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マリちゃん雲に乗る (1)旅立ちー5

 

マリちゃん雲に乗る

   宗像 善樹

(1)旅立ちー5

 初め、二人は、私を連れてマイカーで逃げるつもりでした。
ところが、車のエンジンをかけたお父さんが、焦って叫びました。
『まずい。ガソリンが少なくなっている。ひと晩中エンジンをかけていたので、残りがなくなった。このまま車を走らせると、途中でガス欠になる。道路に車を放置することはできない。交通のじゃまになる。町が準備しているバスに乗って避難しよう』
 お母さんが泣き顔になって、叫びました。
『バスにはリリーを乗せてもらえない。リリーをどうするの』
 お父さんが、お母さんの不安を打ち消すように説得しました。
『大丈夫だよ。どうせ、二、三日で戻れるはずだから。それに、リリーはしっかり者だから心配ない』
そのときのお父さんは、地震の避難だからすぐに家に帰れると思っているようでした。 お父さんが、車の床に三日分のごはんと飲み水を置いて、わたしに言いました。
『二日間、この車の中で待っているのだよ。必ず、戻ってくるからね』
 そして、車の後部座席のドアを、わたしの体が出入りできるくらいに開け放して、大きな石をドアのところに置いて、ドアが風などで閉まらないようにしました」
 話をしているリリーの目から、涙がこぼれだしました。
「お母さんが泣きながら、『ごめんね、ごめんね』と云って、私の体を強く抱きしめました。
 お父さんも、泣きそうな表情で、『雨や雪が降ってきたら、この車の奥にいるのだよ』と云って、私の頭を何度もなんども撫でました。
 二人はわたしの方を振り返り、振り返り、集合場所へ向かって行きました。
 見送ったわたしは、避難は少しの間で、二、三日すれば、またお父さんとお母さんに会えるものだと信じていました。まさか、永遠に会えなくなるなんて、思ってもいませんでした」
 リリーが、泣きながら言いました。
「結局、二人は戻ってくることができませんでした。わたしは、お父さんとお母さんの匂いが残っている車のシートにじっとうずくまって、いつまでも、いつまでも、二人の帰りを待ち続けました。
 そのうち、食べるものも水もなくなってしまいました。水を探しに車の外に出てみたら、カラスが死んだ仲間の体を突いているのが見えました。怖くて急いで車の中に隠れました。
 それからは、ずっと車の中にうずくまり、お父さんとお母さんが帰ってくるのを待ちました。そのうち、だんだん体が痩せてきて、喉がカラカラに渇いて、目の前が真っ暗になってきました。
でも、お父さんの言いつけを守って、車の中で両親の帰りを待とうと思いました。
そして、最期になって、ここへ昇って来て、天の川の河原に着いたのです」
リリーが、マリちゃんや仲間のみんなを見つめて言いました。
「避難してから約1ヶ月後、わたしのことが心配だったお父さんとお母さんが、避難先の埼玉県加須市の高校の体育館からこっそりわたしの様子を見に帰ってきました。そこで、車の中に横たわっている痩せこけたわたしの死体を見つけました。二人は、冷たいわたしにしがみついて、半狂乱になりました。
 お父さんは、『俺が悪かった。俺が悪かった。無理してでも、バスに乗せて一緒に連れて行くべきだった』と、号泣しました。
 お母さんは、地面にぺたりと腰を落とし、頭を車近くの地面にこすりつけ、『リリー、ごめんね。リリー、ごめんね』と、わたしを抱きしめて泣きました。
 リリーが、声をあげて泣きました。
「雲の隙間から、つらい避難所生活に耐えているお父さんとお母さんの姿を見たわたしは、哀しくて、哀しくて、涙がとまりませんでした」
 リリーの悲痛な声を聞いた東北の動物たちが、いっせいに声をあげて泣きだしました。みんなそれぞれ、優しかった自分たちの家族との楽しかった生活を思い出して、泣きました。泣き声は、いつまでもやみません。

