月別アーカイブ: 2019年12月

会津探訪記-1

会津探訪記-1

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

12月上旬に長年の夢だった会津若松にいきました。
大宮から新幹線に乗って郡山に行き、そこから磐越縁に乗り換えて会津若松までいきました。
途中、猪苗代湖の付近で雪が降ってきて、どうも前日も降ったようで白銀の世界でした。
これでは会津も雪が降って寒いのではと心配しましたが、会津に雪はありませんでした。
ホッとして駅前からタクシーに乗り込み、まず日新館を目指しました。
タクシーの運転手さんは女性で、立て板に水のように会津の歴史を含めてガイドをしてくれました。
なんという素晴らしいタクシーに乗ったものだと感激しました。

會津藩校日新館は1803年に建設された藩校です。
現在は場所も移動して、かなり会津若松のはずれに広大な敷地に復元されていました。
江戸時代に人材育成を目的に享和3年に建てられたのですが、全国の藩校300校の中でも規模、内容ともに有数と謳われ、「白虎隊」隊員をはじめとして多くの優秀な人材を輩出したそうです。
有名な「ならぬことはならぬ」という會津魂を育んだこの学問の殿堂は、失われてしまった日本の武士道の根源だと言われています。

1. 年長者(としうえのひと)にはお辞儀をしなければなりませぬ
1. 嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
1. 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
1. 弱い者をいぢめてはなりませぬ
-ならぬことはならぬものです-
いいですね!
きっぱりしていて、現代の日本にぜひ普及していってほしいです。


師走名物「秩父の夜祭り」-2 宗像 信子

師走名物「秩父の夜祭り」-2

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

翌朝、起きると窓の下は素晴らしい雲海でした。この頃秩父盆地では雲海が発生するというニュースは知っていましたが、まさかこのホテルからも見られるなんて思ってもいなかったので、感激でした。これは露天風呂に入って見るのも面白い体験かと思い、朝風呂と洒落こみました。

これがまた素晴らしい景色で、時間がたつと徐々に太陽が上がってくる方向から雲海が解けていき、雲海の中に秩父の町が浮かびあがってきました。

夜祭りだけではなく、こんな素晴らしい自然現象を見ることができた幸運に感謝しました。

冥途の土産が一つ増えたと嬉しくなりました。

次はたっぷりと地場野菜を使用した朝食を、もうこれ以上食べられないと思うほど頂き、大祭に向けて出発しました。

まず秩父神社に向かいました。秩父神社に納められている本町屋台がもう引き出されていて屋台の中でかわいいお嬢さんが日本舞踊をお披露目していました。

二人お嬢さんが乗っていて、曳かれている間もきちんと正座していたのには感心いたしました。

屋台は長い長い麻で編まれた二本の縄で曳かれていきます。

この二本の縄の間は神様がお歩きになる場所なので、その縄をまたがったり横切ったりしてはいけない神聖な場所だそうです。

秩父夜祭は、御田植祭で秩父市中町の秩父今宮神社の境内にある武甲山から湧き出た水(水幣)を、その年の収穫を祝うと同時に武甲山に還す祭とも伝えられています。

でも、最も知れ渡っている有名な伝説は武甲山の男神(蛇神・蔵王権現)と秩父神社の女神(妙見菩薩)が年に一度の逢瀬を楽しむというものである。男神には正妻がいて、神幸路の途中にある番場町諏訪神社八坂刀売命であるとされる。2日に行われる「番場町諏訪渡り」は、年に1度の逢瀬を楽しむ許可を求める祭礼だといわれているそうです。また、御神幸祭のときには諏訪神社の前を通過する際、各町会の山車は正妻の女神を怒らせないように例外的に屋台囃子の演奏を止め数メートルすすむそうです。この風習も諏訪渡りと呼ばれています。
という言い伝えがあり、今日は不倫をしますよと正妻にお断りするという意味になりますよね。
昔から現在まで神様も人間もいろいろありますね。


