懐かしいトルコ旅行の想い出-2
( 宗像善樹(むなかたよしき)
(元家庭裁判所調停委員、 古代史研究者、作家)
トルコには、他にも一見の価値がある建物、遺産がたくさんあります。アンカラのアナトリア文明博物館、サフランボルの世界遺産、カッパドキアの大規模な洞窟民家、イスラム教徒の迫害から逃れるために約一万五千人のキリスト教徒が隠れ住んだという、カイマルクにある地下八階の地下都市、世界遺産のギョレメ野外博物館、古都コンヤ、メブラール博物館、バムッカレのヒエラポリス遺跡と石灰棚、エフェソスの考古学博物館、トロイの遺跡、ここはホメロスの叙事詩イーリアスに書かれた「トロイ戦争」の舞台として有名で、大きな木馬が伝説さながらに私たち観光客を見おろしていました。
以上、私は、トルコ周遊旅行を通じて、見たまま、感じたままの感想を書きましたが、一番書き記しておきたいことは、イスタンブールの街で行き会った子供や学生さんとの交流についてのことです。
それは、私たちにとってまったく予想外のことであり、また、非常に感動的で、心温まる出来事でした。
まず、私たちがとても新鮮に感じたことは、観光地で観光バスから下りたとき、観光客にまとわりつく地元の子供たちの姿がまったくなく、非常に清々しい気持ちになれたことです。他の国で、バスを下りた観光客が往々にして味わう、子供たちにまとわりつかれ、物乞いや土産品の押し売りめいたことが全然なかったのです。
現地ガイドさんの説明によると、「トルコの初等教育は、六歳から十四歳の児童生徒に対して八年間行われており、学校は基本的に国立で、授業料や教科書などの教育費は無償で行われている」ということでした。私たちは、「なるほど。このような手厚い教育システムであれば、観光客に物乞いをするようなことはしないだろう」と思いました。
日本を出発する前、トルコの人びとは親日家が多いと聞きました。
そうなった契機は、今から131年前の1889年(明治22年)に、トルコから607名の使節団が来日し、明治天皇に拝謁して帰国するときに起きた海難事故にあるということでした。
帰国する使節団が乗った軍艦エルトゥルル号(2400トン)が、和歌山県串本町大島沖で大型の台風に遭遇して沈没、多くの乗組員が亡くなりました。そのとき、串本町民が激しい暴風雨の中わが身の危険をかえりみず懸命の救助活動を行い、奇跡的に69名の乗組員の命を救い、親身に世話をし、明治政府が速やかに二隻の軍艦に乗せてイスタンブールへ送りとどけたのです。
トルコ国民は、日本人がトルコ人のために命を懸けて尽くしてくれた行いに国を挙げて感謝、感激したということです。この歴史的出来事がトルコ人の心情に強い影響を与え、人びとの間で語り継がれ、今でも義理堅く日本人へ感謝し、親日的な思いが強いのです。
実際、私たちは旅行中に小学生のグループに何度も囲まれて写真を撮られたり、手をつないで歩いたりしました。
あるときは、イスタンブール中央のゲジ公園で、高校生数人のグループから、「一緒に肩を組んで写真を撮らせて欲しい」と声をかけられました。即座にOKすると、彼らは一人ずつ交替で、私たち夫婦の間に立ち、私たちの肩を両手で力強く抱いて、嬉しそうな顔で、交互に写真に収まっていました。私は、彼らが手に込める強い力から、トルコの人たちが日本人に抱いている信頼と友情を肌で感じました。彼らは皆で、私たちの重い荷物を持ってくれました。彼らに荷物を託すとき、私たちに全く不安な気持ちは生じませんでした。
現地に長く住む友人にこの話をしたところ、「トルコの人たちにとって、日本人と一緒に写っている写真は大切なものであり、友だちの間で自慢できる一級品なのだ。荷物を託されることは、日本人に信頼されている証で、嬉しいことなのだ」という説明でした。
以前、そのゲジ公園の存続をめぐって、転用を計画する政府側と公園の存続を願う市民との間で激しい対立が生じました。
一時は沈静化したようですが、多くの心優しい人たちが住んでいるトルコの国が政情不安になり、国民の心が病むことになるのではないか、とても心配でした。
私は、出来ることなら、2020年の五輪開催がイスタンブールに実現し、五輪の成功に向かって、トルコの人たちの気持ちがひとつにまとまることを願っておりました。
それは、私たち日本人が、1963年の第18回東京オリンピック大会の成功や、1970年の大阪万国博覧会の成功に向けて、国民が一致団結し、心をひとつにしたときのように。
残念ながら、イスタンブールは五輪を招致できませんでした。
私たち日本人は、今後も、トルコとの未来志向の友好関係をめざして、トルコの人たちに深く敬意を払い、親しい交流が続けられるよう最大限の努力を重ねるべきだと思います。
以上
著作
咸臨丸の絆、三菱重工爆破事件、
マリちゃん雲にのる、など多数あり。