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ひな祭り

  宗像 信子
 (開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 ひな祭り

今年もあっという間に2月が終わります。
明日から3月、三月といえばひな祭りですね。
我が家には娘が二人もいるので、子供たちが小さい頃はお雛様をかざったものでした。
でもここ数年我が家から、お雛様を飾るという習慣はすっかりなくなりました。
ちょっと寂しい気もしますが、出したり仕舞ったりの手間ひまが省けて助かってもいます。
今年は出そうと思っていた友人が先日地震で出すのをやめたと言っていました。
なぜなら彼女の友人が博多人形の立雛を飾っていたら、その地震で壊れてしまったそうです。
たまたま歌舞伎座の地下の商店街行ったら、綺麗にお雛様が飾ってありました。
ここは歌舞伎を見なくても入れるところです。
しかも東銀座駅から直結で行かれます。
和のものがたくさんあり結構楽しめます。
何年か前はデパートでもホテルのロビーでもお雛様の段飾りがあったものですが、この頃は見られませんね。
やっぱりそういうことにかける費用を削減しているのでしょうか!
早くこのコロナ禍の生活を終わりにしたいものです。

 


洗足池と御松庵

 

宗像 信子
 (開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 洗足池と御松庵

洗足池のほとりにある妙福寺は鎌倉時代に創建された御松庵という庵に由来するそうです。日蓮聖人が1282年(弘安5年)に身延山から体調を回復するために降りてきたときに、日蓮聖人が休息し足を洗ったのが洗足池だと伝えられている。
 御松庵には、その折、日蓮聖人が袈裟を掛けたとされる松があります。現在の松は三代目だそうです。
 その後、日蓮聖人は池上宗仲邸(い現在の池上本門寺)でお亡くなりになり、身延山に葬られています。

洗足池が借景になっていてとても趣きのあるお寺でした。
 洗足池にカップルで行き、ボートを漕ぐとそのカップルは別れるというジンクスがあるそうです。
また池の中に弁天様があります。女の神様ですのでお社も赤で華やかでした。
でも弁天様は焼きもちを焼くそうですから、カップルでお詣りするのはやめた方がいいみたいです。


勝海舟記念館

 

宗像 信子
 (開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

勝海舟記念館

バレンタインデーの昨日、女3人で洗足池にある大田区立勝海舟記念館に行ってきました。
お天気も良く、穏やかな散歩日和でしたから洗足池には結構多くの人達が散策にきていました。
でも結構大きな池のある公園でしたから密という感じではありませんでした。
青空の中の洗足池を見ながらまず勝海舟記念館にいきました。そこまでの歩道はとても整備されていて大田区がかなりの費用をかけて整備したことがよくわかりました。


もともとは清明文庫と呼ばれていて昭和3年に海舟関係の図書を公開することを目的として建てられた昭和初期の貴重な建物だそうです。
平成12年(2000年)に国の有形文化財に登録されました。
多分それに合わせて大田区が周辺を整備したのではないかと思います。
館内は海舟の歴史を展示しています。ビデオによる案内もたくさんあり楽しむことができました。
なんで洗足にこの記念館があるかというと、海舟が別荘として洗足軒を建てたからです。海舟はとても洗足の自然を愛して自分が死んだらここにお墓を建ててほしいと願ったそうです。
お隣に奥様のお墓がありますが、奥様は絶対海舟と同じお墓には入りたくないと常々言っていたそうですが、並んでお墓はありました。残された方々の思いからでしょうか?
墓所の入口に墓前水盤がありますが、今回はその水盤に関わる資料も展示されていました。
水盤の裏側にこの水盤に寄付した人達の名前が彫られていましたが、ところどころ欠けていましたが、幸い我が先祖の木村芥舟の名前は少し欠けながらも残っていました。資料の方には榎本武揚の名前も書かれていましたが見つかりませんでした。
海舟の命日が1月19日だったので、墓前にはお花が供えられていました。


一陽来復のお札の続き

  宗像 信子
 (開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

一陽来復のお札の続き

頂いた一陽来復のお札を今回は2月2日の夜中0時に巳午の方向に一陽来復の文字が向くように貼りました。
これで今年の金運を願うばかりです。
また恵方巻ですが、毎年買って思うのですが、太くてとても黙って食べるには苦痛でした。ですから今年は手作りにしました。
結構おいしくできましたし、黙々と食べることができました。
これで節分の行事はばっちりでした。
 今年は、江戸時代元禄年間から続いている行事を厳かにできて「余は満足じゃ」の気分です。


一陽来復のお札

  宗像 信子
 (開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 .一陽来復のお札
穴八万神社  一様来復札 に対する画像結果新宿区の早稲田にある穴八幡宮(あなはちまんぐう)という神社は、蟲封じのほか、商売繁盛や出世、開運に利益があるとされている。
また「一陽来復」のお札は金銀融通のお守りとも言われており、古来の吉例により冬至の日から翌年節分の日までの間、穴八幡宮社殿においてお頒け頂けます。
私も10数年前から友人に勧められて一陽来復のお札を頂きに行くようになりました。頒布の日から数日はすごい行列で寒い中並ぶのですが、大晦日に近づくにつれてそれほど並ばなくても入手できるようになります。

