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宗像 信子
(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

歌舞伎鑑賞に想う

  • 歌舞伎座 に対する画像結果

11月に歌舞伎座へ行ってきました。
このコロナ禍で観劇の方法が変わっていて、1部から4部までありそれぞれが50分くらいの演目でした。
ちょっとあまりにも短くて寂しかったです。
私たちは第3部の「一條大蔵卿・奥殿」でした。
一條大蔵卿を松本白鷗、常盤御前を中村魁春が演じました。
あらすじは
平家全盛の世のこと、源義朝の妻であった常盤御前は、平清盛の寵愛を受けた後、公家の一條大蔵卿の元に嫁いでいます。
一條大蔵卿は、阿呆と噂が高く、常盤御前も源氏再興を諦めているのではとかつての源氏の一人、吉岡鬼次郎と女房お京が、屋敷に忍び込んで、その本意を探ろうとします。
しかし、常盤御前は楊弓遊びにふけるばかり。お京の手引きで、常盤御前の部屋に入れた鬼次郎は、なぜ、敵方に嫁いでいるのか、源氏再興の心はないのかと詰め寄ります。

  • 「一條大蔵卿・奥殿」 に対する画像結果

れを聞き流す常盤御前に業を煮やし、弓で打ちつけます。
止めようとするお京、しかし、常盤御前は、忠臣、あっぱれと鬼次郎を褒めるのです。
実は楊弓の的の下には平清盛の姿絵、子どもたちの安否を気遣い、本心を隠し密かに源氏再興の時を待っていたというのです。
それを聞き、喜ぶ鬼次郎たち。
そこへ、大蔵卿の家臣である勘解由がやってきて、その事実を清盛に伝えると言います。
勘解由は、阿呆と言われる大蔵卿を裏切り、影で清盛と手を組んで家を乗っ取ろうとしていたのです。
そこに、颯爽と現れた大蔵卿の長刀により、勘解由は斬り捨てられます。
阿呆と見えた大蔵卿も、それは世を偲ぶための芝居だったと明かします。
そして、鬼次郎に源氏再興の願いとともに、重宝友切丸を与えます。
夜明けとともに、また阿呆に戻る大蔵卿、鬼次郎らはその想いに感謝し源氏再興を誓うのでした。
ざっとのあらすじですが、コロナで亡くなられた志村けんさんのバカ殿様のモデルだということで有名な物語です。
松本白鷗もすっかり年をとられて、昔の幸四郎時代からの時代差を感じました。
もっとも市川染五郎時代もあったんですよね。あこがれていました。
という私も年を取ったということですね<笑い>
常盤御前って本当にお綺麗だった絶世の美女というのかしら。
だって源氏の頭領・源義朝の妻で、夫亡き後は天下の平清盛の愛人になり、今度はお公家様の妻になるなんていう人生、なかなか普通の人にはできない人生ですね。
戦乱の世にはもっとすごい人生を歩んだ人もいるのでしょうね。
平和な世の中に生まれて良かったと思っていましたが、晩年になって今のような新型コロナの感染で考えてもいなかった生活があるとは思いもしなかった能天気な私です。

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クリスマスイルミネーション

 

宗像 信子
(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 クリスマスイルミネーション

今年も明後日はもう12月です。
何もしなかった一年のような気がします。
新型コロナによる感染のため自粛生活で終わってしまったからです。
でもコロナのせいにばかりにはできません。自分の怠け心のせいもあります。
これからは政府の言うように3週間が決め手になるのでしょうか?
それなら言うことをきいて、ただただステイホームをいたします。
そう思いながらちょっと東京駅で途中下車して丸の内仲通りのイルミネーションを見に行きました。LEDによるイルミネーションでしたがそれなりに綺麗でした。

丸ビルの中に入ってみたら一階のマルキューブに素敵なグリーンや黄色に輝くライティングショーが開催されていました。
こんなに綺麗なものを目にすることができたので、一瞬コロナ禍のことを忘れてしまいました。
ステイホームをしながらですが、あちこちでのクリスマスイルミネーションを見に歩きたいと思います。
やっぱり素敵な夜景は大好きです。


 朝焼けと日の出


宗像 信子

(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 朝焼けと日の出

 11月20日の朝5時50分頃に目が覚めてベランダにでました。
何かカーテン越しの光の具合がいつもと違うように見えたからです。
するとなんて綺麗な朝焼けでしょう。

結構風が吹いていたので雲が動いていました。
その雲の動きがとても美しく見えましたので、しばらく眺めていました。
何だか「早起きは三文の徳」という言葉が思い出されるくらい美しい景色でした。
しばらくうっとりと眺めていましたが、そのうちに太陽が顔をだしてきました。
このような美しい日の出を見ていると、とても力強く勇気を与えてくれているようです。
どうかこの太陽の力が今のコロナ禍を押さえ込んでくれないかなと祈るばかりです。


軽井沢雲場池の紅葉

 
宗像 信子
(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 軽井沢雲場池の紅葉
 
 二日目も素晴らしいお天気でした。
紅葉狩りともう一つの目的である温泉に行きました。
別荘から約30分のドライブで嬬恋高原のつつじの湯(標高1150m)という源泉かけ流しの天然温泉に行ってきました。

