「まあ、そういうな。関東取締役の御用をつとめる法印の仙之助だ。気が向いたら寄ってくれ」
法印が、定吉という子分を呼んで命じた。
「こちらの弥太郎さんにも、草鞋料で五両ほどくれてやれ」
「わらじ代なら1分もあれば」
「いいんだ。これだけ腕っ節の強い若い衆はそうはいねえ。楽しませてもらった分だ」
子分の定吉が目の前で粒銀などで数えて五両、歳三の前に出した。
「そいつは境内を血で汚した掃除料で寺に寄進してくれ。てめえらの顔はしっかり覚えた」
「覚えてどうしようというんだ?」
「いずれ、出番が来たら声を掛けるさ」
「出入り(争い事)なら手伝うぜ」
歳三は、さっさと荷物を担いで立ち上がった。
(石田散薬があれば、こいつらの傷も早く治るのに)
歳三は腹の中で、そんなことも考えている。金之助があわてて声をかけた。
「弥太郎さんとやら、もしも歳さんに会ったら、鍬次郎からよろしくとな」
「鍬次郎? 分かった伝えておく」
そういえば、金之助から鍬次郎に改名していたと聞いていたのを歳三は忘れていた。歳三はもう後は振り向かない。だが、仙之助と鍬次郎、髭の佐太郎の名もしっかりと頭に刻み込んでいた。
9、 うちわ祭りの夜
上州への道中で遭遇した事件も、歳三の記憶に残った。
上州は侠客の多い土地だと聞いてやって来て、すぐこの事件に遭遇したのだ。
その日の熊谷宿は夏祭りの最中で、盛り場は多くの人で賑わっていた。
街道に並んだ露店に旗や幟が翻えり、横紐に括りつけられた無数の団扇が風になびいている。
「旅のお客さん、うちわ祭りの縁起ものだよ!」
茶店の女に袖を掴まれて振り返ると、目の前に赤飯の上に大根の漬物を載せた椀がある。
「この団扇も持ってきな」
背の荷を降ろし、その上に笠と貰った渋団扇を置き、山盛りの飯椀を手に長床几に座った。
熊谷には、平安期に流行った疫病の退散祈願に京都八坂神社を勧請したという歴史がある。
それが、文禄年間に祇園祭りから熊谷うちわ祭りとして広まり、人々には赤飯が振舞われたとか。
今では、無病息災・五穀豊穣・商売繁盛の祭りとして賑わっている。
丁度、昼飯時で空腹だったから、四文銭を五枚置いて、歳三はすぐ飯を箸をつけた。
「じゃあ遠慮なく頂くよ」
「これは祭りの景気付けで銭はいらないんだよ。それにこれじゃ多すぎて」
「そいつは、団扇代にでもとっといてくれ」
食事を終えて、熱い渋茶を飲んでいる時、騒ぎが起った。
娘が掛け込んで来て歳三の蔭に隠れて震えていて、外で何やら怒号が起っている。
見ると、歳三のすぐ目の前の群衆の人垣の間から、六人のやくざ者が刃物をちらつかせて、初老の男を囲んで脅している。長脇差しを突き出して一人が喚いた。
「よくも俺らをコケにしやがったな! 名主だって勘弁しねえぞ」
「年端もいかない若い娘にいたずらとは、村を預かる者として許せませんぞ」
「手を握っただけで何が悪い!」
「おまえさんら、娘を裏の林に連れ込んで、みんなで手篭めにするつもりでしたな?」
「だったらどうする! 日頃から百姓に悪知恵つけやがって」
「博打を止めさせて悪いのかね?」
「こっちの稼ぎが減るだけじゃねえ、百姓だって楽しみが減るんだぞ」
「都合のいいことを言いなさんな。少し懲らしめますぞ」
「なにを!」
一人が白刃を振るって斬りかかった。
誰もが男達に囲まれた男が斬られた、と思ったが、初老の男は身を翻して刀を避けた。
それを見た男達は汚い罵声で脅しながら、いっせいに刀を抜いて斬りかかった。
歳三は湯呑を置いて立ちあがり、店の女に荷物と娘を預けると。迷わずに争いの中に飛び込んだ。
手には、長床几の上に置いてあった泉州と名入りの渋団扇をとっさに握っていた。
その団扇を猫だましのように振るって、男達の動きを一瞬だけでも惑わせた。
「おやじさん、早く逃げな!」
ところが、初老の男は「助立ちに感謝しますぞ!」と叫んで、敢然と護身用の脇差で男達に立ち向かう。逃げるどころか、これではどう見ても自分から好んで戦っているとしか思えない。しかし、年齢が高いだけに、いくら攻め込んで優位に立っていても疲れが出たら袋叩きにされるだけだ。
これでは仲栽も出来ない。仕方なく歳三は「助成を!」と叫んで団扇を捨てて脇差しを抜くと、積極的に参加して峯打ちで肩口の上を叩いて二人ばかり倒した。知らぬ土地で死者など出すと、どんな目に会うか分からないからだ。
