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「開運道の占い、役立ちますよ。

私は千葉県某市在住で2期生の篠原美恵(注・村長の一存で仮名にしました)と申します。
わが家の庭の柿が赤くたわわに実って枝を沈め、黄色い柚子の実も秋空の下で目に鮮やかです。
秋は深まり、冬の気配の忍び足が確実に近付いていて、年の瀬が来て春もまたすぐ訪れます。
私が学んだ開運道の占いで、私の大吉運は来年の節分までですから焦ります。
年の大吉に加えて、ようやく理解しかけた気学の同会法で自分の生月九星が巽宮にめぐったつい数カ月前の週末で大安吉日のことです。BSで放送する塚原卜伝にあやかって勝負と出世の神様・香取神宮にお参りに行き、帰りに宝くじ売り場でスクラッチ5枚(一枚200円)を購入しました。
ところが、なんと1枚が10万円の大当たりです。ビックリするやら驚くやらで、寄付のつもりで5枚追加しました。すると、4枚はスカですが1枚が5千円! これも小さくガッツボーズです。たった2千円投資で105、000円ゲット、これはでラッキーでした。
勝負の神様がツキを呼んだのか、開運占いがよかったのか? いえ、自分の運気が上向いて来たのです。    そう信じたとたん、何だか自信が湧いてきました。

さて、このスクール・サロンに投稿したのにも動機があります。
ある日、このお休み処から「村長の連載小説」のバナーをクリックしたところ「獲物」という短編小説が目につき、それを読んだのが動機です。小説の舞台と登場人物がリアルな映像となって見える面白さと文章の凄さに引き込まれたのも一因ですが、釣り小説だったのが決め手です。そこで即、この一文を書いて投稿依頼をしたところです。
実は私、釣り女なのです。
本来は美味しい魚が好きだったのが鑑賞も好きになり、水族館めぐりなどもしています。おススメの水族館は、茨城県大洗のアクアワールド、静岡県下田海中水族館、ネコザメが可愛いですよ。それが、いつの間にか同居人と一緒の釣りを覚えて、今では道具もファッションも自前です。
しかし、家事や仕事もありますから、そう毎週のように出掛けるわけにはいきません。まとめて時間がとれた時に同居人(夫)を誘って、三日ぐらい夢中で釣りに凝ります。
家から近い印旛沼や霞ヶ浦でリール竿でルアーを投げ、30~60センチ級のブラックバスを釣るのですが、大物になると手許に寄せるまで暴れますからこちらも必死で闘志剥き出しでスッピンの顔をしがめて美女?も台無しの表情で格闘します。釣れなければ釣れないで釣り場を移動して歩きますから体力もすごく使います。困ったことに、それを三日間ぐらい朝から夕まで続けないとスカットしないのが私の流儀なのです。
ところが、休暇をとって私に付き合う約束の同居人は、自分が釣りの快感を私に教えたくせに、毎日は辛いから1日おきにしょう、などと何の話か分らないような妥協案で逃げ腰です。その結果、「忙しくて休暇がとれないから独りで遊んで来い」、とは薄情過ぎはしませんか?
なにしろ私は釣り女ですが、あのヌルッとした感覚が嫌でとても魚には触れません。魚の口に刺さったルアーのハリを外して放流(キャッチ&リリース)するのは同居人の仕事ですから、いないと困ります。
でも、そこまで突き放されたら、こちらにも意地があります。そこで、私は「では勝手にします」と、当たりクジの余勢をかって日の九星まで暦で調べてマイカーで釣りに出かけました。
早速、釣り場で知り合った暇そうな塾の講師だという青年に狙いを定め、寄せ餌(笑顔と食事)を効かして誘い込み、私が魚に触れたことがないことを伝え、釣れた場合の助っ人として三日間の無料奉仕を約束させました。なにしろ、釣りあげたブラックバスはすぐ放流しますし、よほど大物でもない限りは寸法も重量も写真も記録に残しません。だから釣れても釣れなくても魚との接点は何も証拠がないのです。同居人は「どうせ釣れないんだから時間潰しだろう」と鼻であしらっていますから悔しいし癪の種ですが、そこに盲点があります。
それでも、三日間、この涼しい秋の日にも拘わらず毎日汗を流し声を張り上げて頑張りました。 なにしろ三日間で2キロ近くの減量、この実績は事実です。これには同居人もかなり驚いた様子です。
「それだけ痩せたんじゃ?」と、頑張ったことだけは認めたようです。
その通りです。気が遠くなるほど頑張りました。あれもこれも開運占いと塾講師A君のおかげです。
ただ、残念ながら魚は一尾も釣れませんでした。

