1、説経節政太夫
夕暮れが街を包むと、一遍上人の踊り念仏で知られる遊行寺の宿坊町でもある藤沢宿の賑わいは、また一段と高まって来る。
三味線を抱えた政太夫と、これも袋入りの三味線を背負って鳥追い笠を被った二上がりのお勝が、遊行寺下を流れる夕闇の音無川を眺めながら、三間幅の大鋸橋の袂に立つと、その時間を見計らってか遠来の檀徒衆や町衆が三々五々にたむろしていて、拍手と歓声で政太夫を迎えた。中にはお勝の目を盗んで着流しの政太夫の手に一分銀を握らせる人妻などがいたりする。
その逆に、熱狂的なお勝の贔屓客もいて、お勝の姿を見たさに毎晩のように現れる男も数十人はいて、二人の人気は拮抗していた。
大鋸橋のすぐ北側には、いろは通りに黒門があり、その先が真徳寺、さらに坂を北に上ると一遍上人ゆかりの時宗総本山・遊行寺の森が夕闇の中に黒ずんでいて阿吽の仁王様が並ぶのが見える。
橋の袂でお勝が声を張り上げた。
「さあさ、お集まりの皆々さま。今夕も説教節・政太夫の美声をお楽しみください。この日の演し物は……」
お勝の抑揚のある語りが、軽く爪弾く三味の音色に乗せてしっとりと夕闇に溶け込んでゆく。
「政太夫はいいから、お勝さんの浄瑠璃を!」
「四谷怪談でもいいぞ!」
群衆から意味も分からずに笑いが湧く。
「どなたか、悪い冗談はお止めくださいな。政太夫の演目に四谷怪談がないのはご承知でしょ。本日は、わたくし二上がりのお勝と説教節・政太夫の共演で『小栗判官と照手姫』のうち、小栗判官が一度地獄に落ちて、再び甦る段から語ります。その前説をわたくしが」
ここでは三味線を政太夫が弾き、お勝が少し抑揚をつけた語りで本編前の物語を語った。
「この小栗の物語は、徳川家三代様の昔に、岩佐又兵衛という人の描いた『をぐり絵巻』から発したもの……京都三条に壮大な屋敷を構えてお住まいの高倉の大納言は、お子に恵まれず、鞍馬の毘沙門に通っての願掛けで、ようやくにして男の子を授かりました。途中省略で話を進めますが……やがて、元服した男の子は小栗と名乗ることになりました。この小栗に嫁をとることになってからが大変で、小栗は周囲が持ち込む縁談を受け入れるが、どれもこれも気に炒らないからと次々に離縁して追い出して仕舞います。ところが、そんなある日、深泥池を巡っての散策中に見そめた、それはそれは美しい姫との恋に落ち、日がな夜がな屋敷を抜け出しては池の辺でその大蛇との逢う瀬を楽しんだのでございます。ところが、この姫が実は深泥池の主の恐ろしい大蛇でして……」
「それだって怪談じゃねえか!」
「前置きぐらいは黙ってお聞き……その息子のふしだらを知った高倉の大納言は、烈火の如くに怒って小栗を支配地の常陸の国に追放してしまったのです。しかし、常陸での小栗はますます行状が悪くなって周囲をほとほとと困らせました。
それがある日、小栗屋敷に出入りする商人から、相模の国の横山某(なにがし)という郡代の娘に三国一の美女がいると聞くと、もう矢も盾もたまらずに家来を引き連れて馬に乗って駆けつけ、その娘の照手姫に求愛した挙げ句、家人が目を離して二人きりにした僅かな間に嫌がる姫を強引に犯してしまいます」
「ひでえ野郎だな」
「おれもやりてえぞ!」
「うるさい! そんないやりたきゃ帰んなさい! ともあれ、夫婦になるという既成事実を作ってしまった小栗は、十人の家来を従えて、堂々と横山郡代の押し婿に入り込んでしまったのです」
「ひでえ野郎だが、うまくやりやがったなあ」
冷やかしに実感が籠もるから、まばらな拍手が湧く。
「横山郡代は怒りに怒って、人食い馬の鬼鹿毛に小栗を食い殺させようとするが失敗しました。次に、息子や重臣達と図って、ついに、十人の家来もろともに小栗を毒殺し、娘の照手は相模川に流してしまいます。照手姫は、相模の漁師によって無事に助けられるが、漁師の妻によって人買いに売られ、流れ流れて美濃の国……遊女屋の下働きとなり小萩と名乗っていたのでございます。