師走名物「秩父の夜祭り」-1

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

私の実家のお墓が何の関係もない秩父にあります。
50年近く毎年数回秩父に行っていますが、一度も夜祭りに行ったことがありませんでした。
娘にそんな話をしたら、さっそくホテルを予約してくれたので行けることになりました。池袋発のレッドアロー号も予約し、12月2日にいざ出発です。
でもなんだかあまり混んでいなくて、少々不安になりました。
確かに今日は宵宮であることを確認しての出発でした。
秩父夜祭りとはネットで調べると下記のように載っていました。

秩父夜祭(ちちぶよまつり)は、ユネスコ無形文化遺産に登録されている埼玉県秩父市にある秩父神社の例祭であり、毎年12月1日から6日に行われる。12月2日が宵宮、12月3日が大祭であり、提灯で飾り付けられた山車(笠鉾・屋台)の曳き回しや、冬の花火大会で全国的に知られている。祭りは寛文年間から続くとされ、300年以上の歴史がある。日本屈指の極めて豪華な祭りであり、一連の行事が国の重要無形民俗文化財に指定されている。
大祭の12月3日の午後6時半頃に、秩父神社から1キロメートルほど離れた御旅所に向けて御神幸行列が出発し、6台の笠鉾・屋台がそれに続く。御旅所下の急坂、団子坂を最大20トンの笠鉾・屋台が多くの曳き手によって曳き上げられる頃に祭りは最高潮を迎える。
秩父夜祭は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大美祭及び日本三大曳山祭の一つに数えられる。
秩父夜祭の笠鉾・屋台は、釘を一本も使わずに組み立てられる。金色の飾り具や極彩色の彫刻、後幕の金糸の刺繍で装飾された笠鉾・屋台は「動く陽明門」といわれるほど豪華絢爛で、国の重要有形民俗文化財に指定されている。

同一の祭礼について国の重要有形民俗文化財および重要無形民俗文化財の両方に指定されているものは日本全国に5例しかなく、秩父夜祭はそのうちの一つであり、歴史的・文化的に非常に価値の高い祭りである。
2016年12月1日、エチオピアで開かれたユネスコの政府間委員会で、日本の「山・鉾・屋台行事」(18府県の計33件)のユネスコ無形文化遺産への登録が決定した。これにより、「秩父祭の屋台行事と神楽」がユネスコ無形文化遺産へ正式に登録された。

これは期待できるお祭りです。
秩父に着くと駅前には多くの出店が出ていてお祭りらしい雰囲気でした
まず秩父神社にお参りにいきました。途中雨が結構ひどく降ってきたのでまだ誰も入っていないテント張りの食堂に入りビールで乾杯しました。
しばらく飲んでいると幸いにも雨が止みましたので、神社に向かいました。
入口に燃えるような黄色のご神木がありました。
その奥に威厳のある神社がありました。
今年の秋に三峯神社と秩父神社にいきましたが、その時も雨上がりの秩父神社でした。すでにお祭りの準備が完了していて、人混みはあるのですが、深々とした雰囲気でした。
これからの宵宮、明日の大祭が期待されます。

<続く>


代々木公園の昼と夜

代々木公園の昼と夜

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

今年最後のN響のコンサートに行ってきました。
代々木公園の中のNHKホールがあります。
行くときは渋谷から歩いて向いましたが、かなり紅葉していました。
あまりきれいな紅葉ではありませんでしたが、それなりでした。
コンサートは3時から5時で、癒された時間でした。
コンサートを終えて5時にホールから出たら、ものすごいイルミネーションで世の中がブルーになっていました。
ものすごい人込みでびっくりでした。
大きな鐘が飾られていて、その鐘をつく人たちが列を作っていました。
あまりにも人がたくさんだったので、早々に今度は原宿に向かって歩き出しました。
国立代々木競技場の脇を歩いて行ったら、ここも何かのイベントがあったようで、警察車両、自衛隊の車、その会場から出て来た人でまたまたすごい人込みで大変でした。
これから様々な場所でクリスマスイルミネーションがみられるから楽しみです。
皆様はどこがお気に入りですか?