月別アーカイブ: 2019年1月

幕末史研究会

 このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

幕末史研究会

宗像 信子

1月26日土曜日の午後2時から吉祥寺の武蔵野商工会館で幕末史研究会が開催されました。
この開運道の講師である小美濃清明氏が会長で、平成5年から続いていて、何と今回で270回でした。

この日のテーマは「七卿と岩倉具視を考える―幕末の天皇・朝廷・公家の世界―」で、講師は人間文化研究機構国文学研究資料館の准教授・西村慎太郎さんでした。
御年44歳で学生時代ロックバンドをしていたというこで、とても声が良く、マイクも必要ないほどでした。
内容は「明治維新」後の歴史叙述によって、幕末の公家とえば三条実美、岩倉具視といった人物がクローズアップされるが同時代の朝廷社会の中から再検討するということでした。
確かに私などはお公家さんは七卿落ちの人達しか知らないという情けない状況です。ちなみに七卿は三条実美(31歳:従三位権中納言)、三条西季知(53歳:正二位行権中納言)、四条隆謌(36歳:従四位上行侍従)、東久世通禮(31歳:正四位下行左近衛権少将)、壬生基修正(29歳:従四位上行修理権大夫)、澤宣嘉(28歳:正五位下行主水正)、錦小路頼徳(27歳:従四位上行右馬頭)です。
三条実美と三条西季知以外は朝廷運営に参加するレベルの公家ではなかったそうです。
岩倉具視の孝明天皇暗殺説はそれは無いということで一刀両断でした。
東久世さんのご子孫もこの開運道の講師です。
また私の友人が澤宣嘉のご子孫でしたので、この幕末史研究会を聴きにきて、子孫でも知らない事ばかりらしく、この講演を聞けたことをとても喜んでいました。
なかなか難しい内容でしたけれども、少しは公家社会のことが理解できたかなという感想です。

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幕末史研究会は、東京都武蔵野市を中心に1994年から活動を続けている歴史研究グループです。
小美


ポップとクラシックで至福のひと時

 このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

ポップとクラシックで至福のひと時

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)
この金土とポップライブとクラシックコンサートに行きました。
金曜日の夜は大人のポップロックのライブでした。
井の頭線の神泉から徒歩2分あまりの「ランタン」という会場で行われました。
川瀬泰雄という多分70歳は優に超えている方がリーダーとなっている「Spooky Ⅶ」というバンドの演奏でした。
彼の略歴をネットで見てみると
 横浜生まれ。高校、大学時代にバンド活動。1969年、大学卒業後、東京音楽出版(ホリプロ)に入社。約40数組の音楽プロデュースを担当。キティ・レコードに移籍後は、約10数組。独立後は、音楽を制作。現在までに約1,600曲以上を手がけた。現在、音楽プロデュースの他、ビートルズやパブ・ロック等、複数のバンド活動も行っている。
とありました。
何でこのライブに行ったかというと、毎月私が通っているカントリーライブがあり、そのバンドのギター担当の鋤柄貴司さんがこのバンドにも所属していて、こちらも聴きに来てほしいと声をかけられたことによります。そこでいつもカントリーライブに一緒に行っているお友達10人くらいと行きました。その仲間もほとんど70代でした。
ランタンというお店は最大70名くらい入る小さなお店ですが、その会場全体にすごい音量で演奏が始まりました。
ほとんど英語で歌うオールディーズでしたが、鋤柄さんはギターの名手で川瀬さんの脇でかっこよくエレキギターを弾いていました。
何年か前に倉本聰の「やすらぎ郷」というテレビ番組の中で親父バンドのメンバーとして出演したこともあるぐらいの名手でした。
あまりに音量に耳栓をしたくなりましたが、私でも知っている曲だったりすると体が自然にリズムに合わせて動きました。
あんまり知らない音楽の世界でしたが、これはこれで楽しめました。
 翌日の金曜日は前の晩と打って変わってのクラシックのコンサートでした。
私は別に高津市民ではありませんが、特別出演の吉村妃鞠ちゃんが親戚になるので誘われて行きました。
こちらは高津市民オーケストラの新春コンサートで、去年のウイーンのコンサートを思い出しながら聴いていました。
妃鞠ちゃんは小学校1年生ですが、現在ヴァイオリンの天才少女として活躍しだしています。
この日も大人顔負けの演奏でパガニーニのヴァイオリン協奏曲をオーケストラの大人たちをバックに素晴らしい演奏をしました。
このパガニーニという天才ヴァイオリニストの曲は難曲として有名なのに、3か月でマスターしたそうです。
指揮者の清水さんは中学生の時に1年かけてようやくマスターしたとは話されていました。
どちらの演奏会も生で音が聞けるという幸せをかみしめました。


