このコーナーは安司弘子講師(左)と宗像+信子講師(右)の担当です。
白河戊辰150周年記念事業
~「甦る仁のこころ 合同慰霊祭・特別記念講演」余談~5
安司 弘子
(歴史研究会白河支部長)
「八重の桜」が放送される中の2013年5月から週刊朝日が『司馬遼太郎の街道「白河・会津のみち」の世界』を連載。
戊辰戦争120年の節目に司馬先生に講演をしていただいたことから、当時のことにも触れています。
記事には白河城(小峰城)のはじめの主と終わりの主として、中世時代に約400年ものあいだ白河地方を領有した「白河結城氏」の末裔結城直樹氏と幕末の白河藩主阿部家の現当主阿部正靖氏を紹介しており、阿部家家老子孫の平田重樹氏も同席しての取材でした。
また、結城氏の居城だった白川城を、国重文結城家文書(90通)の研究家でもある佐川庄司氏と、私が私淑する白河の重鎮金子誠三氏にご案内いただき、石碑や祠が震災で倒れたままになっている状況も紹介。
坂本龍馬の従兄弟・沢辺琢磨が初代の司祭を務めた白河ハリストス教会には司馬先生も訪れており、管理人の大寺浩さんが説明されています。
さらに、西郷頼母の研究家で稲荷山に「蝸牛歌碑」を建てた堀田節夫氏と西郷頼母の弟の末裔である山本英市氏の話も掲載。
堀田氏が亡くなった今、時々思い出す取材の情景です。
週刊誌での連載はその後ムック本『司馬遼太郎の街道1』となり再び書店に並びました。
週刊朝日は以前にも白河を取材し、2009年『週刊 司馬遼太郎』~徳川慶喜の孤独~の章に掲載。
今『白河大戦争』の著作が売れている植村美洋氏(ペンネーム・白川悠紀)と、司馬先生招致に奔走した一人で『街道をゆく』の挿絵画家須田剋太氏から絵を貰ったという、ハリストス教会と向かい合う書店「昭和堂」の主人鈴木雅文氏にも会っていただきました。
この項では「白河・会津のみち」の文章から〈白河の庶民は戦争の時は息をひそめて済むのを待ち、戦闘がおわると、そのつど両軍の戦死者を埋葬してやった。以後、白河は、ほとんどが無縁仏になったこれら戦死者の墓を百二十年間まもってきたのである〉と引用し、司馬先生が白河を「人情敦煌の地」とまで表現していることを取り上げてくれました。
そのご、この記事も週刊朝日ムック『司馬遼太郎の街道Ⅴ』に修められました。
つづく