月別アーカイブ: 2019年4月

ポルトガルから北スペインへ-9

このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

ポルトガルから北スペインへ-9

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 私達の旅行記も次回が最終となります。
私がポルトガルを旅行先に選んだ理由は、ポルトガル人が最初に日本に来て、日本に海外の風を吹かしたことと、私自身がヨーロッパ大陸の西の果てに行ってみたかったからです。
私は九州の西の果ての長崎の島で生まれたので、何かそこに共通するものがあるかと思ったからです。
もう皆さまご存知のことではありますが、日本とポルトガルの歴史に少し触れてみます。
ポルトガル人が日本に初めて到来したのは1543年,ポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着したからです。その時、鉄砲(火縄銃)の技術が日本に伝わりました。その6年後ポルトガル国王の命でイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル(スペイン出身)が鹿児島に上陸し,日本にキリスト教を伝えました。1550年からポルトガルは,日本・中国・ポルトガルの間で「南蛮貿易」をスタートさせ,戦国武将の織田信長や豊臣秀吉らもそれを後押して経済基盤を強化していきました。しかし,一方で,西国大名が南蛮貿易で財力を増したり,カトリックに改宗したキリシタン大名が出現したりするようになり,これに危機感を抱いた江戸幕府は,海外貿易を制限し,キリスト教の信仰を禁じるといった鎖国政策に転じました。そして,1639年,江戸幕府はポルトガル船の入港を禁止することになりました。
(注)写真は、リスボンのベレンの塔・Santa Maria de  Belém です。


ポルトガルから北スペインへ-8

このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

ポルトガルから北スペインへ-8

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

今回の旅行の最後の目的地はシントラ宮殿です。
リスボンから電車で約40分、ロカ岬と同じ方向にあります。
高さ33メートルの2本の煙突が目印の王室の夏の離宮です。
何かの雑誌でシントラ宮殿の美しい写真を見たことがあり、ポルトガルに行ったらぜひ行ってみたいと思っていました。
実はこの旅行のオプショナルツアーにこのシントラ宮殿の見学がありました。
しかしその費用が結構高かったので、娘が自力で行こうと言い出し、電車に乗って行きました。
その電車の旅もなんだかローカルで行き帰りとも座ってのんびりしました。
駅を下りてからは、その宮殿の塔を目指しながら結構坂道を登って役20分ほど歩きたどり着きました。

おとぎ話から抜け出したような「ペナ宮殿」があり、その周辺は様々な緑豊かな庭園で囲まれていて、さすがに世界遺産になったと思いました。
イギリスの詩人バイロンが「エデンの園」と讃え、19世紀のポルトガル建築の傑作と言われています。
また宮殿の中も素晴らしく時間をかけて見学し、その写真を全部アップすることができないのは残念ですが、まるでアラビアンナイトの気分になれました。
お城までの山登りと宮殿の中の見学で喉もかわき、疲れたのでその周辺にあるカフェに入り、娘と二人でポルトガル最後の観光を終え地ビールで乾杯しました。
乾いた喉に冷たい美味しいポルトガルビールがとっても心地よかったです。


ポルトガルから北スペインへ-7

 このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

ポルトガルから北スペインへ-7

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

いよいよ最終日となりました。
リスボン市内の観光です。
まず世界遺産のジェロニモ修道院に行きました。
次に「発見のモニュメント」にいきました。
ここには大航海時代の地図が地面に地図のタイルがはめ込められていました。
その当時の日本はこう描かれていたということがわかりました。
でも結構正しいですよね。びっくりです。だれがこの地図を書いてそれで航海をしていたのでしょうか?
その大航海時代の人物たちをこのモニュメントで表しています。
エンリケ航海王子が先頭にいます。彼は大航海時代の先駆的指導者で英雄です。
彼を筆頭に約30名の像が立ち並んでいます。
有名なところではヴァスコ・ダ・ガマ (インド航路発見者)、フェルナン・デ・マガリャンエス(フェルディナンド・マゼラン) などがみられます。マゼランは初めて世界一周を成し遂げた人です。
また最後の方にフランシスコ・ザビエルの像もあります。勿論、日本へ1549年にキリスト教を伝道した宣教師です。
1500年代の歴史を思い浮かべながら、次に移動しました。
皆さま、可愛い外国人の少年がきれいな景色をバックに「消臭リキット~~~♪」と歌うコマーシャルを聞いたことはありませんか?
リスボンの街中の高台にあるところで収録されたそうです。
私たちもそこをバックに歌ってみました。
さすがにコマーシャルの景色に選ばれただけの素敵なロケーションでした。
これでリスボン市内の半日観光は終了しました。


ポルトガルから北スペインへ-6

 このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

ポルトガルから北スペインへ-6

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

旅行もそろそろ終盤になりました。
まず、オビドスという城壁に囲まれた中世の美しい「谷間の真珠」と呼ばれている町に行きました。城壁は13メートルあり、その上を歩くことができましたが柵も何もないのでちょっと怖かったです。でも景色はとてもすてきで町中にはたくさんの教会やカフェやレストランがありました。
そこを出発して今回の旅行の目的の一つであるヨーロッパ最西端のロカ岬に向いました。
その岬はかなりな崖の上で風が強く飛ばされそうでしたが、何とか見学をしました。
行ったという証明もしてもらいました。もちろん費用がかかりましたが記念ですから書いて頂きました。
昔、まだアンカレッジ経由でヨーロッパに行った時に北極点通過の証明書を頂いたことを思い出しました。
もう二度と行くことはないと思いますので、記念になりました。
夜はリスボンに入り、先日の美女二人組と一緒にファドを聞きに行きました。

ポルトガルといえばフランスのシャンソンのように「ファド」という国民に愛されている唄があります。
どちらかというと寂しい歌詞なのか、ポルトガル語がまったくわからないでしたが、そんな雰囲気の歌でした。
勿論ワインを飲みながらゆっくりと2時間くらい楽しみました。
リスボンという町は長崎に似ていて、石畳と細い坂道が多いです。
上にあがると海が見えるところも長崎に似ていました。
タクシーをホテルで呼んでもらいそのレストランまで行ったのですが、その急な細い坂道をすごいスピードで飛ばすので本当に怖かったです。
そのうえそのタクシードライバーが興に乗るとハンドルから手を放して、助手席や後部座席を見るので「お願いだから前を向いてハンドルを握って」と日本語でお願いいたしました。
帰りなどはもっと面白がってジェットコースターのような運転をするので、心臓に良くなかったですが、私たちが怖がるので、運転手さんは大喜びでした。
私は後ろの座席だったのですが、娘は助手席だったからどんなに怖かったかと恨まれました。
でもたっぷりワインを飲みながらファドを聞くことができて、ポルトガル旅行の目的を果たしました。