大晦日と元旦の間の午前零時にその年の吉方に向けてそのお札を貼ります。
またその時に貼ることができなかった場合は節分の日の午前零時に貼ります。
ですからお札は節分の日まで頒布し、その後は手に入れることはできません。
大晦日の夜中か節分の日の夜中に貼るのですが、一度翌日の朝に落ちていたことがあります。どうしようと思ったらそれはもう貼ってはダメで神棚にでも納めておいてくださいと説明書に書いてありました。
お札はなるべく家族が集まるお部屋に貼るといいそうです。
また一陽来復はお金が儲かるのではなく、お金が回るということだそうです。お商売をされている方には商売繁盛ということでとても人気があるお札です。
私は商売はしていないので、思わぬお金が回ってきたときにお札にお礼をして、感謝することで来年まで幸せであるようにお祈りいたしております。
ちょっと他力本願でしょうか!

 


城下町・古河散策

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宗像 信子
 (開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

城下町・古河散策

古河の町には「古河歴史博物館」「古河文学館」「作家 永井路子旧宅」などがあります。
静かな佇まいの城下町にとても似合う文化的施設があるので、散策には楽しめます。
歴史博物館に向かってぶらぶら歩いていたら、立派なお寺さんがありました。
日蓮宗の法興山妙光寺で大きな立派な木が門のそばにありました。


またお万の方ゆかりの寺だとか。水戸黄門さまの祖母です。
徳川家康の愛妾として有名な方ですよね。
寺のお宝としては葛飾北斎が晩年に描いた「七面大明神応現図」がある(東京国立博物館寄託)そうです。

歴史作家の永井路子の旧宅は女学生のころ過ごした母の実家で、古河文学館に彼女の作品が展示されています。
またこの文学館には鷹見泉石の孫鷹見久太郎が発行した児童文学史に大きな足跡を残した絵雑誌『コドモノクニ』の関連資料などを展示しています。
古河に来ると何かいろいろな知識が得られるようでうれしいです。

 


国宝 鷹見泉石像

 宗像 信子
(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

国宝 鷹見泉石像

緊急事態宣言が1月7日に発令されてから、ほとんどステイホームでした。
2021年の幕開けはまたコロナ・コロナ禍ですね。
何が不要不急になるのか自分自身に問いかけながら、昨日古河の歴史博物館に行きました。
只今、国宝の鷹見泉石像が国立博物館から故郷の古河に戻ってきているという事を知り、実物を見に行ってきました。
本来は鷹見泉石の玄孫にあたる鷹見下雄さんが講演をする

  • 渡辺 崋山 に対する画像結果

ということで行ったのですが、緊急事態宣言発令のため延期になっていました。
それは残念でしたが、国宝そのものを見たかったのでそちらの目的は果たしました。
とてもいいお天気で暖かく静かな古河の町を散策するには最高でした。
国立博物館なら入場料も高く(多分1800円くらい)今はネットで予約しなくてはならず大変ですが、古河歴史博物館(入館料400円)ではすんなり入れて、しかも密になるほどの入場者がいなかったのでゆっくり見学することができました。
その上写真も撮ることができてラッキーでした。(もしかしたらいけなかったのかもしれませんが、誰にも怒られませんでした)
やはり本物は素晴らしかったです。
渡辺崋山という人の最後は悲惨でしたが、これだけ素晴らしい人物画を残したことは彼の人生を輝かしたと思います。
この鷹見泉石像のほかにも古河藩主の所有していた文化財が展示されていました。
2月7日まで展示していますので、ご興味のある方はぶらっといらしてみませんか?


新年あけましておめでとうございます!

 

宗像 信子
(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

  • フリー 門松 に対する画像結果

新年あけましておめでとうございます!

昨年は自粛生活でなんとなく終わってしまいました。
なんとなく近郊をぶらつくだけの1年になってしまいました。

  • フリー 丑 に対する画像結果

コロナ禍が今後どうなるかは全く見当もつきませんが、昨年よりは少しでも良い方向へ向かうことを祈るばかりです。
今朝は初日の出を見逃してしまいました。
この頃は朝のラジオ体操を終了するころに日の出がよくみえます。
でも反対の玄関に行ったら富士山がよく見えました。

この季節は富士山が日中でも夕陽の中でもよく見えます。
埼玉の浦和からこんなに富士山が綺麗にみえるものとは夢にも思っておりませんでしたが、実際にマンションの14階に住むようになったらよく見えて、日本人としてうれしい限りです。
スカイツリーも東のベランダから頭の先っぽがみえます。
これは写真に撮っても全然絵になりませんので、暮れに木場公園からみたスカイツリーをご紹介いたします。
橋の欄干の間に見えるのってとても面白かったので撮ってみました。
今年もどうぞお付き合い下さいませ。

 

 


 