 つぎに、柴犬の二歳の男の子が、泣きじゃくりながら話しだしました。
「僕は、おばあちゃんと一緒に公園を散歩していたら、とつぜん大津波に襲われたの。
後ろから迫ってくる津波に気がついたのだけど、おばあちゃんは足が不自由だったから早く走れなかった。僕は必死におばあちゃんを引っぱって走ったけど、おばあちゃんは途中で走れなくなって、しゃがみ込んでしまった。僕は慌てて引っ返して、おばあちゃんの胸に飛び込んで、おばあちゃんを守ろうとした。だけど、津波の勢いが凄くてそのまま二人とも海の中に巻き込まれてしまった。おばあちゃんが僕を抱きしめながら流されていたら、津波にのみ込まれた家の屋根にしがみついていた若い男の人が、必死の形相でおばあちゃんに手をさしのべてくれた。でも、おばあちゃんが両手を出してしまうと、僕を手離すことになってしまう。おばあちゃんは手を出さずに、ごうごうと荒れ狂う津波に押し流されながら、そのまま両手でぼくをしっかり抱きしめていてくれました。最期に、おばあちゃんが苦しそうに海の水をたくさん飲みながら、僕に云いました。『小太郎、ふたりで一緒に天国へ行こうね』。おばあちゃんは、僕を孫のように大切にしてくれました。だから、早くおばあちゃんのところへ行きたい」
 小太郎の話を聞いた周りの星たちが、いっせいにおいおい泣きだしました。
マリちゃんも、自分の家族を思い出して泣きました。
 この様子を見ていた彦星さまが、涙声でマリちゃんに促しました。
「マリちゃん。今度は、マリちゃんが家族の思い出を話して、東北の仲間や星たちの気持ちを癒してあげたらどうだろう」
「はい、わかりました」
 マリちゃんは涙をぬぐって素直に返事をし、自分が赤ちゃんだったころを思い出しながら、14年7ヶ月の間、地上の家で過ごした家族との楽しかった日々を一つひとつ話し始めました。
 星たちは、涙で滲んだ目をキラキラ輝かせながら、悲しみや寂しさで泣きじゃくっている東北の動物たちを、マリちゃんの周りに集めました。
 星たちは、マリちゃんが地上にいたとき、夜に、クークー寝ているマリちゃんを見守っていただけで、昼間、元気に飛び跳ねているマリちゃんの姿を見たことはありませんでした。星たちも、マリちゃんの話に興味津々だったのです。


マリちゃん雲に乗る-4

マリちゃん雲に乗る-4

 

   宗像 善樹

(1)旅立ちー4

マリちゃんが雲の隙間から地上を眺め下ろすと、パパがベランダに出て、地震で割れた植木鉢を片づけている姿が見えました。ママが洗濯物を干している姿も見えました。
 マリちゃんは、一緒に見ていた星たちに言いました。
「私が浦和の家にいたときは、わたしもパパやママと一緒に、ベランダで楽しく遊んだのよ」
 一晩の疲れを取ろうとする星たちが、マリちゃんに言いました。
「私たちは、マリちゃんが夜ぐっすりとママのベッドの上で寝ている姿を見たことはあるけど、お天道さまが昇られた後の、明るい世界のマリちゃんの姿を見たことはないの」
 星たちが、マリちゃんの気を紛らわしてあげようと、マリちゃんに頼みました。
「マリちゃんが浦和にいたときの、マリちゃんの家族の話をしてくれないかしら」
 マリちゃんが、答えました。
「はい、わかりました。でも、わたしの話より東北から来た仲間たちに話をさせてあげてください。家族との思い出を話したいはずです。だから、あの子たちにお願いしてみてください」
 星たちが頷いて言いました。
「そうね、マリちゃんの云うとおりね。最初に、あの子たちの話を聞きましょう」
 そして、近くに伏せていた『リリー』という名の雑種の女の子に声をかけました。
「リリー、あなたの家族の話をみんなにしてくれないかしら」
 しばらく下を向いていたリリーは、顔を上げると、悲しそうな顔で話しだしました。
「私が住んでいた家は、福島県の双葉町という町にあって、年取ったお父さんとお母さんが二人で力を合わせて小さなお店をやっていました。お父さんとお母さんの間には子どもがいなかったので、子犬のときからわたしを実の子供のように可愛がってくれました。
 八歳のわたしは、お店の看板犬でした。お店の隅の石油ストーブの前に寝そべって、しっぽを振ってお客様をお迎えするのがわたしの仕事でした。
お父さんがお店を改装したばかりでした。『これからも、頑張って仕事をするぞ』とお父さんが嬉しそうに云いました。お母さんも、にこにこ笑っていました。私も一生懸命に看板犬を続けようと思い、ワンワンと答えました」
 リリーの顔が、急に哀しそうな表情になりました。
「三月十一日に、お父さんがお店を開いて間もなく、大きな地震がやってきて、二階建ての家が激しく揺すられました。大きな揺れが何度も繰りかえされ、屋根の瓦が落ち、お店の商品が全部床に落ちて割れてしまいました。ドーンという恐ろしい地響きが聞こえてきました。お父さんとお母さんが、急いで私を抱きかかえて、近くの駐車場へ避難しました。30メートル離れたお隣の家の屋根瓦がぜんぶ落ちて、もうもうとした土煙が上がっていました。恐ろしくて、その後の記憶はまったくありません。ただ、その日は、車の中で夜を明かしたこと、お父さんが車の暖房を入れて、私の体を温めてくれたことだけを憶えています」
 リリーの表情が、厳しくなりました。
「翌朝、役場から放送が流れてきました。
『全ての町民は直ちに避難してください』
お父さんとお母さんがびっくりして、声を合わせて云いました。
『原発は安全、安心ではなかったのか』
 二人は、緊張した顔で避難の準備を始めました。