それでも、かなり力が入っているから打ちどころが悪ければ怪我をする。ところが、争いが終わって倒れて呻いている六人の男達を見て驚いた、全員が寸分の狂いもなく頸動脈を押さえて地面でのた打ち回って唸っている。初老の男は歳三と全く同じ手で四人の無法者を倒していたのだ。
「お前さんたち、まだやるかね? 今度は峯打ちじゃないよ」
静まり返っていた群衆から拍手が湧き、惨めな渡世人をののしって笑い者にした。六人の男達はようやく立ち上がると刀を拾って、「覚えてやがれ」と定番の捨て台詞を掠れた声で吐き捨ててよろよろと無様な姿で逃げて行く。
「ざまあみろ! 名主さんにゃ敵うめえ」
群衆の声を背に六人の無法者が姿を消すと、初老の男が歳三に頭を下げた。
「危ないところを助力頂き有り難うございます。おかげで助かりました」
「とんでもない。余計な手出しをしまして」
歳三がいなくても、多分、この初老の男は彼ら六人全部を倒していたに違いない。
「お見かけのところ小間物の商いだね。よろしければ拙宅にお寄りくだされ」
歳三に赤飯を振舞った茶屋の女中が、盆に茶と団子を載せて二人を呼びとめた。
「かぶと山村の名主さま。お見事でございました。粗茶ですが、お二人さまでどうぞ」
「有り難う。頂きますよ」
隠れていた娘が「有り難うございました」と、二人に向かって頭を下げた。
初老の男が、その肩を軽く叩いて、
「おカネ、ご両親は達者かい?」
「おかげさまで」
「気をつけてお帰りよ」
かぶと山村の名主と聞いて、歳三は中年男の素性を思い出していた。
武州大里郡甲山村の豪農で、道場持ちの根岸という名物名主がいると聞いている。
歳三はまじまじと男を見た。村に入った強盗を退治したなどの武勇伝も幾つか聞いた。
多摩では道場持ちの剣術師範の名主は何人もいるが、この辺りでは珍しいのだ。
男は、年齢こそ歳三よりおよそ三十は上だが、肌も顔も生気に溢れて若々しい。
「わしは根岸友山、あんたは?」
「あっしは、豆州長岡村の弥太郎というケチな小間物行商人です」
「あんた凄い面擦れだが木刀だろ? それで小間物売りかい? それとも立ち会ってみるかね?」
この男は歳三を一目見て剣術使い、と見抜いていた。こうして根岸屋敷の道場に招かれ、竹刀で立ち会ってみると、これが思った以上に手強い。
「木刀でやってみるかね?」
名主から誘われて防具下に布を重ね、木刀で立ち会ってみると、歳三がいくらか強いのまでは分かったが、さほどの差はない。
「おまえさんのは実戦向きだね。刀を持たせたらわしは斬られてるな」
稽古を終えて汗を拭くと、友山が歳三の荷を全部買いとると言い出した。
幸い、小伝馬町のいとう呉服店で修行して小間物も知っているから恥はかかないで済んだが、荘四郎から内容を詳しく聞いていなかったから、品物の説明が出来ずに苦労した。
「弥太さん、このべっ甲の櫛は値札がないが、長崎産でニ朱銀ってとこだな?」
友山は、歳三があまりにも無知なのに呆れて全部でニ十両と値をつけた。
「その半分、十両でいいですよ」
「命の恩人だ。ニ十両でも安いくらいさ」
「とんでもない」
「その代わり、暫くここに滞在して、稽古相手をしてくれんかね」
結局、二十両で荷が売れた上に、その夜から暫くは根岸屋敷に泊ることになった。明日は、江川家手代の増山健次郎に商いの品を送らすための手紙を飛脚に托すが、あて先は根岸屋敷にして剣術と物見三昧で遊んで待つ。友山から頂いた二十両は遊興費に使う。
その夜は、酒肴の馳走が出て四方山話をしながら夜開けまで語り明かした。といっても、九割は友山が語り歳三が聞き役ではあったが楽しい一夜だった。
根岸友山は、神田お玉が池の玄武館千葉周作道場で北辰一刀流で免許を得たという。確かに気ぐらいの高い剣技で、名主の道楽にしては強すぎる。
話しているうちに、友山の祖が、歳三の祖先と同じく小田原北条の下で働き落城と共に徳川家康公に救われてこの地に土着したことが分かって親近感を持った。だが、歳三は自分を明かせない。言葉訛りが多摩弁であるのはバレたが、あくまでも伊豆長岡村の弥太郎という小間物の行商人として貫き通して数日を過ごし、行商用の荷が届いたところで、再会を約してこの地を後にした。
この根岸友山の気風のよさは、武州の無骨な武闘派名主の一人として歳三の心に残った。
10、 将門の墓
