明治村紀行


宗像 信子

(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 明治村紀行

名古屋・蒲郡・豊橋に行ってきました。
まだ緊急事態宣言が解除されていませんが、個人的な都合で娘と2泊3日の東海地方への旅行に行ってきました。
まず新幹線で名古屋に行きホテルに荷物を預けて前から行きたかった明治村へと出発しました。名古屋市内からはかなり遠かったです。
地下鉄とバスを乗り継いで1時間半くらいかかりたどり着きました。
明治村は、愛知県犬山市にある野外博物館、また明治時代をコンセプトとしたテーマパーク。 明治時代の建造物等を移築して公開し、また明治時代の歴史的資料をも収集し、社会文化の向上に寄与することを目的とする。通称「明治村」。管理運営は公益財団法人明治村。
と説明がHPに載っていました。
なにしろとても広大な敷地に沢山の展示物があるので、とても一日で全部を見学することはできません。。とりあえず一番見に行きたかった帝国ホテルに向かおうと思いました。
しかし一番北というか正門から一番遠いところにあったので、道々いろんな建造物を見学しながら歩きました。
東側には入鹿池がありとても風光明媚で散策も楽しめました。
見学した建造物を全部ご紹介することはとてもできません。
まず一番のお目当ての帝国ホテルの正面玄関です。
20世紀建築界の巨匠、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計され、大正12年(1923)4年間の大工事の後に完成した帝国ホテルの中央玄関部の移築です。

メインロビー中央には三階までの吹き抜きで、中央玄関内の全ての空間は、この吹き抜きの廻りにいろんなお部屋がありました。内部に細かな説明のVTRが放映されています。
しかしほんの玄関部分だけなのに圧巻で満足しました。
帝国ホテルまでの途中にシアトル日系福音協会が移築されていました。
日本からアメリカ本土への移民は、戊辰戦争に敗れた会津若松藩士数十名が明治2年(1869)カリフォルニア州に入植、若松コロニーを開いたことに始まると言われています。この試みは失敗に終わるそうですが、日米間の労働力の需要・供給の関係で、日系移民は明治中期からその数を増し、明治29年(1896)シアトル航路が開かれたこともあり、明治末から大正期にかけて最盛期を迎えたそうです。
この建物は1907年(明治40)頃建てられたものです。
最初はアメリカ人の住まいであったが、1930年代(昭和5~14)に日系移民の所有となった。アメリカに渡ってから長い苦難の年月を経て手に入れた一軒の家であったが、第二次世界大戦時、強制収容により家を追われた。戦後は日系一世のための福音教会として使われてきたが、一世の高齢化と減少という時の流れの中でその役目を終え、明治村に移築された。
と説明されています。
入鹿池に面してとてもかわいらしく建っていたので、目にとまりました。
明治時代のアメリカ移民の方々の壮絶な生活が中に展示されていました。
他にもたくさん見学したのですが、とても一度にはご紹介できません。
今回はこの二つにさせていただきました。

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 元家事調停委員、面会支援員、開運道顧問 
 宗像信子の
「家庭問題よろず相談室(秘密厳守)」
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ドアーが開いたらエレベーターで13階奥の本願寺側・「開運道サロン」へ。
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