緒方さんの立派な挨拶に続いて、恥ずかしながら北の港町から皆さまにご挨拶です。 わたしは開運村のお世話人に名を連ねる一期生の西川永華と申します。 家族構成は、昔からのオットという名の同居人と二人暮らし、娘二人はそれぞれ嫁ぎました。
拠点は北海道留萌(るもい)市、ご存じですか?
明治時代までは、アイヌと日本人が混在した街でしたから山も川もアイヌ名が残っています。 ポロシリ山、セタベツ川、チバベリ川などと呼びます。
留萌はアイヌ語でルルモッペ、その名の由来は潮が奥まで入る川という意味と聞いています。
地図で見ますと、北海道上部左側の日本海に面した人口約3万の港街です。
主な産業の貿易や水産加工業は、昔とは天と地ほどの差だと昔の人は言います。 でも、若い?わたしは、昔のことは詳しくは知りませんが、街が栄えていたのは覚えています。
わたしが子供の頃はニシンの水揚げ世界一、ニシン御殿が立ち並び昼も夜も賑やかな街でした。 その頃は留萌の定住4万に出稼ぎが3万の合わせて7万人で歓楽街もごった返していたそうです。
わが家も飲食業を出して、小学生のわたしも手伝いましたからニシン景気は覚えています。 でも今は人口わずか2万4千、公務員、各企業の支社などの関係者が大半を占めています。 今でも留萌の港は国内最大の輸入港で、カズノコの国内最大加工地ですが産業は寂びれています。
同居人のオットは親の代からの建築業ですが、いまは不況の真っただ中です。 こうなれば、わたしが好きな占いで稼いで食わせるしかない! と開運道に入門しました。
苦節1年、幸い免状も頂き占術家の名も得て、すぐ地元のFM放送に相談して占い番組を始めました。
仕事は、緒方さんと同じく本部発行の100年運データ中心です。
これは誰でも欲しがりますので間違いなく宝の山で、これが口コミに乗りました。 そこで、さらに図に乗って、趣味の貴石を用いた開運ブレスレッドを始めました。 自分で石を買い求め金属チェーンも自分で編みます。
開運村のホームページにもリンクして頂き、占い同様に売り上げも順調に伸びました。 と、調子よくお話しさせて頂きましたが世の中、そう甘くはありませんね。
主婦の片手間を広げ過ぎて頑張りすぎて、ついに過労でダウンしてしまいました。 その上、子宮けいガンが発見されて入院、ついに闘病生活です。
でも、ご安心ください。ようやく退院して早速、このご挨拶です。
数日前からFM放送にもカムバックしました。
なお、放送原稿の中心は開運村ホームページの毎日の占いです。
もちろん、村長さんの許可は頂いております。
なお、ブレスレッドを参考にされる方は、開運村トップページのリンクでお宝堂をご覧ください。
病いで倒れる前は札幌や旭川にも、占いとブレスレッドで招かれて出張していました。 それにしても、やはり無理は禁物、ほどほどが無難ですね。
皆様も、お体を大切に開運道の占いをお楽しみください。
また、投稿させて頂きます。