九月にあと数日となった初秋、夕方には風が頬に快く感じて日中の暑さを忘れさせてくれる。
この日は、日光御成街道六番宿場の幸手(さって)で「あさよろず」という宿の二階に泊った。
窓を開けると街道の松並木越しに爽やかな風が入り、鈴虫の音が涼を呼ぶ。
膳を運んだ女中が歳三を気に入ったのか、酒の酌をしながら講釈を始めた。
それによると、この地は鎌倉時代の昔から古河公方の家臣一色一族の領地であったが、その後、徳川家康の国家統一によって幕府の所有地の天領となった。幸手の家数は千に届かず、人口は四千人弱しかいない。なのに、街道に軒を並べる旅宿だけは大小合わせて二十七軒もあるという。
「近頃はお客さんの奪い合いでしてね、だから、一人旅のお客さんには尽くしますよ」
並以下の顔のおナカと名乗ったその女中は「呼んだらいつでも参りますからね」と、艶然と謎を掛けて去った。
それで気が滅入ったところに、どこかの部屋からか女の声で「足が痛い」、武士らしき声で「按摩は呼べるか」などと、煩わしい声がして酒まで不味くなる。しかし、こんなことを気にしていては旅は出来ない。思い直して、風流に俳句でも詠むことにした。だが、なんとなく出来が悪い。
「涼をとる宿の窓辺に虫の声、松風や窓辺の月で酒を呑む、知らぬ地で月を眺めて秋の酒・・・」
声に出してみて「こいつはいかん」と諦めた。酒が足りないのだ。
廊下側の障子を開けて手を叩くと、おナカが嬉しそうに部屋に入って障子を閉めた。なにかカン違いしているらしい。
「酒を熱燗にして三本ほど、焼き魚も持ってきてくれ」
「あら、よろしいんですか?」と、嬉しそうに部屋を去った。さらに状況は悪くなっている。
案の定、酒と肴を運んで来たところを見ると、盃が余分に乗っている。これで歳三は諦めた。
「ま、一杯」
それも悪かった。器量の悪い分、酒が達者で飲めば飲むほど口の滑りがよくなる。
その昔、この地は「薩手(菩薩の手)」と呼ばれたが、働き手の健康と農作物の豊作への願いを込めて、いつの間にか幸せを招く手の「幸手」と変わったという。
「だから、幸手で生れて幸手で育ったあたしの手で大事なところを触れられた人は幸せですよ」
そんな気になれないし、却って不幸になりそうだから歳三はあわてて話題を変えた。
「この地で、剣術使いで有名な人はいるかい?」
この質問もよくなかった。
「いますよ」
「誰だい、その人は?」
「平の将門さん。あなた知ってます?」
結局、平将門がどんなに偉大だったかを聞かされて、夜が更けた。
歳三は女中に言われるまでもなく平将門には興味があったが、墓参りするほどではない。しかし、女中の酒飲み話を聞いているうちに、将門の墓に寄る気にさせられていた。朝一番に越えようとした栗橋の渡しも午後に変えた。急ぐ旅ではないからこれでいい。
その昔、謀反罪に問われて処罰された平の将門の首が幸手神明地内の通光山浄誓寺(じょうせいじ)の敷地内の五輪塔の下に葬られていると女中に聞いて、なんとなく拝みたくなったのだ。
その墓前には、線香の煙が絶えたことがないとも聞いた。だが、この手の話は全国あちこちで聞くから真相は自分で確かめるか、人の話を信じるしかない。
女中に聞いた通りに、街道脇で農具を扱う店の前を曲って、街道から東に折れて森や林を幾度も抜けてたが、行けども行けども寺がない。さすがに妙だと思って稲田で働く農民に聞いてみると、曲がる道をニ度間違えて遥かに通り過ぎていた。
「向こうに見える森が香取神社、その北に森と屋根が小さく見えんべ。あれが浄誓寺だよ」
地元の農民が親切に指さして教えてくれた森を目がけてあぜ道や草原を歩いて、ようやく浄誓寺に辿りついた。
荷を背負ったままの歳三が、本堂の拝殿で賽銭を投げ入れて紐を振って鈴を鳴らして拝み終ったところに、拝殿横の社務所から小坊主が出て来た。
「将門の墓は?」と、聞くと、坊主の目が行商人姿の歳三を眺めて不審気だったが、線香を求めて多めの喜捨をすると、小坊主が礼を言って何度も頭を下げた。その上、水を入れた桶に柄杓を持って案内までしてくれた。
境内の奥に進むと、こんもりとした塚の上に五輪の塔があり、墓前にまだ燃え尽きてない線香の束が二つ、派手に紫煙をくゆらせていた。その周囲に燃え落ちた線香の新しい灰が山になっていた。この下に国盗りで天下を騒がせた梟雄(きょうゆう)平将門の首が眠っているのか?
