楢崎屋敷物語  安司弘子


このコーナーは安司弘子講師(左)と宗像信子講師(右)が担当します。

皆様、明けましておめでとうございます。
安司弘子です。

昨年4月から訥々と書かせていただいている、〝白河アピール〟の拙文。
今年もお付き合いいただけますよう宜しくお願い申し上げます。

内戦で対立した幕末期。立場によって「明治維新と戊辰戦争」と呼び名が違いますが、あれから150年が経った節目の今年は各地でそれぞれの冠を付けた記念行事が進行しています。
そこで、新年の第1稿は、白河特化ではなく・・・
薩長の遺恨の歴史を乗り越えて建立された、「恩愛の碑」のきっかけになった口伝とその経緯をを紹介します。

楢崎屋敷物語(高見フサ口伝)~白虎隊士と長州藩士の秘話~

安司 弘子

◇◆◇小雪の今にも舞いそうなある日、楢崎の殿様が戦争が終わって戻って来られるということで、小杉中の者たちが総出で集落の一か所に集まって出迎えたげな。
しばらくすると、遥かふもとの嘉木峠(かぎだお)の方から、軍服に身を包み馬に乗った殿さまとその一行の姿が見えてきた。
だんだんと近づいてくる一行をよく見ると、殿さまの馬の轡を持っている者は、村人たちが初めて見る少年じゃったげな。
後で分かったことじゃが、その少年は会津の白虎隊士で、飯盛山で仲間と一緒に自刃したが、知り合いの者に助けられて、ただ一人生き残った『貞さあ』という名の少年じゃった。
その日の夜は殿さまの凱旋のお祝いということで、殿さまのお屋敷に村の者たちが集まって、飲めや歌えの酒盛りになった。宴が進む中で、末席に座っていた「貞さあ」に、一人の村人が話しかけた。「お前、生きちょってよかったなあ。まあ、一杯飲め」この言葉を聞いた「貞さあ」は、さっと顔色を変え、土間に飛び降り、今にも自害しようとする気色じゃったそうな。
ただ事ではない様子に駆け寄った楢崎の殿様は、「貞さあ」を別室に呼び、次のように諭されたそうじゃ。《「貞」、よう聞けよ。お前も知っちょると思うが、今我が国の周りにゃ黒船がうじょうじょしており、この国を領土にせんと、虎視眈々とねろうちょるでよ。会津・長州ちゅうて、日本人同士がいつまでも喧嘩をしちょる時じぁないでよ。今からは皆が心を一つにして、この日本を豊かで強い国にせんにゃあいけんのじゃ。そして、その中心はお前たち日本の若者じゃ。命を粗末にしてはいかん。ええか「貞」、しっかり勉強せい!そして、日本の役に立つ人間になれ!お前の学費はわしが出す。「貞」安心して勉強せえよ!・・・・》
殿さまの話をじっと聞いていた「貞さあ」は次の日から殿さまの書斎を借りて、生まれ変わったように勉強に励んだそうじゃ。
(文責:高見フサ子孫・白虎隊の会下関支部長 吉井克也)◇◆◇

つづく