(1)旅立ちー3  マリちゃん雲に乗る 宗像 善樹

マリちゃん雲に乗る

宗像 善樹

(1)旅立ちー3

マリちゃんの周りには、東北地方から天に昇って来たたくさんの動物たちがひっそりと身を寄せ合って、雲の船に乗る順番を一列に並んで待っています。
東北地方から来た動物たちは、大震災でがれきの下敷きになったり、大津波にさらわれたりして死んでしまった犬や猫たちです。馬や牛、鶏、地上に出て羽化できなかった蝉の幼虫などもいます。
天の川の向こう岸から、震災で亡くなった飼い主だったおじいさんやおばあさん、お父さん、お母さん、子どもたちの声が聞こえてきます。
「おどっつぁとおかーは、こっちにいるよ」
「じいちゃんもばあちゃんも、こっちにいるよ」
「さっさど、こっちにおいで。美味しい食べ物がいっぱいあるよ。みんな待っているよ」

マリちゃんは、織り姫さん、彦星さん、そして、たくさんの星たちと力を合わせて、東北の仲間たちを一生懸命に雲の船に乗せる活動をしてきました。
でも、マリちゃんは、天の川の河原に来たときから今日まで一年半以上も働きどおしで、クタクタに疲れています。
相変わらず、お友だちがマリちゃんの健康を心配して、大きな声でいっせいに呼んでくれます。
「マリちゃん、早くこっちへおいでよ。ワンワン、ニャア、ニャア」
マリちゃんも、内心はそう思っています。
「わたしも早く行って、みんなとゆっくり遊びたい」
天の川の向こうから、マリちゃんをいじめた野良ネコ親分の茶寅(ちゃとら)ボスの太いダミ声が聞こえてきました。
「マリちゃん。あのときは、マリちゃんをいじめてごめんね。早くこっちへ来て、みんなで一緒に遊ぼうよ」
マリちゃんは、嬉しくなりました。
「茶寅ボスは、改心して天国へ行けたのだ」
ほんとうに良かったと、マリちゃんは思いました。
真っ白な雲海の上が茜色に染まりだしました。いよいよお天道さまが顔を出されます。
まわりの雲も真っ赤に染まり、天上が朝焼けになりました。マリちゃんの白い毛も、赤く染まりました。
しだいに、茜色が薄まり、天空が鮮やかな青色に移ろいました。雲海が、真っ白なうねりに戻りました。
河原に顔を出されたお天道さまがマリちゃんに、やさしく声をかけてくださいました。
「マリちゃん、おはよう。まだ、ここでみんなを助けてあげているのだね。マリちゃんは心臓が弱いから、早くしないと、天の川を渡れなくなってしまうね。それに、仲間の動物たちがだんだん少なくなると、マリちゃんも、寂しい思いをするだろうに。そろそろマリちゃんも雲の船に乗って、天の川の向こう岸の天国へ行きなさい」
マリちゃんは、かるく首を振って答えました。
「いえ、大丈夫です。わたしは、みんなの後から天国へいきます。浦和にいたとき、パパとママが、『最後まで頑張る』ということを、わたしに教えてくれました」
お天道さまが、微笑んで言いました。
「その通りだね。パパとママは、マリちゃんにいろいろ教えてくれたね。そして、たくさん、たくさん可愛がってくれたね。パパとママの教えは大切に守らなければいけないね」
マリちゃんは、お礼を言いました。
「お天道さま、ありがとうございます。わたしは、ひとりでも大丈夫です。寂しくありません。織姫さんと彦星さん、それに、たくさんのお星さまがわたしを助けてくれます」
織姫と彦星が、やさしくうなずきました。
癒しのマリちゃん、あなたなら頑張れるわ」
周りにいる星たちも、声をそろえてマリちゃんに言いました。
「大丈夫よ、マリちゃん。私たちもたくさんいるのだから。寂しい思いはさせないわ」
お天道さまは、愛おしそうにマリちゃんを抱きしめ、やさしく雲の上に座らせてくださいました。そして、雲の間から顔を出されました。地上に朝が訪れたのです。