「かなり、墓参に見える人が多いようですな?」
「旅の人、お武家さん、浪人衆、地元の人達もたくさん訪れます」
「この線香は?」
「先ほど、母親連れのご浪人さまが、お供を従えてお見えになりました」
「どんな浪人だね?」
「山形からお伊勢参りをしての帰りだそうです」
「あさよろず」の女中が、お伊勢参り帰りの浪人が母親連れで泊まり、朝は歳三より早く食事をして出掛けたと言った。同行の郎党は宿が混んでいたから、干魚の行商人と相部屋で泊った、と言う。
「おれの部屋には相部屋はいなかったのかい?」と聞くと、「いやだ、邪魔になるじゃない」と、屈託なく笑った。昨夜は女中が先に酔いつぶれて何もなかったが、いつも、気に入った客には同じ手を使うに違いない。歳三は無事に何事もなくて熟睡できたから体調はいい。ともあれ、同じ宿に泊った武士が親孝行で旅をしていることだけは分かった。
小坊主が、聞きもしないのに説明する。
「ここに、将門の愛馬が、首を咥えて運んできたのです」
「本当かい?」
「本当です。深夜、当時のご住職が馬のいななきで目を覚まして出てみると、立派な馬具で飾った鹿毛の馬が首を振って挨拶し、その下に目を剥いた将門さまの首が置かれていたそうです」
「なぜ、将門と分かったんだ?」
「この地の将軍ですから誰でも知ってます。ご住職とは親交もありました」
平安時代の中期、上野下野上総下総一帯を暴れ回った将門は、常陸の国の大穣(だいじょう)だった伯父の平国香をも倒し、周囲の豪族を切り従えながら関東を制圧した。将門は、自らを新皇(しんのう)と呼称して中央政権に叛旗を翻して新たな政権の樹立を宣言した。だが、それによって国賊とされて追われる立場になった将門は、天慶(てんぎょう)三年(九四〇)に下野(しもつけ)の豪族・平貞盛(さだもり)と藤原秀郷(ひでさと)の大軍に攻められ、下総(しもうさ)国で討たれて野望を断たれている。歳三は、男として大きな夢を抱いて巨大な体制に反
抗し、見事に散った将門の滅びの美学に共感を覚えていた。だが、そう思うのは歳三だけではない。
黒船来航以来、国中が不安で乱れがちな今でも、なにかどでかい世直しの変化が欲しい庶民の願いが将門信仰となって、線香の束や花束によって証明されている。
歳三は、この日のうちに栗橋の関所を越えて利根川の渡しで対岸に渡り、古河領で宿をとることにしていた。古河領にも柳剛流の道場を持つ武術好きの名主がいると聞いていたからだ。
歳三も学んだその柳剛流は、この幸手の地が発祥の地だと聞いたことがある。
柳剛流を開発した初代宗家の岡田寄良(よりよし)は、心形刀流(しんぎょうとうりゅう)を、伊庭軍兵衛直保(なおやす)の弟子・大河原右膳有曲(ありよし)より学び、それに各流派の特長を加えて独自に工夫を凝らし、脛斬りの必殺技「跳び切り}を創始した。
流名の柳剛は、強風で枝葉を揺らした川岸の柳が、瞬間的に川面を打っては跳ね上がるのを見て名付けたと伝えられている。したがって、柳剛流の稽古では脛当てを必要としたが、道場剣術に堕した武士社会や他流からは卑怯な田舎剣法として忌み嫌われた。それでも、免許への道筋が切紙、目録、免許の三段階しかない簡易さが受けて多くの入門者が押しかけ、上総下総奥州から武州全般にと広がり、いざとなれば最前線で斬り合いとなる農兵や下級武士からは実戦的な剣法として認められ、豪快な天然理心流と並んで隆盛を極めていた。
11、 静御前伝説
歳三は、日光御成街道に戻って北に向かい、栗橋への道を急いだ。
桜の名所の権現堂の緑の森も、やや黄ばんで見えるのが秋の到来を偲ばせていた。
栗橋の地には、京の白拍子(遊女)で源義経の愛妾だった静御前の墓がある。
舞の名手として知られた静は、寿永年間に三年もの干ばつが続いた時に「雨乞い」を舞うよう命じられ、多くの舞姫が踊り終えて無為に過ぎた末に舞うと、静の踊りが続いている間に一天にわかにかき曇り、たちまち降り始めた雨は三日三晩降り続けて大地を潤わしたと伝えられている。