(村長注、これは軽妙なエッセイです。内容を縮めて会員の作品集にも載せさせて頂きます)


北の港町からご挨拶です。

緒方さんの立派な挨拶に続いて、恥ずかしながら北の港町から皆さまにご挨拶です。 わたしは開運村のお世話人に名を連ねる一期生の西川永華と申します。 家族構成は、昔からのオットという名の同居人と二人暮らし、娘二人はそれぞれ嫁ぎました。
拠点は北海道留萌(るもい)市、ご存じですか?
明治時代までは、アイヌと日本人が混在した街でしたから山も川もアイヌ名が残っています。 ポロシリ山、セタベツ川、チバベリ川などと呼びます。
留萌はアイヌ語でルルモッペ、その名の由来は潮が奥まで入る川という意味と聞いています。
地図で見ますと、北海道上部左側の日本海に面した人口約3万の港街です。
主な産業の貿易や水産加工業は、昔とは天と地ほどの差だと昔の人は言います。 でも、若い?わたしは、昔のことは詳しくは知りませんが、街が栄えていたのは覚えています。
わたしが子供の頃はニシンの水揚げ世界一、ニシン御殿が立ち並び昼も夜も賑やかな街でした。 その頃は留萌の定住4万に出稼ぎが3万の合わせて7万人で歓楽街もごった返していたそうです。
わが家も飲食業を出して、小学生のわたしも手伝いましたからニシン景気は覚えています。 でも今は人口わずか2万4千、公務員、各企業の支社などの関係者が大半を占めています。 今でも留萌の港は国内最大の輸入港で、カズノコの国内最大加工地ですが産業は寂びれています。
同居人のオットは親の代からの建築業ですが、いまは不況の真っただ中です。 こうなれば、わたしが好きな占いで稼いで食わせるしかない! と開運道に入門しました。
苦節1年、幸い免状も頂き占術家の名も得て、すぐ地元のFM放送に相談して占い番組を始めました。
仕事は、緒方さんと同じく本部発行の100年運データ中心です。
これは誰でも欲しがりますので間違いなく宝の山で、これが口コミに乗りました。 そこで、さらに図に乗って、趣味の貴石を用いた開運ブレスレッドを始めました。 自分で石を買い求め金属チェーンも自分で編みます。
開運村のホームページにもリンクして頂き、占い同様に売り上げも順調に伸びました。 と、調子よくお話しさせて頂きましたが世の中、そう甘くはありませんね。
主婦の片手間を広げ過ぎて頑張りすぎて、ついに過労でダウンしてしまいました。 その上、子宮けいガンが発見されて入院、ついに闘病生活です。
でも、ご安心ください。ようやく退院して早速、このご挨拶です。
数日前からFM放送にもカムバックしました。
なお、放送原稿の中心は開運村ホームページの毎日の占いです。
もちろん、村長さんの許可は頂いております。
なお、ブレスレッドを参考にされる方は、開運村トップページのリンクでお宝堂をご覧ください。
病いで倒れる前は札幌や旭川にも、占いとブレスレッドで招かれて出張していました。 それにしても、やはり無理は禁物、ほどほどが無難ですね。
皆様も、お体を大切に開運道の占いをお楽しみください。
また、投稿させて頂きます。