宗像 信子
(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

詩人「立原道造」

数年前、鎌倉に住んでいる幼馴染から別所沼って知っている?と聞かれたことがありました。そしてその中に「ヒヤシンスハウスという面白い建物があるので見に行って」と言われて早速見学に行ったことがありました。
それから何年振りかにヒヤシンスハウスをまた訪ねてみました。
今回はちょっとこの詩人に興味をもちましたので、詩集を買って読んでみました。
この詩人立原 道造(たちはら みちぞう)は1914年(大正3年)7月30日 年に生まれ、 1939年(昭和14年)3月29日に、24歳で急逝した詩人です。
また建築家としても足跡を残している詩人です。学歴は東京帝国大学工学部建築学科卒業している。東大在学中から卒業までに辰野賞を3年連続受賞という輝かしい才能を持っていた若者でした。
多分将来を担う建築家としても期待されていたんだと思います。
詩は旧制一高時代から堀辰雄に兄事し、大学入学後は堀辰雄の主宰する「四季」の編集同人になっていたそうです。そして中原中也賞を受賞しています。
文学的才能にも恵まれていたんですね。
立原は、軽井沢を愛し、建築とともに詩にもその文学的才能が期待されていましたが、澄んだ魂のまま「五月の風を ゼリーにして持ってきてください」の言葉を残して二十四歳という若さでこの世を去ったそうです。
なんて素敵な言葉でしょう!
1997年には東京大学弥生門前に「立原道造記念館」が、2004年には、さいたま市別所沼公園に、立原の設計した「ヒアシンスハウス」が建設され、彼の夢の一つが実現しています。

1934年(昭 9)東京帝国大学工学部建築学科入学、この夏、初めて軽井沢を訪問、以後、毎夏信濃追分や北軽井沢に滞在。
1937年(昭12)、詩集『萱草に寄す』『暁と夕の詩』を出版。
1939年(昭14)、2月第1回中原中也賞を受賞するも、同年3月24歳という若さで逝去。
2003年(平15)、詩集『立原道造』ハルキ文庫から出版されている。

その中から気に入った詩を抜粋してみます。

春が来たなら

春がきたなら 花が咲いたら
木のかげに小さな椅子に腰かけて
ずっと遠くを見てくらさう
そしてとしよりになるだろう
僕は何もかもわかったやうに
灰の色をした靄のしめりの向こうの方に
小さなやさしい笑顔を送らう
僕は余計な歌はもう歌はない
手をのばしたらそつと花に触れるだらう

春がきたなら ひとりだつたら

 


詩人の夢の別荘を実現! 別所沼公園「ヒアシンスハウス」

 宗像 信子
(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

詩人の夢の別荘を実現!
別所沼公園「ヒアシンスハウス」

浦和と西浦和の中間に、ランナーや釣り人、子連れファミリーや愛犬家など、世代を問わずみんなから愛されている別所沼公園があります。
敷地の約半分を占める別所沼を中心に、メタセコイヤの巨木が立ち並ぶ緑溢れる癒しスポットです。春は桜もきれいです。
今日はもう冬景色でした。
そんな別所沼公園の西側にあるのが「別荘 ヒアシンスハウス」です。
階段を三段上がり、玄関の取っ手を押すと、目の前に明るい日差しの降り注ぐ大きな窓がパッと飛び込んできます。
窓の向こうに広がるのは別所沼です。
左側に目を移すと書斎スペース、そして西側奥には小さなベッドとその上に小さな出窓があります。
室内は、すっきりとして無駄がなく、キッチンすらないので、住居というよりはちょっとした秘密基地みたいです。
ここは若き青年・詩人であり、建築家であった、「立原道造」が自分で自分のためだけの週末用住宅として設計した建物でした。
建築家であり詩人でもあった彼は、23歳の若さでこの世を去ったため、このヒアシンスハウス(風信子荘)と名付けられた別荘は構想のままで終わっていました。
本来なら幻で終わるはずだったヒアシンスハウスは、時を経て、彼や彼の作品を愛する地元の建築家や文芸家などの呼びかけにより引継がれ、2004年ついに完成したそうです。
ヒアシンスハウス内は、立原道造やヒアシンスハウスに関する資料が展示されていて、建築や文芸に触れることのできるちょっぴりアカデミックな雰囲気です。
訪れた人たちが自由に感想を残せるノートをめくると、遠くから訪れたご年配のファンの書き込みや、子どもの「カワイイおうちだね」という絵や感想がありました。
部屋をじっくり見てみると、彼の夢やこだわりがあちらこちらに散りばめられたモダンな作りです。
継承事業を行った方々は立原道造の残した手紙やスケッチをもとに議論を重ねて作図したそうです。
ヒアシンスハウスは小さいけれど、立原道造の夢とそれを支える人々の思いが詰まった、すがすがしく温かく、そしていつまでもたたずんでいたくなるような、そんなステキな場所です。
ボランティアのガイドの方々が皆さまのお越しをお待ちいたしております。
開館日 水曜・土曜・日曜