それにしても、この草深く森の多い辺鄙な栗橋の地まで義経を追ってたどり着き、病に倒れた静女の一生は哀れだった。
源平合戦の雄として激賞されるべき義経が、兄源頼朝への反逆を疑われて賊となって追われ京から吉野に逃げ、それを追った静女は捕えられた。静女はその悲しみを歌に詠んでいる。
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
かくまでも義経を慕う静女に頼朝は怒り、静女を殺そうとして妻の政子に止められた。やがて、静女は男の子を産むが、頼朝は部下に命じて海に沈めて殺させる。頼朝は、自分が子供の時に命を助けた平家を滅ぼしたことを肝に銘じて忘れていなかったのだ。義経は京から九州、関東から奥州へと逃げたが追い詰められて殺され、静女も死んだ。人は死ねば白骨となり全ては終わる。
終焉の栗橋に咲く桜は、静桜(しずさくら)と呼ばれている。
静女の死については諸説があるのも歳三は知っている。
鎌倉由比ヶ浜への入水自殺説、淡路島での病死説、長州での死亡説、越後の栃尾での死亡説、郡山で身投げした美女池伝説、信州大町美麻村の静御前の千年桜、大分臼杵で実子を出産してからの死亡説、果ては北海道に渡っての死亡説など全国津々浦々に静伝説があると伝え聞く。
これから利根川を渡った古河宿には、病が重くなって歩くのも辛っくなった静女が,義経を追ってさらに北に行くべきかどうか悩みに悩んだという橋があり、「思案橋」という名を残している。
これなら栗橋まで戻って命尽きたとする説にも辻褄が合い、根拠は薄いが一理はある。
こんな思いをしながら、権現堂から小右衛門田んぼを抜けて栗橋村の静御前の墓へ詣でた。
すると、先客があった。線香を手向けて拝んだ旅姿の浪人風の武士と婦人が立ち上がった。
その武士の目と、鳥井の下を潜って墓地に向かった歳三の目が笠の内で一瞬絡み合った。
これが、将門の墓で聞いた母と旅をする浪人に間違いない。お供の郎党もいた。
歳三は各地に旅して、様々な形でかなりの剣豪らしき人物に接していた。いざとなれば、かなりの命知らずを集められるような気がする。だが、稀には違った種類の人にも出会うことがある。
日本橋から発した日光御成街道が江戸からの区切りとなる宿場町、この栗橋での奇妙な出会いがそれだった。この浪人の視線は、異様で危ない妖気を発して歳三の心を乱した。
「町人、いいところで出会った。内々で聞きたいことがある」
その声は、内々どころか凛として静寂な午後の栗橋村に響いている。
立居振舞いからして立派な浪人から、いきなり先に声をかけられて歳三は気が呑まれた。
「何かご用ですかい?」
「ま、先に墓参りを済ませてくれ。お前も静女史を憐れんでの墓参だろ。話はそれからだ」
備え付けの賽銭函に一文銭を幾つか入れて拝み、すぐ戻ると浪人一行は鳥井の外で待っていた。
「済まぬが頼みがある」
「どんなことで?」
「ちと、言いづらいが仕方ない。我らは旅をするものだ」
「主家を持たぬご浪人さんの長旅ですな。服装とご家来衆の担ぎ荷で分かりますよ」
「図星だ。われら山形の鶴岡から伊勢参りを済ませ、国へ帰るのだが面倒がある」
「なにがです?」
「栗橋の関は女人の取り調べが殊のほか厳しく、母には難儀させられぬ」
「それで?」
「おぬしの旅慣れた様子から、利根川を渡る抜け道を教えて欲しいのだ」
「あっしはただの行商人、それに、関所破りは大罪ですぞ」
「ま、その通りだが何とかならんか?」
「山関所なら山道を抜け、川は浅瀬を渡りますが、ここは深いから無理ですな」
「そんなことは承知だ。この通りだ、頼む」
「ご浪人さん、往路はどうなさったので?」
「往きは、越後から信州を抜けて木曽路を通ったから関所でも問題はなかった」
「危ない橋は渡りたくありませんが、では、こうしましょう」
