冬霞
浅嶋 肇
暮れ色を溶かし大利根冬霞
山茱萸(ぐみ)の実の揺るるともなく揺るる
黄落の中にひと木の落葉かな
柚子は黄に母は卒寿となりにけり
でこぼこの柚子を??(も)ぎりて齧(かじ)りもす
発つ鳥の羽音のかすか冬霞
連山の尾根くっきりと寒夕焼
藤圭子・「別れの旅」の道行考
相原智記
藤圭子の「別れの旅」がどんな旅なのかと思い、聴いてみた。
演歌が大好きとか、彼女のファンとかではない。だが、聴いてみて好きになり名曲のひとつに数えている。
恋に破れた女がひとり旅に出るのかと思いきや、捨てる男と捨てられる女が一緒に旅をする、いわゆる当世の道行だ。
歌舞伎・浄瑠璃・舞踊に「道行物」というジャンルがある。道行とは出発地から目的地までの道程を描写するもので、道行や関係は様々だ。仮名手本忠臣蔵に挿入される清本「道行旅路の花聟」のお軽と勘平は恋人同士、同作品の「道行旅路の嫁入り」の戸名瀬と小浪は母娘関係だ。近松物では、人生に絶望した相愛の男女二人が愛ゆえに死に場所を求めてさ迷う、儚い死の道行がある。「曽根崎心中」のお初と徳兵衛、「心中天の綱島」の治兵衛と遊女小春、「恋飛脚大和往来―新口村」の梅川と忠兵衛は知られている。
藤圭子の「別れの旅」をこの道行に重ねたが、近松物とは愛の重さが違う。
「別れに向かって一緒の旅は嫌だな」
抵抗感を持ちながら何度も聴いた。四番までのシンプルな四行詞に、現代的道行がよく表現されている。メロディも良い。ベートーベンの葬送行進曲のような重さと暗さと哀愁が漂い、藤圭子の影のある声にぴったりだ。
阿久悠作詞、猪俣公章作曲である。
歌謡詞は枝葉末節に拘ると物語の良さが半減するので、理論性や倫理性を問うことはタブーかも知れない。聴く者はそのようなことを重々承知の上で感情移入をする。
私は敢えて感情移入を排除し、「別れの旅」の道行を傍観してみようと思う。
一番目:
「夜空は暗く 心も暗く
さびしい手と手 重ねて汽車に乗る
北は晴れかしら それとも雨か……
愛の終わりの 旅に出る二人」
東京の夜は不夜城。煌びやかで、夜空も素敵に見える時がある。だが、今の“夜空は私の心のように暗い”。「夜空は暗く 心も暗く」に悲しみが投影されている。この行を、“暗い夜空のように私の心も暗い”と解釈すると、ありきたりになる。暗い心・暗い夜空・夜汽車・重ねるさびしい手と手・北という表現は、哀切を代弁する常套的な言葉だ。だが、作詞者はこの暗さの叙景と抒情を一体化させ、演歌的効果を上げている。「昼」、「青空」、「新幹線」、そして「南」では駄目なのだ。
「北は晴れかしら それとも雨か……」と、女はどうでもいいことを思う。それは先が見えない闇の中に、男の心中を読もうとする哀切感である。
二番目:
「指さすあなた 見つめる私
流れる町は きえてゆく思い出
何か話してよ 話して欲しい……
愛のくらしが やがて終わるのに」
夜汽車は無機質に走る。二人は向かい合っているのだろうか。窓の向こうを「指さすあなた 見つめる私」、それは「消えてゆく思い出」にも似た、男と女の空虚な会話である。
そこに遣る瀬無さが十分表現されているのに、作詞者は「何か話してよ 話して欲しい」と更なる会話を求めさせる。ここは不自然だ。
時として無言は多くを語る。愛があれば悲
しみは一層深く、別れに向かい言葉など出る筈はない。車内を見てみよう。夜行列車の場合、多くの客は眠る努力をする。ひそひそ話は耳障りであり、目障りでもある。三番で「夜明けの駅のホームに立つ二人」とあり、到着は夜明けだ。青森と想定し逆算すると、(昔は)急行や特急で上野から8時間以上かかる。6時頃の到着だと、上野から夜の10時前後の汽車と思われる。その時間帯の乗客はほとんど無口であり、会話はない。別れる二人なら尚のことだ。
三番目:
「冷たい風に 小雨がまじる
夜明けの駅の ホームに立つ二人
今も愛してる 愛ある別れ……