 


占い相談を始めました。 緒方です。

二期卒業の宇都宮市に住む50代後半、昔は娘で今はオバさんの緒方八重(仮名)と申します。12年前に離婚、娘二人の一人は社会人、一人は大学であと1年スネカジリです。
以前、こちらのホームページの占いの館で無料の八星占いに凝って占いにハマりました。そこでスクールに入学し、無料で勉強していたおかげで無事に免状を頂きました。
それまでも公文に集まった生徒相手に始めた趣味の相性占いが、母親達の口コミに乗ったのです。この3月から、講座で学んだ相性占いを主体に、公文教室とは別に自宅で占い相談を開きました。
はじめは土曜の午後だけでしたが、最近になって木曜日も開いて徐々に盛況になっています。
両日とも週2回木曜、土曜の午後1時から夜7時まで予約制です。
この日だけは公文は娘二人に任せて、私は占いの先生です。
占い相談は生徒の父兄が口コミで広めてくれて思ったより評判がよく、嬉しい誤算です。とくに、本部で提供してくれる100年運が好評で、これが金運を呼んでくれています。
おかげで経済的に少し余裕ができて、8月のお盆休みに親子三人でグアムに行って来ました。
青い海、青い空、サンゴ礁に砕ける白い波、肌は焼けましたが心はスッキリ、楽しかったです。これも占いのおかげと親子三人で、お土産を持参で本部に「ご挨拶に」とお電話したら、先生は介護でお忙しいそうです。
残念ですがこの場を借りて「占いを有り難うございます」と一言、お礼しておきます。
そして、スクール仲間の皆さんに一言、「この場を大いに活用しましょう」です。「宇都宮の緒方」でご指名頂ければ、いつでもここに参加しますよ。
ではまた、次の機会まで皆様お元気で。

 


北海道はもう冬が接近中です。

開運道の皆さま、お元気ですか?
またまた北海道からの投稿です。
こちらの季節は一気に冬に向い始めています。
特に朝が寒く、そろそろ暖房具が必要になって来ています。
すでに冬布団を引っ張り出しました。
村長さんも母の介護はやむをえない。でも、時間が自由にならなくて残念だと何かに書かれていましたね? 私の両親も今のところ二人でどうにかやっているものの、どちらか一人が残った場合、近くに住んでいる娘の私が
面倒を見なくてはならないのだろうと、漠然と思っています。

遠い未来の話のように思っていたけれど、親の介護は、そう遠くないことことになるのかもしれません。
80歳を越したら、いつ何が起きても不思議ではないのですよね。
もっとも、両親よりも私が先に死んでしまった、なんてことにならないようにしたいものです。
私は平々凡々、日々の農作業をこなしています。
エッセイは暇になる冬場がメインで、まだ
今の時期は農作業がありますので、書くのはぼちぼちといったところです。
何か感じることがあったときなど、時々は書いて楽しんでいますよ。
でも、なんとなく体力がないと言いますか、疲れやすくなった感じです。

加齢によるものなのか、単に怠け者になってしまっただけか、いわゆる更年期なのか?
考えてみてもわからないのですが、多分、体調の影響かもしれません。
でもまあ、無事に暮らせていますので、このまま無事に過ごせたらいいな~と願っていますが、どうなるものやら、ま、なるようになるでしょう。

こうして、日々淡々とマイペースです。
時節柄、皆様もお体を大切にしてください。
また折りを見て投稿します。
ではまた、一期生の村山恵美子(エッセイスト)です。

 