「なんだ?」
「ご浪人さんは、かなりの剣術使いとみました」
「わしは斎藤元司(もとじ)、神田三河町で北辰一刀流と儒学の道場を開いておったが、火事で燃えてしまった。それで故郷に戻って親孝行の真似ごとさ」
「こっちは伊豆長岡の弥太郎、ただの小間物商人、あっしを切ってみませんか?」
「冗談だろ。笠で面擦れは見えんがその風貌と隙のない身の配り、ただ者でないのは分かったが斬り合いをする理由はない」
「それじゃあ、協力できませんな」
「勘弁してくれ。母親の目の前で刀を抜くなど出来るわけないだろう?」
「冗談ですよ。お武家さんと張り合ってたら命なんざ幾つあっても足りませんからね」
「じゃあ、頼まれてくれるか?」
「仕方がない。ちと、遠回りしますぜ」
「駕籠はないか? 母が足が痛むと言うでな」
「宿場だから駕籠はあるが、関所破りを知らせて褒美を稼ぐから駄目ですよ」
「酒代を弾んでもか?」
「いくら出したって、貰い得だからね」
母親は気丈にも「駕籠など要りませんよ」と、少し足をひきずりながら歩き出した。
「町人、おぬしは静という遊女がここで死んだと思ってるのか?」
「思ってますよ。ご浪人だって拝んでたじゃないですか?」
「この地を通る礼儀さ。静はな、義経が文治元年(一一八五)の秋深くに都落ちして、大和国吉野山に隠れたとの噂を聞いて後を追い、そこで捕らえられ鎌倉に送られた。静と共に母の磯禅師も捕らえられて安達清常の屋敷に入った。すでに京都で散々調べられたことを鎌倉の問注所役人に糾され、山伏の姿になって大峰山に入った義経を追ったが、女人は大峰に入るべからずと僧に叱られ、やむなく都に戻ろうとした。だが同行した雑色達が持ち物を奪って逃げたため、道も分からず迷っていたところを捕らえられた。いくら責められても、義経の行方は知らない、といい続けているうちに、やがて義経の子を産んだ。静が産んだ男の子は頼朝の命で殺され、それを憐れんだ政子の口添えで静母子は許されて京に戻り、そこで生涯を終えたのじゃ」
「へえ、そうですかい」
こんな話は面白くもない。
「ところで、川渡りは本当に大丈夫か?」
「まあ、任せなさい」
歳三は多摩川べり育ちだけに川辺に住む農民の知識がある。関所など通っていたら仕事にも日常の生活にも支障をきたすから必ず抜け道はある。しかも、役人も地元民がやることで害がないなら見逃すのが通例になっている。多摩川も利根川も川は違えど住民の心は同じだから、下流の五霞村か境あたりまで行けば必ず川は渡れる。ただ、自分まで関所破りで捕まっては、保釈に口をきく江川家に迷惑を掛けるから、母親には気の毒だが駕籠は諦めてもらうしかない。歳三は先に立って歩いた。
「おらは、貞吉というだ」
お供の郎党は歳三よりかなり年上で、身分も同じように見えるから気楽に話し掛けてくる。浪人は母親の足取りに合わせて遅れがちになる。二人の会話は聞こえないから貞吉は気が楽なのだ。
「貞吉さんは、ご浪人のお供かね?」
「違う。おらは母ごの亀代さまのお供でな。荷運びを頼まれただ」
「母上はまだ若そうだな?」
「亀代さまは十三で嫁に来て、十五で元司さんを生みなさったから、今、四十かな」
「息子が二十六か? まだ嫁はいないのかね?」
「それらしいのは鶴岡にいるだが、所帯はまだだ」
「母上もまだ女盛りだな」
「そうだとも、なかなかの美人だべ?」
「そうか、貞吉さんはあの人が気になって付いて来たのか?」
「バカいうでねえ。亀代さまがおらでねえとダメだ、と言うから付いて来ただ」
「このお伊勢参りは、息子が親孝行で考えたのかね?」
「そんなとこだが、元司さんは何を考えてるかさっぱり分からねえお人だ」
「なんで?」
「各地で勤皇方の人と会ってるだが、旅日記にはどうでもいい人しか出てこねえ」
「それが目的で、伊勢参りは母親を使っての欺瞞か?」
「親孝行には違えねえが、亀代さんはもう疲れきっていらっしゃる」