さて、物語は地獄に落ちた主従十一人が閻魔大王の前に引き出されたところから始まります……では、ここからは説教節の政太夫です!」
ここでべべ-ンと力強い三味の音が加わって、政太夫の音域豊かな朗々たる謡い語りが始まった。
「さて、ここに哀れをとどめしは、冥土と呼ばれる地獄に落ちたる小栗の十一人衆。閻魔大王はこの十一人をばごろうじて、『さてこそ悪人どもが参りしか……とくにこの小栗と申す悪しき者、娑婆にありし時は善と申せばはるかに遠く、悪と申せばすぐ近く……許すは難き大悪人。されば小栗一人をば阿修羅道に落とすべし……。小栗以外の十人の、供の者は主従の関わりで非業に死せる者なれば、いま一度だけ娑婆に戻してとらそうやい』との、ありがたきご託宣なりイ……」
ここでお勝の掛け声が入って盛り上がり、二人の三味の音色が微妙に絡み合って人々を幽玄の世界に導き、政太夫が調子づく。
「十人の従者が閻魔大王ににじり寄り、『いかにも閻魔大王さま、お言葉は確かにお伺いしましたが、われら十人が娑婆に戻ったとて何の本望があろうものか。ならば、われら十人はさて置いて、主人の小栗一人をば娑婆にお戻し下さるまいか……それが為にわれら十人にそれなりの咎があらば例え修羅道に落とされようとも恨みには思いませぬ。これがわれら十人の願いでござる。お聞きくだされ閻魔大王どのう……」
二人の三味の音が調和して響き、万雷の拍手が夜空に響く。
「閻魔大王ほとほとと感心して、『さても汝らは、主人に対して孝ある輩じゃのう。その心根に応じて末代までの出来事としてこの際に限り、十一人を揃えて娑婆へ戻してとらせようぞ』とのご託宣、『だが……』と首を捻った閻魔大王が部下の鬼どもに命じた。
『この者たち十一人の身体があるかを娑婆に行って見てまいれ』、赤鬼青鬼が娑婆の峰々から杖を振って地上を眺むれば、すでに十人の従者は火葬にされて遺骸はなく、位の高い小栗のみが土葬にされて崩れた体を地中に横たえていた。それを聞いた閻魔大王。
『十一人を戻そうと思えども、体が無うては詮方もなし。じゃが、この十人は忠義の者なれば修羅道に落とさずに右と左に五人づつ、脇立ちにあって我らを守るがよかろう。
さてと、さあらば、小栗ただ一人だけでも戻すべし……』
と、閻魔大王は自筆の証書をお書きになるがその文面は、『この者を、藤沢遊行寺のご上人の聖の弟子にと渡し申す。この者を熊野本宮の湯に入れれば、浄土より薬湯湧き出でて元の姿に戻るであろう』 閻魔大王自らが、杖を振るってハッタと打ちやれば、有り難きことに小栗の墳墓が四方に割れ裂けて、髪乱れ、手足は糸の如くに痩せさばらえ、腹ふくれたる餓鬼姿の小栗が現世に蘇って、餓鬼阿弥陀仏となって彷徨えるなり……」。
ベベ-ンと鳴り物が入って一区切りつくと拍手が鳴りやまない。そこを狙ってすかさずお勝が鳥追い笠を受け皿に鳥目を集めてまわると、ビタ銭の山に混じって小粒の四分銀などが間違って放り込まれたりする。これは返せと言われても返せない。
「さあ、一部はここまで。二部は政大夫の初演ものですよ。見て聞いて払ってのご利益だよ。説経節政太夫からいま聞いた有り難い話をようく噛み砕いて味わえば、あなた方だって地獄に落ちずに済むんだよ。ただしだね。それもこれも、お布施次第、地獄の沙汰も何とやら……話だけ聞いて帰ろうとするそこの旦那、茶屋で遊ぶ金があったらその一割りでも鳥目にすれば一生涯救われるんだからね」
観客は誰も帰ろうとせずに、次の演目を待っている。
「二部は何だい?」
「この続きを、さわり話だけでもいいから教えてくれ!」
「オラが教えてやるだ。土車に乗せた餓鬼阿弥を、夫と知らずに照手姫が……」
「うるせえ、この野郎!」
「やっちまえ!」
余計なお世話で知ったか振りをした男が、袋叩きに遇って頭を抱えてうずくまる。
2、板割の浅太郎
お勝が倒れた男を無視して声を張り上げた。
