慶応義塾発祥の地

 このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

慶応義塾発祥の地

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

開運道花見サロンのある築地界隈は、歴史的に見てたくさんの遺構遺跡がある地です。花見サロンに行くたびにここを歴史的人物がどれほど歩いたのかと思うと胸がドキドキします。
サロンから築地本願寺の左後ろに見える、聖路加国際病院のすぐそばに慶応義塾発祥の地を刻んだ碑があります。
写真のような碑と説明文の掲示があり、その横には説明の碑があります。
写真ではよくわからないのですが、碑文には、『慶應義塾の起源は1858年福沢諭吉が中津藩奥平家の中屋敷に開いた蘭学の家塾に由 来する。その場所はこれより北東聖路加国際病院の構内に当たる。この地はまた1771年中津藩の医師前野良沢などがオランダ解剖書を初めて読んだ由緒あるところで日本近代文化発祥の地として記念すべき場所である。』
とあります。 なるほど、そうだったのかと納得しました。
この地のそばに桂川甫周の屋敷跡があり、その甫周の家が蘭学のサロンでした。
江戸に出てきた福沢諭吉先生が蘭学を学ぶためにこのサロンに入り浸っていたことは有名です。
そのことは甫周の娘、今泉みねが回想した「名ごりの夢」(平凡社発行東洋文庫)という本があり、その中の「福沢先生のお背中」という文章で面白く語られています。
これからは道のあちこちに建っている歴史的説明の碑があったら気を付けてみるようにしようと思います。
なお、桂川甫周に嫁いだのが私の親族、我が祖と福沢諭吉は咸臨丸絡みの身内同様の仲、不思議なご縁を感じながらも親しみを感じる探訪記でした。