「馬や駕籠をつかったにしても、よく女の足で伊勢まで行けたな?」
「伊勢どころか、京都、大坂、姫路、丸亀、岩国、浜松、江戸と九州以外は全部回って来ただよ」
「そりゃ無茶だ。最初の予定は?」
「庄内藩は財政ひっ迫で伊勢参りは許さねえ。旅立ちの宴も知り合いを集めて面倒だしな」
「道中手形は伊勢じゃなかった?」
「越後の菅谷詣での手形で国を出て、越後の寺で伊勢参りの鑑札を出して貰っただ」
「檀家じゃないのに他国の寺でも手形が出るのか?」
「地獄の沙汰も何とやらって奴さ。元司さまは知恵が働くから何の心配もねえだ」
「ならば、越後で出た鑑札は往復だろ?」
「帰りも越後の菅谷までだから、こんな関東の川を渡れるはずがねえだ」
「なるほど、それじゃ女人は栗橋の関所は無理だな」
利根川を挟む栗橋の関所は、百三十年以上も前の寛永元年(一六二四)に設置され、東海道の箱根や甲州街道の駒木野、中山道の碓氷峠などと並ぶ主要な関所だった。幕府は北からの防衛のためにこの関所を築いたが、今、特に力を入れているのが入鉄砲と出女、すなわち外からの侵略と内からの脱出を厳しく取り締まっているのだ。
少し親子と間が開き過ぎたので立ち止まっていると、浪人が母を労わりながら追いつき、「母上、少し休みますか?」と路傍の石に腰を掛けさせ、腰に下げた皮袋から母に水を飲ませている。
幼くして母を失った歳三は、その親子の微笑ましい光景をただ羨ましく眺めていた。
12、 関所破り
やがて、川辺に舟を浮かべている農家を見つけた歳三が交渉に行き、渡船の情報を得た。
それによると、二町(約ニ百メートル余)ほど下流の次平という川漁師が、川遊びという名目で川を渡してくれるという。川沿いの草深い小道を急ぐと、丁度、何組かの女連れ客が乗り合わせているところだった。
「対岸まで乗せて貰えるか?」
浪人が叫んでも耳が悪いのか、返事もなく顔も向けない。
「おい船頭、拙者の声が聞えぬか!」
あわてて歳三が訂正した。
「次平さんとやら。済まねえが四人、舟遊びさせてもらえると嬉しいだが」
名前を呼ばれた船頭がチラと歳三を見て、無愛想に言った。
「女は百文、男は五十で前払い、それでよけりゃ早く乗んなせえ」
足元が危うい浪人の母に手を添えるなど、顔に似合わぬ親切さで船頭は迎えてくれた。
全員が銭を払って乗り合わせ、膝を詰めて座るのを見届けて、素早く立ち木に結んだ舳先綱のもやい結びを解いて舟に乗り込み、長い竿で岸の岩を突き、流れに漕ぎ出して竿を舟に横たえ、櫓を漕いで対岸に向かった。おだやかな日が続き水量も多くなく舟は素直に水を切って進んだ。
「今日は流れが激しいで舟遊びは無理だで、対岸に避難しますでご勘弁くだせえ」
「それで結構、今日のとこは皆さん我慢すべえな」
娘連れの常連らしい年配の男が舟の内を見まわすと拍手が湧いた。誰も異存などない。
見ると、浪人も神妙に手を叩いていた。母を無事に渡せたのだから法外な舟代も仕方がない。
少し下流の樹木が密集した対岸に舟を寄せ、船頭はもやい綱を持って巧みに岩に跳び乗った。
その綱を素早く樹に巻いてから舟を引いて安定させた。
「乗った順にお連れさんが先に降りて、おなごの手をとってくだせえ」
なるほど人間心理をよく考えたやり方だ。
後から乗った一行は荷を担いだ貞吉が先に降りて亀代に手を貸して陸に上げた。
浪人を先に降ろして歳三が最後になって荷を担いだ。
「対岸は何という村だね?」
「塚越だが、村に出ずに森道を左に進めば仲田宿への近道だ」
「それがいいな」
「ただ、近頃は盗賊が出るって噂だから森を避け、村に出てから村道を歩くのがよかんべ」
「有りがとう、次兵さん、助かったぜ」
「こちらこそ、一朱も稼がせてもらっただからな」
法を破った後ろめたさからか次平は視線をすぐ外した。
先に降りた客の姿はたちまち消えて、歳三達四人だけが岸に残った。