お台場からの寸景   宗像信子

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お台場からの寸景

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

久しぶりにお台場に行きました。
あまりにもお天気が良かったのと、しばしの時間がとれましたので、一人で大観覧車に乗ってみました。
これがまた日本最大級の観覧車で、直径:100m、高さ:115m、ゴンドラ数:64台、乗ってみてその大きさや、そこから眺める景色の雄大さが理解できましたが、とてつもなく大きい観覧車で、資料によると世界第二の大きさで、国内では一番の大きさ(2018’現在)を誇っています。
観覧車からは、羽田空港や西新宿の超高層ビル群など東京を一望することができて心が洗われる思いをしました。

この観覧車のゴンドラ64台のうち4台は透明のシースルーゴンドラを採用していますので、足元から望む眺望はスリル満点だと聞いていましたが、それに乗るには待ち時間があるので、今回は普通の観覧車に乗りました。
ゴンドラが上昇し始めるとすぐに東京ゲートブリッジが見え、次いで羽田空港、レインボーブリッジ、そして東京タワー、スカイツリーと面白いように東京を代表する観光スポットや市街地の景色が次々と目の下や遠くに見えてきて思わず心が弾みました。
残念ながら富士山は雲に隠れて全貌は見ることができませんでしたが、。
写真は東京ゲートブリッジ、そしてレインボーブリッジとそのわきに小さく東京タワーが見えたので撮影しました。
観覧車に乗るなんて何十年ぶりだったか忘れましたが、高所恐怖症にもめげずに乗った甲斐がありました。


帝国ホテルの正月飾り

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謹んで新年のご挨拶を申しあげます。
本年も宜しくお願いいたします。
宗像信子(喪中)
帝国ホテルの正月飾り

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

1月5日に用事があり銀座に出たついでに、帝国ホテルに寄りました。
先月は真っ赤なバラのクリスマスの飾りでしたが、この日は素晴らしいお正月飾りに変わっていました。

まるで日本庭園のように落ち着いて優雅な正月飾りと、それを取り巻く華やかな春の佇まいでした。
今年の我が家は喪中だったので、全てお飾りは無しでしたから、このような素晴らしいお飾りを見ることができて嬉しくて心が弾んで、身も心も若返った気分になりました。いや、もしかしたら本当に若返ったのかも知れません。
ついでに地下に行ったみたら、少し小型にはなっていましたがまた素敵なお正月飾りがありました。
デパートとか大きなビルとかではまだまだ立派な門松を見かけますから、それを眺めてお正月らしい華やかな雰囲気をかすかに感じとって少しだけ正月気分を味わって終わっています。
昔は門松がどこの家の門にも飾られていたものですが、この頃は普通の民家には殆ど見られなくなって、一枚ペラの印刷した門松が張られていたりして寂しい限りです。
でも、よく考えてみると、お正月飾り門松の竹も松も最後はゴミになってしまうので、今後のゴミ問題を考えると簡略化した紙の門松、それでもいいのかもしれませんね。
とはいえ、古来からの日本の伝統も大切に守っていきたい気持ちは断ちがたいものです。やはり、これからも、立派な門松があちこちで見受けられる正月風景を大事にしたいと思います。日本の文化と伝統を守るためにも、この程度の贅沢は許されてほしいものです。さて現実に戻ると松の内もあと一日・・・さあ、仕事です。


我が家からの初日の出です。

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我が家からの初日の出です。

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

今朝も朝から素晴らしいお天気で、晴れた東の空に朝日が昇ってきました。
また南を見てみると、遠くに富士山がすっきりと美しい姿を見せてくれています。
この地に住んで35年、最初は地面に住んでいましたが、今から14年前にマンションに住み始めました。
最上階の14階だったので回りの景色、特に夜景がいらして下さった方へのご馳走でした。
でも晴れて風の強い日の朝は富士山は見られるし、秋からは夕陽が富士山の脇に釣瓶落としのように沈んでいく様子が一幅の絵のようです。
今年も素晴らしい初日の出を見ることができ、富士山も見ることができたので
きっと良い年になると思います。
昨年は私のつたない文章と写真をご覧いただきありがとうございました。
今年も何かをどこかで見つけてエッセイを書くことができるように頑張りますので、よろしくお願いいたします。