  • 軽嬬恋高原のつつじの湯 に対する画像結果

入湯料が600円でおまけに岩盤浴もできるという、このお得感には感激でした。
総檜風呂の温泉と露天風呂にまず入り、次に岩盤浴に行きました。
岩盤浴は数年前に新潟県の浦佐にある専門のところに行ったことがありますが、久しぶりの体験です。
15分岩盤に寝て、5分休憩を3回繰り返し、汗をかいてまた温泉にはいりました。
岩盤浴での最後の汗は流してはいけないそうで、その日一日はすっぴんのままで過ごしました。この頃マスク生活なので何の不安もありませんでした。
次に新そばの手打ちそばを食べにいきました。やはりこの辺はお蕎麦屋さんがたくさんあります。おいしいお店に入れたので良かったです。
赤い紅葉と黄色いカラマツ林を見学しながらのドライブは久しぶりの旅行を本当に楽しませてくれました。
最後は軽井沢に降りていき、紅葉の名所の雲場池に行きました。
まさになんと表現したらいいのかわからないくらい素晴らしい景色でした。


北軽井沢の紅葉

 

 宗像 信子
(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 北軽井沢の紅葉

 今年は2月末から新型コロナ感染で自粛生活をしていたので、どこにも旅行ができませんでした。
でもこの紅葉の季節になり、ぜひ近場でいいのでどこかに紅葉狩りにいきたいと思い始めました。

そこで毎年行っている北軽井沢に別荘を持っている友人に連絡をとったところ、今北軽井沢は紅葉の真っ最中だし、別荘には誰も来ていないので、いつでもどうぞということでした。
すぐに新幹線に乗り軽井沢に行きました。私は浦和に住んでいるので大宮から新幹線なら約40分で軽井沢につきます。
さすがに軽井沢はとても混んでいて、密になるのですぐにバスで北軽井沢まで登っていきました。
途中落葉松の黄色い紅葉がびっしりでした。

友人の別荘についたらそこは赤のじゅうたんが敷きつめられていました。
また入口のもみじが真っ赤で来たかいがありました。
荷物を置いて、今度は浅間牧場にいきました。
晴女だし文化の日という特異日と重なって素晴らしい青空で、どこを見渡しても山々と赤と黄色の木々、そして澄んだ空気とすっかりコロナのことなど忘れてしまいました。
夜はさすがに気温が下がったので暖炉に薪をくべて温まりました。
夜空に星を見にいきましょうと話していたのに、久しぶりだったのでおしゃべりに夢中になり、すっかり忘れてしまいました。
今回は1泊の予定でしたので、満天の星空を見ることはできませんでした。

<つづく>

 


宗像 信子
(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

ブルームーンと火星

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2020年10月31日はハロウィンでした。とても静かなハロウィンだったようですね。
そして今月2度目の満月でブルームーンでした。
ひと月に2度満月があるとブルームーンというだそうですね。
少し曇り空でしたが、きれいな満月がとなりの火星と一緒に見えました。
でも私は金星だと思っていたんですが、札幌で同じブルームーンを見て写真を送ってくれた友達が「火星もよくみえましたね。」と言ってきました。
「え! 金星ではないの?」
「そんなことを言ったら、チコちゃんに叱られるよ!」と言われてしまいました。
というわけで、満月の右上に見える明るいお星さまは火星でした。
また今度ハロウィンと満月が同じ日に見えるのは38年後だそうです。
もう私は見られませんね。


新橋駅前SL広場

宗像 信子
(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 新橋駅前SL広場

 新橋駅に待ち合わせ場所として有名なSLが展示されている大きな駅前広場があります。

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新橋駅の日比谷口(&銀座口)は、ホームから東京上野方面寄りの階段を下りると小さな改札があり、出るとすぐ目の前にSL広場があります。
駅前の広場全体を「SL広場」といいます。
待ち合わせスポットとしてはやはり、駅から見て広場の一番奥に展示されているSLの前がいいと思います。植え込みもあり、また12:00、15:00、18:00には数秒間汽笛も鳴ります。
なお新橋駅というと、「TVニュースで酔っぱらった男性会社員への街灯インタビューに使われる場所」という印象が強いですよね。
でも1872年に日本初の鉄道が開業した際、起点駅となったところです。ですから新橋駅の発車メロディーは「汽笛一声新橋を・・・」から始まる『鉄道唱歌』が流れます。
久しぶりに土曜日の夜に行ったらSLがライトアップされていました。
その日は何も事件がなかったみたいで街頭インタビューは残念ながらありませんでした。


グリーンセンターの緑と夕陽の赤


宗像 信子

(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

グリーンセンターの緑と夕陽の赤

またまた埼玉県のローカルなところです。
グリーンセンターという川口市の施設に行ってきました。
花と緑の振興センターは、植木・果樹苗木などの生産出荷の指導、盆栽等の輸出振興、緑化に対する知識の向上等に関する業務を行っています。