「さあ、ここからは遊行寺さんの本堂に場所を移しますからね。ただし、二部は、お寺への寄進を含めてお一人十文です。よろしうございますね。政太夫の初演もの。このお勝にも演目を教えてくれないんだよ。だから、わたしの三味は出たとこ勝負だからね」
「辻説法じゃねえのか?」
「間違えないでください。政太夫は辻説法じゃなく説経節ですよ。説経節は、今でこそ世間で人気を呼んでますが、その本来の姿は、神代の時代から平安の世に引き継がれ、衆生済度を目的に因果応報や仏の慈悲を琵琶で語り、仏法を示すものでした。この説経節によって鎌倉の文化は花開き、ここから枝分かれして、義経の恋人であった浄瑠璃姫を語る流派は浄瑠璃語り、あとは義太夫節、一中節、常磐津や清元節などになったのです。この説経節が琵琶から三味線になってからすでに百年、それなりの歴史があるんです。それが、たったの十文で聞けるんだから、安いもんじゃないですか」
「これからのは、山椒太夫か蔦の葉、それとも石童丸かね?」
お勝が返事に窮したのを見て、政太夫がボソっと口を開いた。
「つくったばかりの新作で、まだ未熟だが『名月・赤城山』、これを演じてみます」
「おう、赤城といえば国定忠治親分の話かね?」
「そんなの、やれるのか!」
「役人がうるさくねえのか?」
「おらが許すからやれ……」
遊行寺領の村名主が叫んだから、人の波が本堂に向かった。
お勝が歩きながら不安気に政太夫に問いただす。
「政さん。即興でやると言っても、赤城山がどこにあるか知ってるのかい?」
「上州のどこかだろ?」
「忠治親分のことは何か知ってるの?」
「さっき、あの男が話してたじゃないか。情婦お徳の話なんか面白いだろ?」
「そんなの話したら承知しないよ」
「なんでだ? お勝には関係ないだろ?」
「少しでも口にしたら、心の臓をこの匕首でくり抜いてやるよ」
お勝が護身用にいつも刃物を持ち歩いてるのを、政太夫も知ってるから肩をすくめて首を振った。
「分かった。情婦のことは慎むよ」
遊行寺の住職とはどう話がついていたのか、すでに寺男が受け付けの机を出して、大人十文に子供五文と墨書きの紙看板を出して、黒山の人たかりを整理しながら集金まで始めている。そこに墨痕鮮やかに「本日の演し物・赤城山の別れ」と看板が出た。
大銀杏の木の下に台を置いて、藍染の作務衣を着て受け付けに座った寺男に、三味線を抱えたお勝が近づいて囁いた。
「浅……いや列成(れつじょう)さん、お前を文蔵が探しに来てるんだよ」
「文蔵兄いが? 懐かしいな」
「冗談じゃない。お前は命を狙われてるんだからね」
「こんな命でよけりゃ、いつでもくれちゃいますよ」
「なにも死に急ぐことはないさ。ここなら、堂々としてれば手を出せないからね」
「文蔵兄いは、あっしと姐さんのことも?」
「知ってる様子だったが、そんなの気にしなくていいさ」
「でも、今晩の『名月・赤城山』なんて気になりますね?」
「あの人は、文蔵に聞いたばかりの話をネタに稼ぐつもりなんだよ」
ともあれ、本堂の板の間にも一段高くなった毛氈敷きの間にも人が溢れ、第二部が始まった。政太夫は、いつの間にか袴をつけての正装で座布団に正座し、金屏風を背にしての独演になった。なにしろ、政太夫が何で昔からの古い決まり事があるという説経節の歴史に反して、急にこのような演目を取り入れようとしたのか、その意図が全く理解できないだけに、お勝は戸惑うだけで、これから先の展開がどうなるのか見当もつかないのだ。
いきなりに政太夫が声を張り上げ、三味線を打ち鳴らす。
「そもそも、この物語の由来を詳しく尋ぬるに、国を申さば上州路……先祖は源氏のもののふにして、鎌倉の北条を倒したるこうずけの国左波ごうり、新田家の家臣で武名を馳せたる長岡一門の分家なれど、村一番の資産家で、豪農として知られたる国定村の長岡与五左衞門宅に、文化七年(一八一〇)の秋九月、泣き声もたてずに生まれ落ち、母にさえ恐怖の心を抱かせたる容貌怪異の赤子あり、その名をば忠治と名付けられしは、死せる長男があればなり」