京都からご挨拶です。

私はスクール2期生の西方澪(みお)と申します。
夏も終って秋の気配が深く漂いますが、皆さまお元気ですか?
このサロンへの投稿は以前から考えていましたが、ようやく重い腰を上げました。
職業はフリーのアナウンサーですが、人手のない地元局ではキャスターもレポーターもします。
私の住んでいる京都郊外は宇治茶の産地で、夏には毎年決まったお茶屋さんでグリンティーを購入しています。秋というとお茶の美味しい季節、という認識になっています。
開運道の関係者にも、お茶屋さんがいるかも知れませんのでお茶についての講釈はしませんが、お茶好きは健康な人が多いようですね。
私は最近、13年間生活を共にした愛猫を見送りました。ここ暫く闘病中だったのです。
苦しかった身体が少しは楽になったと思って、なんとか自分を慰めてはいますが、今はまだ悲しみや喪失感が深く、もっと出来ることがあったのではないかと後悔するばかりです。
猫の話から飛躍し過ぎますが、自分がしたいことをし残しては悔いが残ります。 そこで、カウンセラーとしての占い師、猫を悼み気学を学びながらお茶を楽しんでいます。
では、開運道に関係する皆さま、またここでお会いしましょう。


北海道はもう秋です。

皆様、お元気ですか?
私は北海道在住の村山恵美子、開運道スクールの一期生です。
盆が過ぎて、こちらの季節は一気に秋に入り、朝が寒く掛け布団なしでは寝られません。
朝はすでに16度を下回り、外気がひんやり朝もやです。
ところで、先日の近畿地方を襲った台風もひどい被害でしたね。
まるで、東北の津波被害の映像と大差ない様子で、人命も多数失われ気の毒で胸が痛みます。
あの時は、台風12号からの低気圧と太平洋を北上する台風13号に挟まれた北海道は、連日黒い雲に覆われていてつく雨が続き憂鬱な日々でした。それでも、和歌山や奈良のようなひどい雨量もなくこれといった被害もありませんでした。
それにしても、数日で1800ミリの雨とは人の身長以上ではありませんか。
それらが山間部から一気に川に流れ込むのですから恐ろしいことです。
今から122年前の明治22年、奈良県十津川村に降る豪雨が二日間以上も止まず、山崩れや川の決壊がおこり156人が亡くなりました。
「皆で移住しよう」と決めた移転先が北海道・・・石狩川流域の肥沃な大地に広がる穀倉地帯です。
その地を新十津川と名づけ、故郷の十津川村を今も「母村」と呼んでいます。
この北海道空知地方の新十津川町は、今では北海道でも代表的な米どころとして知られています。
以上、地元新聞コラムの受け売りですが、京都・奈良地方にお住まいの方はご承知と思います。
北海道は、いろいろな地方からの移住者によって開拓され開けた土地ですので、こんな繋がりもあるのですね。
私の住む地は、その昔、富山県五箇山からの移住者によって開拓されました。 故郷五箇山の伝統を受け継ぐ獅子舞・こきりこ踊り・といちんさ節は、この地の秋祭りに伝わっていて、地元の神社境内で踊る獅子舞奉納も五箇山以来の伝統に基づいています。
子供の頃は、たかが獅子舞と思っていましたが、歴史を知るとなかなか興味深くなります。年輪を重ねたからかも知れませんが、今はこの獅子舞が大好きです。「京ぶり」という演目の横笛の音、軽やかで、これがすごくいいのです。こうして 私達は農業の合間に昔から伝わる地域の文化を楽しんでいます。
また、季節の便りを投稿しますので、皆様も是非、近況をお知らせください。       村山 恵美子(エッセイスト)

 