船頭から聞いた盗賊の話をすると浪人が笑った。気にもしてないのだ。
川沿いの森道に入って振り向くと、舟はすでに中ほどに漕ぎだしていた。
仲田宿は栗橋の対岸だから森道で一里(約四キロ)、さほど遠くはない。
ただ邪魔が入った。やはり船頭の言う通り、森の茂みに盗賊が待ち構えていたのだ。
「おい、そこの旅の人、ご法度の関所破りだな。遠眼鏡で見てたから間違いねえ」
「だったらどうする。旅費でもくれるのか?」
前に出た浪人が、落ち着いて十人ほどの群盗を眺めながら笠の顎紐を解いている。
「なにを寝ぼけたことを、通行料は一人十両、娘なら体で許すがババアは金で払え」
「よし分った。そっちは十人だから百両払うんだな?」
「なにお!」
盗賊の頭が刀の柄に手を掛けようとしたが右手首から下がない。血が噴いてる。
笠を投げ捨てた浪人が、凄い早業で抜き打ちに手首を落としたのを誰も見ていなかった。
一瞬遅れて、盗賊が「ギャー」と叫び、子分どもがいっせいに一行を襲った。
だが、浪人が白刃を振るうとたちまち三、四人が右手首を落とされて地面に転がった。
歳三は、亀代と貞吉を庇って脇差を構えたが人は斬りたくない。
それでも向かって来る賊を峰打ちで殴ったが、鍛えられた山賊の体は応えないらしい。仕方なく浪人に倣って右手首に傷をつけることにした。刀が持てなくすれば争いは止むからだ。
たちまち、盗賊共は一人残らず斬り立てられて血だらけになって悲鳴を上げた。
こうして傷ついた不運な連中は、痛みで呻く盗賊の頭を残して一人残らず逃げ去った。
「さあ、自分から言い出した百両だ。どうする?」
「そう言われても」
「いくら持ってるんだ?」
「さ、三十両ほど」
「ならば、それを自分と子分どもの治療費に使え」
笠を拾って被り直し、驚いて声も出ない母親を励まして歩き出し、振り向かずに歳三に言った。
「おぬしは何者だ。五人とも右手首を軽く切って命を助けた。並の剣術家には出来ん技だ」
「先刻申し上げた弥太郎というケチな野郎ですよ」
「いや、違うな。いずれ、江戸のどこかで会うこともあろう。世話になった」
「こちらこそ、面白い体験をさせて頂きやした」
それからは会話が途絶えた。
貞吉は、同じ仲間だと思っていた小間物屋が荒くれ盗賊共を難なく退治したから驚いた。
浪人の母親はいくら度胸がよくても実際の斬り合いを見たのだから恐怖で声も出なくなる。
恐ろしや斎藤元司、この名を頭に刻み込んだ歳三は、いつになく緊張して後から歩いた。
関所破りを手伝わせた男を、この男が生かしておくとは思えないからだ。
ふと、母親に気遣いながら歩いていた浪人が振り向いて笑顔を見せた。
「小間物屋、安心しな。前を歩いても背中から斬るような真似はせんからな」
この一言で歳三の腹が決まった。下手な詮索するより一人旅がいい。
「では、ご一行さん。先に行かして頂きやす。どうぞ道中ご無事で」
「お世話になりました」
亀代というご婦人が腰を折って丁寧に挨拶すると貞吉も真似て頭を下げた。
浪人があわてて懐中から早道(小銭入れ)を取り出して小銭を掴み、歳三に手渡そうとする。
「町人、ほんの気持ちだ、少ないがとっといてくれ」
その手を軽く押し戻して歳三が言った。
「ご浪人さん、世の中には銭金で動かない人種もいるのをお忘れなく」
「済まなかった。それじゃ、こいつで頼む」
再び出したのは何処にでもある扇子だった。
「喜んで頂きやす。暑い時に助かります」
広げてみると、力強い筆で大きく八とだけ書いてある。
「立派な書ですな、直筆ですか?」
「そうだ」
「末広がりで天下取りですかな?」
「どう思われてもいい。わしの江戸での名からとったものじゃ」
「江戸での名は?」
「もう、よいではないか、おかげで助かった。心から礼を申す」
斎藤元司が深く腰を折って礼を言った。多分、精一杯の感謝だったのだろう。
軽く低頭して歩き出した歳三は、斎藤元司の名を頭に刻み、もう振り返らなかった。