マリちゃん雲に乗る-2

マリちゃん雲に乗る

   宗像 善樹

(1)旅立ちー2

 こうして、マリちゃんは、地上のマンションから旅立ってからずっと、織姫さんと彦星さんと力を合わせて、傷ついた仲間たちを雲の船に乗せてあげ、天の川を渡って、虹の彼方にある天国へ導いてあげてきました。

 マリちゃんが雲の上で、仲間の救援活動をするようになった経緯は次の通りです。
 マリちゃんが天の川の河原に来てから7ヶ月経った後のことでした。
2011年3月12日の朝、地上にいたときに顔なじみだったメダカが、突然、天の川の川面から顔を出してマリちゃんに声をかけてきました。
メダカは、マリちゃんが住んでいたパパとママのマンションの部屋の水槽の中で泳ぎ回っていたメダカたちでした。
「マリちゃん、マリちゃん。大変だよ。昨日、パパとママが住んでいるマンションが大きな地震に襲われて、部屋が大揺れに揺れて、部屋中めちゃめちゃになってしまったよ。箪笥や本箱がぜんぶ倒れて壊れてしまった。食器棚も倒れて、食器やガラスのコップなどが全部床の上に放り出されて割れてしまったよ。ピアノも傾いてしまった。
部屋に敷いてあった絨毯の上は、粉々に砕けたガラスの破片だらけだよ。パパとママは無事だったけど、素足で歩くと危険だから、二人とも部屋の中をスニーカーで歩いているよ。
 利絵ちゃんと華ちゃんは勤務先の会社にいて、とても恐い思いをしたけど、どうにか無事だったよ」
 そうしてメダカたちは、自分たちが天の川にきた事情をマリちゃんに説明しました。
「地震で水槽が倒れて割れてしまい、水がぜんぶ外に流れ出てしまった。だから、安全な、お空の天の川に避難してきたというわけだよ」
 マリちゃんは、メダカの話を聞いて気がつきました。
「そういえば、昨日のお昼ごろ、地上から大きな振動と音が天の上まで響いてきたわ。
わたしは、傷ついた仲間を雲の船に乗せてあげる手伝いをしていたので、ちっとも気がつかなかった」
 マリちゃんは慌てて地上の浦和のマンションを注意深く見下ろしました。
マリちゃんの目に、マンションの部屋の中でママが軍手をして粉々に割れてしまった食器やカラスのコップなどを大きな段ボール箱に詰めている姿が見えました。段ボール箱は14個もありました。
パパは、細かなガラスの破片が食い込んでしまった絨毯をハサミで切って、丸くまるめて紐で縛っていました。
この絨毯は、パパとママがトルコへ海外旅行したときに買ってきた、二人が大切にしていた思い出の絨毯でした。
二人の顔はしょげかえっていました。
ママの弱々しい声が聞こえてきました。
「マリちゃんが生きていたら、タンスの下敷きになって、大変なことになっていたわね」
 パパが、言いました。
「マリちゃんに怖い思いをさせずに、本当によかった」
 マリちゃんは、大震災に遭って部屋の中が壊滅状態になってしまっても、まず、マリちゃんのことを心配してくれるパパとママの優しさに涙が出てきました。
「かわいそうなパパとママ。老後の住み家だといって、部屋の中をいつも綺麗にして、大切にしていたのに」
 天の川のメダカがマリちゃんに向かって言いました。
「早く虹の彼方の天国へ行って、パパとママを安心させなさい。天国にはマリちゃんのお友だちがたくさん待っているよ」
 天の川の向こう岸から、マリちゃんが元気だった頃、ご近所のお友だちだった犬の佐助やシェーン、ミッキーたちの懐かしい声が聞こえてきます。
千葉県の御宿海岸で一緒に砂浜を競争して遊んだマルチーズの女の子ラブちゃんやシーズーの男の子キャッチャーの声も聞こえてきます。
車にはねられた猫の北島ふうちゃんの声も聞こえます。
 パパのお母さんが娘時代に、女学校の帰り道で拾って育てた愛犬で、昭和の初めに死んだべスという柴犬の鳴き声も耳に届きます。
「マリちゃん、早くこっちへ来なさい。おばあちゃんがマリちゃんに会えるのを楽しみに待っているよ」
マリちゃんはまだ、おばあちゃんともベスとも会ったことはありません。地上にいたときに、パパから二人の話を聞いたことがあるだけです。