そんな旅路も すぐに終わるのね」
別れ、北の駅、夜明けのホーム、冷たい風、小雨、疎らな人。すべて愛の終わりの象徴だ。
季節はおそらく秋の終わりか。「冷たい風に 小雨がまじる」光景は荒涼とし、「今も愛してる 愛ある別れ……」が聴く者を寂寞とさせる。二人は別れの改札に向かう。
四番目:
「終着駅の 改札抜けて
それから後は 他人になると云う
二年ありがとう 幸せでした……
後ろ見ないで 生きて行くでしょう
生きて行くでしょう」
「二年ありがとう 幸せでした」それは女
の未練心である。「君も元気で……」と男は言うのだろうか。女は「後みないで 生きて行くでしょう」と言う。作詞者は「生きて行くでしょう」を繰り返すことで女の健気さを表現し、聴く者の共感を呼ぼうとする。哀切極まりない場面は動画的でもある。
―私考―
徹頭徹尾、登場人物の描写はない。人妻、妻帯者、それとも独身なのか。それでも聴く者は違和感を持つことなく、それなりに物語を展開させる。
「別れの旅」は残酷だ。この旅にどんな意味があるのだろう。男が同行するのは最後の労わりなのか、それとも、これまでの生き方にけじめをつけるためなのか。「別れの旅」をする男の覚悟、強さ、冷たさが読み取れる。
一方、女は「愛ある別れ」と信ずる。そこに女の身勝手な思い込みがある。愛を捨て切れないまま男と旅をする弱さと従順さ、受け身の諦念は、女の「卑屈な未練」でしかない。
「二年ありがとう 幸せでした…… 後見ないで 生きて行くでしょう 生きてゆくでしょう」は、未練心を引き摺り、「後=過去」を支えに生きることの裏返しでしかない。
お初と徳兵衛は一途な愛ゆえに、梅川と忠兵衛は愛ゆえに手を付けてはならない金に手を付け、小春と治兵衛は道ならぬ恋に走り、愛を貫こうと死に向かう。破局に向かう二人の純愛に、異論を唱える者はいない。
「別れの旅」の二人の関係も世間に胸を張って生きられる間柄ではない。許されない屈折した愛だろう。建設的な愛の姿勢も、添い遂げようとする積極性もない。愛が薄いのだ。
耽美な背徳感や罪悪感だけが伴う関係に世間は冷たい。だが、聴く者は背徳感や罪悪感があるからこそ退廃美に陶酔する。それは、燃える愛への憧憬なのかも知れない。
作詞者は、改札を抜けると同時に二人の道行に終止符を打たせ、新たな人生を聴く者に連想させる。
藤圭子は群を抜いて歌が上手と評される。才能で富と名声を得たが幸せのちからは得なかった。ひとの心の深層を知ることは容易
ではない。芸能界という特殊な世界で大歌手の精神が壊れていったのなら残念である。
私は昔、作詞の世界に足を踏み入れ、レコード化の話もあったが途中で捨てた。自分には才能がないと判断したのだが、芸能界の浮き沈みの激しさに不安を覚え、別の生き方を選択した。それは正しい選択だった。
大歌手はずっとひとり道行を華やかなデビュー曲の舞台である新宿に選び、劇的に「別れの旅」の幕を閉じるために最後の力を振り絞った……。
冬深む
藤井 美晴
草枯るる九重岐(くじゅうわかれ)を風が過ぐ
枯葉踏む音や瀬音にまぎれつつ
唐戸から壇ノ浦まで冬夕焼
電線にからまれている冬入日
漣(さざなみ)や彼岸の冬灯彼岸まで
枕辺の「静かなるドン」冬深む
海に向く門前うるめ鰯干す
昨夜(さや)よりの風ゆるみけり初明かり
山門に磯の香りのあり実千両(みせんりょう)
晴れ渡る相模の海や寒椿
271129
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包丁研ぎ
松村 光徳
落ち葉炊く煙りを髙く八ヶ岳
秋の雲秋の蓼科這いゆけり
残り柿ひとつひとつの朝日かな
散歩道木の葉相寄るところあり
背を風に包丁戸研ぎの師走かな
救急のサイレン遠く冬木立
煙突にクレーン登る師走かな
闇降りてしろわびすけの息ぢけり
夜目しるく山茶花の紅地を飾る
八方に冬芽かかぐる桜かな