占いを学んだ動機です。

皆様、始めまして。
今回、開運道スクールで占いを勉強しようと思った動機について
投稿しました。
まず、その前に自己紹介を・・・私は開運道スクール3期生の小町と申します。
この小町の前にミス○○と地名を入れますと。いえ、冗談です。小町という名は、私が地域社会あてに出している広報紙向けのペンネームです。
とにかく、この占いの学習を始めてからは、今まで何 気なく過ごしてきた1日1日が、実に貴重で意味があり、季節や自然界に存在するあらゆる物が
関わり交わり、自分は生かされているのだと感じるようになりました。
12支にしても九星気学にしても、学べば学ぶほど視野が広くなる気がするのです。
さて、動機のことです。
本当のところ私は今まで占いというものにさほど興味を持っておりません
でした。
私は7年前に広告関係の仕事で起業をし、印刷物の制作や、WEB制作等をやっておりま す。
そして今年で、この世に生を受けてから半世紀が経ちました。
めでたく50を過ぎたの で、これからの人生違う方向にシフトチェンジしたいと思い、以前から興味のあった心 理カウンセラーの学校に8月から通い始めました。
『占い』を学び始めたのは、教養の 引き出しの一つとして、カウンセラーを目指すにあたり、ちょっとでも知っておくと何かの役に立つ・・・と、その程度に思って軽い気持ちで入ったのです。
しか し、両方同時機に学び始めたこともあり、どちらも学んでいてとても面白く、思っていた 以上に興味を引くものばかりです。私の九星は三碧木星で、今は北の場所にいますが、冷静に学んで努力して向上していくには最
適な場所だと思っております。
「あの心理カウンセラーは、運勢鑑定も出来るらしい」という看板を想定していたのが、いつの間にか、「あの占い師は、心理カウンセラーもしているらしい」と いう看板になるかもしれないと、思うこの頃です。今は友人に合うと誰かれなく「生年月日は?」で会話が弾みます。
皆さまとの交流も楽しみにしております。よろしくお願い致します。

 


占いを学んだ動機です。

私は昭和42年10月11日生まれの東山美香(仮名)、開運道スクール受講生の一員です。
受講生仲間の方に、私が占いを始めた動機と意気込みなどを聞いて頂きたく投稿しました。
今のところ同期の受講生44人中、最南端の鹿児島県在住です。
公務員で仕事は職業相談カウンセラーです。
このご時世ですksrs、日々沢山の方とお話しする機会があります。
結婚して15年、夫は昭和42年7月23日生まれです。
その夫が今から10年ほど前に、網膜色素変性症という視野狭窄の目の難病を発症し、ここ4年ほどから病気が進行して最悪の場合は視力を失う事態さえ考えねばなりません。
夫は苦しみ悩んだ末に、建設業の設計&現場監督を辞め、急遽、盲学校の理療科(鍼、灸、あんま養成科)に進学しました。なにしろ建築関係一筋だった夫ですから医学的なことは初めてです。
最初は戸惑っていましたが、徐々に東洋医学の奥の深さに楽しさを見いだしている様子です。
これで一時期真っ暗だった家庭の将来にも灯りが戻って一安心、私もホッとしました。
それにしても、悲観すべき状況にも絶望せず、前向きに独立開業を目指して必死に耐えた夫の頑張りには頭が下がります。そんな夫を見ていると、運命共同体の私も公務員という安住の地にしがみついてはいられません。自分もなにか新しいことにチャレンジしてみようと考えた矢先に、開運道スクールの講座を知り、一も二もなく参加した次第です。夫も占いが好きですし、花見先生と電話で挨拶して以来すっかり心酔して、私の占い師志望に大賛成です。しかも、私が学んだことを教えてほしいと言いますので、復習のつもりで学んだことを教えています。
近い将来、夫が治療院を開業する時には、私が占い師として集客と増収に協力する・・・そう考えると楽しみがいっぱいです。よろしければ、皆様のお考えなどもお聞かせください。