園内には植木類、鑑賞用樹木類を中心に2000種類以上の植物を展示しています。
埼玉県の花植木産業は、気象災害の少ない恵まれた自然条件、首都圏に立地する有利性を活かして発展してきました。
主な植木産地は、江戸時代から伝統がある川口市安行を中心にさいたま市、深谷市、寄居町等です。また、緑化樹木の輸出量は、全国トップクラスです。
主な花の産地は、深谷市(ユリ・チューリップ・鉢物)、さいたま市(鉢物・枝物)、鴻巣市(鉢物・花壇苗)、川越市(花壇苗)、越谷市(チューリップ)となっています。
正面玄関の前から写真のように緑の大きな木がびっしりと植えてあります。
本当に大きな名前の通りのグリーンセンターでした。
帰宅すると赤い夕焼けの中に富士山が浮かびあがっていました。


国立劇場  「ひらがな盛衰記・源太勘当

宗像 信子
(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

  国立劇場
 「ひらがな盛衰記・源太勘当

先日久しぶりに着物を着て国立劇場に行ってきました。
「ひらがな盛衰記」という演目でした。
あらすじは
主人公は鎌倉一のイケメン武士の梶原源太、そして悪役は弟の平次です。

ひらかな盛衰記~源太勘当・逆櫓・神崎揚屋 | 歌舞伎演目案内 – Kabuki ...

配役は兄の恋人の腰元千鳥に横恋慕している弟の平次が松本幸四郎、彼は仮病を使って出陣せず執拗に千鳥を口説いている。そこへ戦場から平次の手下の軍内が帰ってきて、源太がまもなく帰国すること、理由は宇治川の先陣争いで佐々木高綱に後れを取ったためで、父景時は源太に切腹を命じる手紙を妻延寿に届けたと告げる。
この妻延寿を中村魁春が演じています。私はこの魁春さんが中村松江と言われていた時から後援会に入っています。理由は伯母が入会していて亡くなった後、私が引き継いだわけです。初めて彼を見たとき、男性でもこんなに美しい女性になれるんだなって思いました。
そこへ鎌倉一の風流男と謳われている美男、中村梅玉演じる源太が優美な装束で帰って来ます。中村梅玉は中村魁春の実の兄でそれこそ若いころは美男でした。もぅ70歳ぐらいですが、まだまだ美男です。
出迎えた母延寿が夫景時からの文を読む間、平次は兄に向

いけずき(池月、生食)」の佐々木高綱と「する墨(磨墨)」の梶原景季 ...

かい宇治川の先陣争いの様子を聞き、源太が高綱に負けたと聞いた平次は、自分が兄の首を斬ると斬りかかるが、逆に源太に取り抑えられほうほうの体で逃げていく。源太は人払いして母に向かい、射手明神で父景時が過ちを犯した時、高綱が助けてくれた、その恩に報いるため、わざと先陣争いで勝ちを譲ったと真相を打ち明けて、切腹しようとする。延寿はそれを止め、源氏への忠義と父母への孝を尽くすのが武士の本分だと諭し、表向きには勘当する。それを見た平次は軍内と共に源太に再び斬りかかるけど、源太は平次を懲らしめ軍内を斬り捨てる。延寿は千鳥も不義の罪ということで源太と一緒に逃がし、源氏ゆかりの産衣の鎧を源太に与える。二人は母の温情に感謝しながら手を取って館を去っていく。
というようなお話です。
このコロナ騒動で歌舞伎の世界も自粛でしたが、ようやく再開したことはうれしいですよね。
笑えるのは現在の若手のイケメン代表役者の松本幸四郎が悪者での出演でした。
また兄の母親役を弟が演じるという歌舞伎ならではの配役でした。
歌舞伎の配役って面白いですよね。
兄弟で恋人や、酷いときは親子で恋人役を演じるんですから。


東松山というローカルな町+-

 
宗像 信子
(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

  松山というローカルな町

 埼玉県の県北に東松山というローカルな町があります。
同じ県北の深谷駅と似ています.


 ミニ東京駅とも言われている深谷駅のこのデザインは、1996年の改築時に、東京駅の赤レンガ駅舎をモチーフにつくられたものです 深谷駅は本物のレンガではなく、コンクリートにレンガ風のタイルを貼ることで東京駅を模しているわけですが、そもそもなぜ東京駅のモチーフにこだわったのか。理由は大正時代にまで遡ります。
 深谷駅が東京駅に似ている理由、それは、大正時代に竣工した東京駅・丸の内口駅舎の建築時、深谷にある日本煉瓦製造で製造された煉瓦が、70キロ以上離れた東京駅まで鉄道輸送されて使われたという史実に因んでいます。

 つまり東京駅のレンガは深谷市のレンガだったわけです
 そして、この日本煉瓦製造の設立に携わっていた人こそ、埼玉県深谷市出身の、日本資本主義の父といわれる渋沢栄一です。
今度の1万円札の象徴です。
 東松山駅も同じように深谷市のレンガで建造されています。
 埼玉の県北にきているのに、東京駅にきている気分にしてくれます。
 近くの公園にき金木犀の香りが漂っていました。