お勝が口を開いたまま政太夫を見つめた。こんな話など二人で話したこともない。
「この長岡の忠治といえる男は幼時より腕力と博才に長けていて、親に背いて寺小屋よりも博打を好み、近隣の子供を集めては丁半の賽の目に血道を上げての小遣い稼ぎ、そこで得た金を取り巻きにバラ蒔く上に、仲間が苛められでもしようものなら、相手が複数だろうが年上だろうが単身で乗り込んでの大喧嘩、相手が、参った、と言うまで叩きのめす」
「いいぞ政大夫。忠治は中気だったんじゃ」
この男は野次の途中で周囲の男に袋叩きにされて会場から姿を消した。
「十七歳にて博徒を叩き殺して大前田の英五郎に庇護を受け、長じるに及んでは五尺二寸(一五七センチ)で体重二十二貫(約八二、五キロ)という短身肥大、眉毛は濃く長く、三白の目に凄味があって、その容貌だけでも充分に人に恐怖を抱かせて心胆を寒からしむる凄味ありとは生まれついての暴れ者、強きをくじき弱きを助ける侠気もあるが、根っからの喧嘩好き……近隣の悪党共にも恐れられて、いつしか国定村の忠治親分として一目置かれる存在になりしとか……」
心配して脇で見守っていた寺男の列成も驚いた。これまでに自分の過去を秘すためもあって、寺では政太夫とも忠治親分の話など一度もしたこともない。
政太夫が一段と声を張り上げる。
「当時、侠客での頭といえば上州大前田の英五郎をおいては他になく、次いで売り出し中の男といえば、江戸の新門辰五郎。駿河の清水次郎長にいずれ抗争せざるを得ない甲斐の黒駒の勝蔵、上総では飯岡の助五郎に笹川の繁蔵、美濃の岐阜の弥太郎、讃岐の日柳燕石……ここに国定村の忠治の名が連なるのは、文政四年(一八二一)に上州百々村の紋次親分の死去により、大前田の英五郎親分の仲介で、その駒札と上州一帯に縄張りを譲られしとか、忠治はその時はまだ二十一の若輩者……血気に溢れての数々の所業には善悪入り混じっての噂あり……」
「いいぞ、政太夫!」
お勝は目を見開いて政太夫を見つめていた。改めて、粗雑だが限りなく愛情と精力に溢れていた男との日々を思うと、その男臭さが妙にほろ苦く懐かしい。だが、その情愛も、その男の心が他の女に移った途端に一気に冷えたものになる。政太夫の声が哀調を含んで響く。
「天保四年の大飢饉、各地の飢えたる貧しき民百姓が、雑草や虫や鼠までも食したり。餓死せししかばねもあちこちで、野犬に食い荒らされての惨状は、これぞ地獄の絵巻物……上州一帯では豪商の蔵が次々に破られ、奪われた米食料や金銀が、飢えた農民や町人に与えられ、多くの命が救われた……これを見たる者の口の端から、難民救済に奔走したのが国定村の忠治一家と知られたる。
庶民の人気はいやが上にも高まって、賊として捕らえれば、暴動すら起こりかねない世情に押され、役人は心焦れども捕縛もならずに日が過ぎて……関東代官の羽倉外記の記録には、お上の法に背いた忠治の悪行は許し難きも、人々を救いし事実は忘れるべからず……と記されたなり」
「いいぞ、忠治!」
「忠治じゃないぞ。いいぞ政太夫!」
「忠治二十五歳の天保五年(一八三四)、縄張りのいざこざで、三ツ木の文蔵が殴られたことからの、当時全盛の親分島村の伊三郎と抗争が、忠治にとっての大きな転機になろうとは……」
「だからどうした!」
「忠治と文蔵は連れ立って島村の伊三郎との果たし合い、上州佐波郡原の村外れで決闘におよび伊三郎を惨殺、島村一家は壊滅し、忠治は騒乱と殺人の罪状を背負っての逃避行……忠治と三ツ木の文蔵は、松本在の貸元で兄弟分の勝太郎を頼って信州へ……さて、この時の、吾妻郡大戸宿の関所破りが、結果的には命取りになるという話なりけり……」
ここで政太夫が三味線を置いたから客が騒いだ。
「これで終りか?」
「木戸銭の十文返せ!」
こんな連中に限って、最初から鳥目など払わずに潜り込んでいるものだ。