今日は、連載中の小説の舞台、綾部市についてです。
先日の台風11号がもたらした豪雨で小説の舞台の綾部市もかなりな被害に遇いました。お隣の福知山市は河川の氾濫で床上浸水などの被害で住民避難もあり多大な損害が出ています。綾部市内の中央を流れる由良川と市東部を流れる上林川はかつては暴れ川でした。
とくに昭和28年9月の記録を見ますと台風13号襲来で由良川と上林川流域の被害は甚大で、災害救助法が適用されたほどです。山崎善也市長自らが災
害対策には積極的に関与して、災害時要援護者支援台帳の充実、綾部市防災ハザードマップや土砂災害情報点検マップの作成をはじめ、夜間防災ヘリ離着陸訓練まで行って市民の生命を守る気概を見せています。
その上、秘書と広報課を兼任する秘書広報課の優秀な女性軍団は、日頃から河川防災情報などを流して市民の災害に対する意識を喚起させる努力を続けています。今回の暴風による被害も人的損失は0、土砂崩れで道路が数か所、通行止めになりましたが、ほどなく開通しています。府道舞鶴綾部福知山線の中丹支援学校~猪崎間、市道初田線、市道塩田線の綾部作業所付近、市道小呂上路線、府道中山綾部線などです。
あれだけの大豪雨でも最小限の被害で食い止め、市民に人災による被害を与えなかったのです。これだけを見ても、国民の平和な生活と命を握っているのは行政であるのは間違いなさそうです。
私がなぜ、この綾部市が好きになって特別市民になり小説まで書くようになったか? 友人で全日本航空の元重役西川嘉伸氏の故郷であることもさりながら、駅に降りて日本で初めてゴミのない街に出会った感激が執筆の一番の動機です。3日間の滞在中、ゴミと不良少年と嫌な出来事に出会うことなく帰京したのです。しかも、この街を舞台に小説を書き始めて多くの人とも知己になり協力を得ています。
それに、足利尊氏の生地、さらに「地酒が美味しい」のです。昔から京都の人はよそ者には冷たい、と言われますが京都の奥座敷の綾部に
はその言葉は通じません。人の心は温かく、機会があれば住み着きたい土地です。
幸いに、定住者誘致には積極的で安い賃貸料ですぐ住める空き家も用意して綾部市への移住を優遇しています。そんな綾部市を、市長二期目の山崎市長は、広報を通じてこう語ります。
「綾部市は、京都府の中央北寄りに位置する田園都市です。美しい自然環境や豊かな里山・田園と農村の暮らし、平和と歴史・文化に彩られた市とも言えます。さらに、ものづくりを中心とする多様な産業の集積、そして京阪神地域と日本海地域をつなぐ交通の要衝地であることなど、地方小都市ながらさまざまな機能や特性がバランスよく備わっているのも綾部市の特徴です」
さらに、
「また、強い郷土愛や高い文化度、温厚で粘り強い市民性、加えて繊維から始まって今やあらゆる分野に進出する「郡是」の創業、さらには宗教の異端児の「大本教」の開祖の地、日本初の世界連邦都市宣言等に見られる進取の気質、営々と受け継がれてきた地域の伝統行事など、多くの有形無形の歴史的・文化的資産を有しています。今、田舎暮らしやスローライフへの志向の高まりを受け、私たちは過疎高齢化で存続が危ぶまれる集落を「水源の里」と名付けました。その美しい地域を支えあい、活性化していくことが、人の生命維持に欠かせない水と空気の供給基地、また、環境・国土保全の最前線を守るためにも必要であることを全国に発信し続けています」
まさしく綾部市は歴史の町、文化財の町で、国宝から市指定の文化財までを加えると山のように積まれます。綾部はまた、舞鶴若狭自動車道と京都縦貫自動車道、そしてJRの山陰本線と舞鶴線が市域で交差する交通の要衝地です。さらに、京阪神地域への移動時間の大幅な短縮が進み、舞鶴若狭自動車道や京都縦貫自動車道の全線開通により、今後も交流拠点・物流拠点としての機能が一層高まるものと期待されます。
それら京阪神地域や日本海地域からの良好なアクセス環境に加え、さらに、国際貿易港である京都舞鶴港の後背地に位置するという地の利を活かし、これまで以上に本市の求心力が高まる可能性を有しています。
綾部市が目指すまちの姿は、本市の特性である、美しく豊かな里山・田園の「ゆったり感・やすらぎ感」、平和と歴史・文化に彩られた市街地の「安心感・幸福感」、ものづくりをはじめとする産業の「躍動感・充足感」などを享受できるまちです。
そこで山崎善也市長が提唱したスローガンは、
「住んでよかった…ゆったりやすらぎの田園都市・綾部」です。
(以上、広報誌より無断借用しました。花見正樹)