白河・戊辰戦争合同慰霊祭に参加して。

このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

白河・戊辰戦争合同慰霊祭に参加して。
宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

このコーナを私と共に担当する安司弘子講師がお住いになる福島県白河市で、白河戊辰150周年記念事業「戊辰戦争合同慰霊祭」が、去る7月14日(土)と15日(日)の2日間にわたって行われました。
もちろん安司さんもスタッフとして大活躍でした。
私は幕末史研究会の友人2人と参加しました。会場には幕末史研究会の他の会員や、咸臨丸子孫の会では勝海舟の玄孫の高山みな子さん、長崎会津会の方々など知っている顔が多数見られました。
白河文化交流館コミネス・大ホールで7月14日午後1時半から「蘇る仁のこころ 合同慰霊祭」が開催されました。
白河市・鈴木和夫市長のあいさつから始まり、内堀雅雄福島県知事、河村建夫衆議院予算委員長、玄葉光一郎衆議院議員、藤道健二萩市長、三保恵一二本松市長のあいさつがありました。
来賓紹介では、棚倉藩当主、福島藩当主、高田藩当主、仙台藩当主、二本松藩当主、泉藩当主、土佐藩当主、鹿児島市長、宮崎市長と国会議員などと、高知市、山口市、萩市、大垣市、上越市、富津市、桑名市。行田市、仙台市、館林市、那須町、大田原市、などなど戊辰戦争の慰霊碑に祀られている英霊に関係している市町村から多数の関係者が来賓として参列されました。
次に棚倉藩阿部家22代当主正晴氏が祭文を読まれました。
幕末の戊辰戦争では、会津、仙台藩などからなる奥羽越列藩同盟軍と、長州・薩摩藩などの新政府軍がここ白河の地で激突し、その「白河口の戦い」は約100日間も続き、両軍で千人を超す戦死者を出しています。その霊を弔おうと白河市からの提案で、この合同慰霊祭は開かれました。
その白河の戦いで亡くなった両軍の戦死者を、白河の人々は分け隔てなく丁重に弔って今日に至っています。それに対する感謝の言葉も萩市長、鹿児島市長などから語られています。

慰霊の大祓が福島県神社庁西白河支部の神官により執り行われました。この式典は、神道の私でも普段では見られない厳かな儀式でした。
さらに、白河仏教会の僧侶の方々による読経が始まり、来賓の方々が献花をされました。
僧侶に10数人による読経は素敵な合唱をきくような、素晴らしいものでした。

私たちが白河に行くたびにお世話になる山の寺(黄檗宗)の住職も参加されていました。
そのあとは篠笛、ピアノの演奏と女優紺野美沙子さんの詩の朗読で終了しました。
3年前に慰霊碑を白河市が建てたときに、寄付をしたものですから今回は招待されて参列しましたが、いかに白河市がこの合同慰霊祭に力を(予算も含めて)入れていたのかがよくわかりました。
それだけに立派な式典でした。
安司さん、お疲れ様でした。