マリちゃん雲に乗る  (1)旅立ちー1

 マリちゃん雲に乗る

   宗像 善樹

(1)旅立ちー1

 今から4年まえ、東日本大震災があった年の、夏の初めのある晴れた朝のことでした。
 犬のマリちゃんは、真っ青に澄みきった空に浮いている雲の上から、地上のパパとママに向かって、一生懸命に声をかけました。
「ワンワン、ワンワン。パパとママ、わたしは雲の上でがんばっていますよ」
 マリちゃんは、空に浮かぶ天の川のほとりで、3月11日の大震災のために崩れた家の下敷きになって命を落としたり、津波に流されて溺れ死んだ東北地方の動物の仲間の救援活動を必死にやっています。
マリちゃんは、そのことを地上のパパとママに知らせようとしたのです。

 マリちゃんが雲の上にきたのは、その年の春の日の夜、パパとママと一緒に住んでいたマンションの部屋で急に心臓発作を起こして、パパとママ、長女の利絵ちゃん、次女の華ちゃんが涙を流して見守るなか、家族四人と「さようなら」をして、空の上に昇ってきたのです。
空の上にやってきたとき、マリちゃんは、そのまま天の川に浮いている雲の船に乗って、天の川の向こう岸にある天国へ行くつもりでした。
そこは、人間と動物が一緒に暮らせる楽しい、幸せな楽園なのです。
 でも、マリちゃんが天の川の岸辺に着いて、雲の船に乗り込んだとき、マリちゃんのまわりには、車に跳ねられたり、人間に虐められて怪我をしたりして体を自由に動かせない、気の毒な犬や猫やそのほかのペットたちがたくさんいました。
長い間盲導犬の仕事をして、いろいろと気を遣い、疲れ果てて動けなくなった老犬もいました。
みんな、誰かに肩を貸してもらわないと、自分の力だけでは雲の船に乗り込むことが
できないのです。みんな、悲しそうな目をして、岸辺にうずくまっていました。
 彼らの目を見たマリちゃんは、とっさに思いました。
「もし、パパやママがあの仲間たちの目を見たらどう思うだろう。必ず、『助けてあげなさい』と云うに違いない」
 マリちゃんはすぐに、自分を犠牲にしてでも気の毒な動物たちを助けて雲の船に乗せて、幸せな天国へ行けることができるようにしてあげようと決心しました。
そして、いったん乗った雲の船から下りて、天の川の河原に戻りました。
 でも、マリちゃんは小さな犬の女の子です。自分より体の大きい秋田犬や柴犬や馬や牛に肩をかすことはできません。
 そこでマリちゃんは、河原にいた二人のお星さまに声をかけました。
「お星さま、お願いです。わたしと一緒にあの子たちを助けて、天の川の向こうの天国へ行けるようにしてくれませんか」
 二人の星は声を合わせて、すぐに答えてくれました。
「いいわよ、マリちゃん。ぜひ、私たちにも協力させて」
 二人の星は、河原を散歩していた織姫さんと彦星さんでした。


熊谷桜をご存じですか?

 熊谷桜をご存じですか?

  宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

熊谷桜という可愛い桜の品種があることをほとんどの方は知らないと思います。

大辞林には「サクラの一種。コヒガンザクラの八重咲き品種で、全体に小さく、花は淡紅色でかわいらしい。」と書かれています。
何年も絶滅品種だったそうですが、ここ数年、熊谷の有志が苗を育ていろんなところに植林して、現在は熊谷市内のお寺や施設などのお庭に咲いています。
この品種は早咲きでソメイヨシノよりも一か月ほど早く咲きます。この写真も2月の中旬に撮影しました。この木は6年前くらいに植えた熊谷桜で、見るたびにあまりに可憐で癒されてしまいます。

また3月20日のお彼岸に娘が新宿御苑に行き、満開の桜を楽しんできたそうです.

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現在、新宿御苑は無料で入園できるそうです。広い公園なので新型肺炎コロナは心配ないと思いますので、ぜひ皆様もいらしてお花見を楽しんでくださいませ。
(注)新宿御苑の桜の提供写真は宗像絵利子さんの提供です(スタッフ)

 


懐かしいトルコ旅行の想い出-2

懐かしいトルコ旅行の想い出-2

  ( 宗像善樹(むなかたよしき)
(元家庭裁判所調停委員、 古代史研究者、作家)

トルコには、他にも一見の価値がある建物、遺産がたくさんあります。アンカラのアナトリア文明博物館、サフランボルの世界遺産、カッパドキアの大規模な洞窟民家、イスラム教徒の迫害から逃れるために約一万五千人のキリスト教徒が隠れ住んだという、カイマルクにある地下八階の地下都市、世界遺産のギョレメ野外博物館、古都コンヤ、メブラール博物館、バムッカレのヒエラポリス遺跡と石灰棚、エフェソスの考古学博物館、トロイの遺跡、ここはホメロスの叙事詩イーリアスに書かれた「トロイ戦争」の舞台として有名で、大きな木馬が伝説さながらに私たち観光客を見おろしていました。
以上、私は、トルコ周遊旅行を通じて、見たまま、感じたままの感想を書きましたが、一番書き記しておきたいことは、イスタンブールの街で行き会った子供や学生さんとの交流についてのことです。
それは、私たちにとってまったく予想外のことであり、また、非常に感動的で、心温まる出来事でした。
まず、私たちがとても新鮮に感じたことは、観光地で観光バスから下りたとき、観光客にまとわりつく地元の子供たちの姿がまったくなく、非常に清々しい気持ちになれたことです。他の国で、バスを下りた観光客が往々にして味わう、子供たちにまとわりつかれ、物乞いや土産品の押し売りめいたことが全然なかったのです。
現地ガイドさんの説明によると、「トルコの初等教育は、六歳から十四歳の児童生徒に対して八年間行われており、学校は基本的に国立で、授業料や教科書などの教育費は無償で行われている」ということでした。私たちは、「なるほど。このような手厚い教育システムであれば、観光客に物乞いをするようなことはしないだろう」と思いました。
 日本を出発する前、トルコの人びとは親日家が多いと聞きました。
そうなった契機は、今から131年前の1889年(明治22年)に、トルコから607名の使節団が来日し、明治天皇に拝謁して帰国するときに起きた海難事故にあるということでした。
帰国する使節団が乗った軍艦エルトゥルル号(2400トン)が、和歌山県串本町大島沖で大型の台風に遭遇して沈没、多くの乗組員が亡くなりました。そのとき、串本町民が激しい暴風雨の中わが身の危険をかえりみず懸命の救助活動を行い、奇跡的に69名の乗組員の命を救い、親身に世話をし、明治政府が速やかに二隻の軍艦に乗せてイスタンブールへ送りとどけたのです。
 トルコ国民は、日本人がトルコ人のために命を懸けて尽くしてくれた行いに国を挙げて感謝、感激したということです。この歴史的出来事がトルコ人の心情に強い影響を与え、人びとの間で語り継がれ、今でも義理堅く日本人へ感謝し、親日的な思いが強いのです。
実際、私たちは旅行中に小学生のグループに何度も囲まれて写真を撮られたり、手をつないで歩いたりしました。
あるときは、イスタンブール中央のゲジ公園で、高校生数人のグループから、「一緒に肩を組んで写真を撮らせて欲しい」と声をかけられました。即座にOKすると、彼らは一人ずつ交替で、私たち夫婦の間に立ち、私たちの肩を両手で力強く抱いて、嬉しそうな顔で、交互に写真に収まっていました。私は、彼らが手に込める強い力から、トルコの人たちが日本人に抱いている信頼と友情を肌で感じました。彼らは皆で、私たちの重い荷物を持ってくれました。彼らに荷物を託すとき、私たちに全く不安な気持ちは生じませんでした。
現地に長く住む友人にこの話をしたところ、「トルコの人たちにとって、日本人と一緒に写っている写真は大切なものであり、友だちの間で自慢できる一級品なのだ。荷物を託されることは、日本人に信頼されている証で、嬉しいことなのだ」という説明でした。