長女と三女は16歳違いです。

 光森望連さんの発言に触発されて私見を述べさせて頂きます。
 私も子供の年が離れていましたので、PTAでは複雑な思いをしました。
 私には3人の子供がいます。
三女は長女と16才も離れていますので、母親である私はかなりのトシです。
三女が保育園の年長になる時に引っ越しをしまして、子供も保育園を変わる事になりました、
子供が新しい友達を速く作れるようにと、一回り以上違うお母様方とできるだけ話しかけようとしたことを思い出します。
 やはり、お母さんがたが親しくしていると子供たちも友達になれると思ったからです。
保育園ですから、お母様方も働いておられるので、時間が限られていますが、運動会や、遠足等できるだけ若いお母様とはなしをするように努力しました
全部のお母様とはなしができた訳ではありませんが、子供はさみしい思いをしなくてもよかったようにおもいます。
 年長になる頃はもう子供たちも友達の和ができているときだったので、かわいそうな事をしましたが、今は、多くの友人に囲まれて、よい友人関係ができる子になっていると、安心しています。 
そんなことを、ふと思い出しました。   佐京直美

 (注)
  佐京直美さんは開運村のお世話人です。
  癒しの家の「佐京先生の健康相談」を担当されています。
  看護学校教員や医療現場の実務を通じての的確な助言が好評です。
  ぜひ、お立ち寄りください。     村長

 


交流をお待ちします。

 開運道の皆さま、こんにちは。
 このようなスクールの交流サロンの開設を望んでいたのは私だけでし
たか?  もっと皆さまの活発な発言を聞くことが出来ると思いましたが
拍子抜けしています。
 遠慮しているのか無関心なのか? もう一度、私が投稿しますねで、
是非、続いてください。どなたかが投稿したら、また私も参加します。
 先日、高校生の息子の保護者親睦会に出た時のことです。
 聴覚障害の息子さんを持つお母様と出会いました。
 しかも、長男と同じクラスのお母さまで、その息子さんが登校拒否気
味とのこと。ご両親ともに聴覚障害なので、その環境で育つと五感以外
の感覚も働かせるそうです。 耳からも余計な情報が入ってしまい、精
神的不調を超えて体調が悪くなるらしいのです。
 例えば、人ごみの中にいるとくらくらめまいがして、頭が真っ白になる
そうです。どうも、それがいやで学校に行かなくなっているらしいのです。
 そんなお話を聞いて、私は、自分も悩んだことのある過去の話などを
しました。
「偏見とは無知から始まる」、そんな話に自分の話をかぶせたわけです。
 そのことが、そこにいた多くの保護者や、先生方に何かしら訴えるも
のが伝わったようです。その中の六名の保護者の方からメルアドのを
交換を申し込まれました。
 帰宅後以来、その六人の方と、お互いにメールを交わしてお付き合
いをしています。私が理解されるということは、息子が理解されるとい
うことでもあります。
 そう考えると、この交流は本当に良かったと思っています。
 しかしながら、翌日の幼稚園の息子ほうでは、まだ人間関係がぎくし
ゃくしています。明らかに、若い保護者(若くて、ギャル系の)の一部の
方とはギャップがあるのです。
 それでも、それ以外の保護者の方とは楽しく談笑しながら、無事にP
TAの仕事ができました。それにしても、高校と幼稚園とではずいぶんと
人間関係の成熟さに差があるものと感心しました。
 今、幼い子に大きな夢を賭けて若い母親と、試練を乗り越えてきた若
者の保護者では、譲り合う気持にも雲泥の差がありそうです。
 多分、自分もそうであったと思うのですが、若い母親では自分のある
べきポジションを逐一冷静に見つめることが>まだまだ難しい、そんな
感じがしました。
 これからは、自分のカウンセラーとしての真価が問われる時が来ます。
 その日のためにも、さまざまな経験を重ねたい、と思っています。
 最近では口論なども含めて、争い事が全くなくなりました。
 今までは、嫌なことを避けてきた私の人生ですが、これからは堂々と体
当たり出来そうです。そんな殊勝な心がけの今日この頃の心境の変化に
自分で驚いています。なんだか、開運道スクールの気学と手相を学んで
認許を頂いただけで、スッキリ目が覚めた思いです。
 開運道の皆さまも、私と同じような経験をされているのですか? 
 是非、お聞かせください。皆様との交流を楽しみにしています。
         光森望連・新潟市在住 (入力代理・花見正樹)