以前、そのゲジ公園の存続をめぐって、転用を計画する政府側と公園の存続を願う市民との間で激しい対立が生じました。
一時は沈静化したようですが、多くの心優しい人たちが住んでいるトルコの国が政情不安になり、国民の心が病むことになるのではないか、とても心配でした。
私は、出来ることなら、2020年の五輪開催がイスタンブールに実現し、五輪の成功に向かって、トルコの人たちの気持ちがひとつにまとまることを願っておりました。
それは、私たち日本人が、1963年の第18回東京オリンピック大会の成功や、1970年の大阪万国博覧会の成功に向けて、国民が一致団結し、心をひとつにしたときのように。

残念ながら、イスタンブールは五輪を招致できませんでした。
私たち日本人は、今後も、トルコとの未来志向の友好関係をめざして、トルコの人たちに深く敬意を払い、親しい交流が続けられるよう最大限の努力を重ねるべきだと思います。
                    以上
 著作
 咸臨丸の絆、三菱重工爆破事件、
マリちゃん雲にのる、など多数あり。
                             


懐かしいトルコ旅行の想い出-1

懐かしいトルコ旅行の想い出-1

 宗像 善樹(むなかたよしき)
(元家庭裁判所調停委員、 古代史研究者、作家)

来年2020年の第32回夏季オリンピック大会とパラリンピック大会が東京で開催されることは、非常に嬉しいことです。
しかし、その半面、8年前に私たちが訪問した際に、トルコの人たちが示してくれた親日的で、優しい心遣いと親切心を想うと、トルコの人たちの失望感が胸に迫ってきて、とても悲しく、胸が締めつけられる思いがします。なぜなら、第32回オリンピックとパラリンピックの開催地にトルコも立候補していたからです。

平成23年(2011年)1月、私たち夫婦はトルコ周遊旅行へ出かけました。
私たちは海外旅行が趣味で今まで多くの国を訪問しましたが、その中でも、トルコは一番印象のよい、すばらしい国でした。
特に、トルコ最大の都市、イスタンブールに魅入られました。
イスタンブールは、アジアとヨーロッパにまたがって東西文明の接点に位置し、様々な人種と文明がみごとに融合した独特の雰囲気がある大都会でした。
イスタンブールには見るところがたくさんありましたが、それにもまして魅力的なことは、トルコの人びとの人間的な素晴らしさでした。私たちが会った人びとは温かさに溢れ、極めて親日的でした。
彼らは、街中で日本人を見かけると非常に親切な態度で接してくれました。タクシーもメーター制で、非常に安く、ぼられることもありません。チップも取られませんでした。
私たちがイスタンブール市内を見て回った主なところは次のような所です。
いささか観光案内書のような紹介になりますが、まだトルコを訪れたことのない日本の人たちにも、是非見学して欲しいところです。
まず、トプカプ宮殿。
この宮殿は、十五世紀に建設され、オスマン・トルコの歴代の君主(スルタン)が居城とした宮殿です。現在は、オスマン時代の遺物の宝物館となっており、宝物館には柄に三つの大きなエメラルドをはめ込んだ黄金の短剣や八十六カラットのダイヤモンドなどの宝石が陳列されており、その豪華さには目を見張るものがありました。
次に、考古学博物館です。
トプカプ宮殿に隣接しており、小アジア各地からの出土品やギリシャ、ローマなどのビザンチン芸術の遺品が収集されていました。私は、「アレキサンダー大王の石棺」と「嘆く女たちの石棺」を見て、その迫力に圧倒されました。エフェソスやフェニキアの遺品や彫刻もたくさんありました。
そして、トルコを代表するイスラム教寺院の「ブルーモスク」です。高さ四十三メートル、直径二十三.・五メートルの巨大ドームの周囲に六本の尖塔(ミナレット)がある寺院です。十七世紀初頭にスルタン・アフメットによって建てられた寺院で、オスマン・トルコ建築の極みだと思いました。
この建物の正式名称は「スルタン・アフメット・ジャミイ」ですが、建物内部の装飾に使われているブルーのタイルがあまりにも美しく、誰もが目を見張るような色彩であることから、いつしかヨーロッパ人が「ブルーモスク」と呼ぶようになったということです。
最期に、ローマ帝国時代にキリスト教の教会として建てられた「アヤ・ソフィア」です。高さ五十四メートル、直径三十メートルの巨大ドームを中央に有するビザンチン建築の大聖堂です。
この大聖堂は、第四次十字軍やオスマン・トルコ軍によって略奪された歴史を持ち、ビザンチン美術の傑作である多くのモザイク画が五百年もの間、漆喰で塗りつぶされていたという歴史も持っています。現在は、モザイク画も修復され「キリストを抱いた聖母マリア」など世界的な傑作を収納する博物館になっています。
以上書き記したように、私は、トルコという国が持つ文明的、美術史的な迫力の根源は、イスラム教文明とキリスト教文明が共存し、ものの見事に融和しているところにあると考えます。

ーーー
著作
咸臨丸の絆、三菱重工爆破事件、
マリちゃん雲にのる、など多数あり。


総理官邸を下に見ての総会でした。

 総理官邸を下に見ての総会でした。

  宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 2月の最後の日に私の所属している咸臨丸子孫の会総会が霞が関ビルの34階霞会館でありました。
この総会を実施するにあたり、このウイルス騒ぎで中止するべきか、決行するべきか幹事一同悩みました。
しかしすでに準備も完了しているし、霞会館自体は高級な会議場(旧貴族会館)なので安心ではないかと判断して、世の中の風潮に逆らっての実施でした。
例年の参加者より10名ほど欠席者が多かったですが、その分広々と会場を使えて、またブッフェ式のお料理も並ぶことなく、何回も食べることができました。
またこの霞会館のお料理担当は東京会館なのでとても美味しかったです。大満足でした。
お天気にはとても恵まれ、娘と「やっぱり晴女が二人そろうと晴れるのね」とにんまりでした。
窓からの景色もとても素晴らしく、眼下に首相官邸が見えました。
いつもテレビで見る正面を上から眺めるなんてと、出席者全員写真に収めました。
無事総会と懇親会を終了して、後は皆様がコロナ感染をしないことを祈りながら終了いたしました。
肩の荷がおりました。最も総会欠席者への総会資料を郵送しなくてはならないのでまだまだ忙しいですが、後は家の中の作業なのでのんびりすることにいたします。
やれやれ!

(注)筆者の宗像信子さんは、1860年(万延元年)、日米修好通商条約批准書交換に派遣された遣米使節団の随伴艦として渡米した咸臨丸(幕府海軍保有の洋式軍艦)提督で軍艦奉行・木村摂津守のご子孫です(村長)


日比谷の桜

 日比谷の桜

  宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 久しぶりに日比谷に行ってきました。
私が所属している長崎楽会という長崎県出身、大好きという人たちが月一回日比谷で集まって楽しむ会があります。
ですから毎月日比谷に行きます。
日比谷も開発が進んで、新しい大きなビルができて、通りも素敵なイルミネーションでお洒落です。
銀座とはまたちょっと雰囲気が違うかなと思います。
日比谷公園は相変わらず都心のオアシスですね。
公園の中は緑がたっぷりとあり、噴水、花壇が広々と配置されていて、気持ちがゆったりとします。
こんな大都心の真ん中に癒される公園があるのはすてきですね。
楽会の帰りは帝国ホテルの正面玄関から入り、ロビーの真ん中に大きなお花が月替わりでその季節季節のお花が飾られているのを見るのが大好きです。
今月は写真のように見事な桜でした。

帝国ホテルを通り抜け、宝塚劇場のところに出たら素晴らしい夜景でした。
長崎楽会の友人が写真を撮ってくれました。
ハッキリと私が映っていないところがみその写真です。